八十八年目の星結び


「──と、いうのが、オレの記憶だ」
 煉弥の口から語られた過去は、晶佳が長年胸に抱いてきた思い出と完全に符合していた。
 誰もがそれぞれの情報を照らし合わせていたが、どう考えても話の辻褄自体は合っている。
 問題は、その記憶の中に登場する人物の名前だけだった。

「以前、依玖に少し話したな。その場で名前を聞きそびれ、帰国直後に汐凪の婚約者として初めて名前を聞いた。それが……」
「式海嬢ではなく、依玖だったから勘違いした、と」
 汐凪が疲れたような声音で結論を補足すると、煉弥はゆっくりと頷いた。
 煉弥の初恋話を聞いて、なんか変だと思っていたんだ。どうも私らしくないというか、時期が微妙というか。

 私は額を押さえたい気持ちを堪えながら、静かに手を挙げた。
「はい。よろしいでしょうか」
「はい依玖、どうぞ」
 教師めいた口調で頷く汐凪。
「顔を合わせてしっかり話しているというのに何故、お互いに相手が私と汐凪様にすり替わっているのでしょうか」
「「だって、髪色が──」」
 声が綺麗に重なり、晶佳と煉弥が顔を見合わせる。

 先に口を開いたのは煉弥だった。
「……当時、斎祀に選ばれたばかりで自衛の手段も乏しかったからな。国外へ出るということで、変装として髪を染めていた。……そういえば、汐凪くらいの色だったか」
 髪を摘み上げた煉弥に対し、晶佳も髪を撫で下ろしながら懐かしむように言った。
「幼い頃は依玖くらい暗い色だったのよ。成長するにつれて父方の血筋の色に変わっていったけど……」
 実際には多少色の差異はあったのだろうが、夕暮れの逆光、幼い記憶、そして十年以上の時間による曖昧さを考えれば、誤解の理屈としては理解できる。できるが。

 汐凪は深々と長い息を吐き、星々の浮かぶ空を見上げた。
「留学してきて以降、ここ数ヶ月の心労はなんだったんだ」
「絡まれ続けた私の七年間」
 こちらは数ヶ月どころではない。思い返せば長い付き合いである。

「晶佳なら灯賀の斎祀の婚約者でも十分狙えたでしょうに」
 勘違い一つで積み重ねられた年月としてはあまりにも長く、その原因が髪色と夕暮れの逆光だったと判明した今となっては脱力するしかなかった。

 諸問題解決である。
 そんな空気が自然と漂い始め、巻き込まれ続けた私と汐凪は揃って長いため息を吐いた。
 はあやれやれ。
 ところが、その空気をぶち壊したのは当事者の片割れだった。
「いや、まて! 解決したような雰囲気を出すな!」
 勢いよく身を乗り出した煉弥に、私たちは揃って眉をひそめる。
 長年の勘違いが判明し、当人たちの認識も整理され、これ以上何が残っているのかと思ったのだが、煉弥の表情は妙に真剣で、少なくとも本人は冗談を言っているつもりではないらしい。

「オレは依玖を好ましく思っている!」
「おい」
 即座に飛んだ汐凪の低い声には明確な警告の色が混じっていた。しかし煉弥は構わず続ける。
「確かに、オレは“あの時の少女”を前提として依玖を狙っていた。だが、それだけじゃない」
 その言葉に、空気がわずかに引き締まる。
「今の依玖自身だけを見て惹かれた、とまでは言わない。そこまで綺麗な話じゃない。だが、依玖のことを好ましく思っているのは事実だ」
 勘違いだった。前提は間違っていた。
 ならばそこから積み上げられた感情も全て消えるのかといえば、人の心はそれほど単純にはできていないようだ。

 煉弥は一度言葉を探すように視線を伏せ、それから静かに続ける。
「留学してから、依玖のことを知る機会はあった。水筑の邸で努力していた姿を見ていた時間もある。朝早くから鍛錬していただろう。夫婦舞の自主練もしていたし、書庫で資料を抱えていたこともあった」
「え、いつの間に」
 あまりにも具体的な内容に思わず目を瞬かせた。
 以前の汐凪の心配をよそに、実際水筑の邸で顔を合わせたことはないはずだ。ましてや日々の行動を把握されるほど近くにいた覚えもない。
「邪魔になってはいけないと思って、声はかけずに見守っていた」
「だからこいつをうちに入れたくなかったんだ……」
 汐凪が舌打ちした。貴重だ……。

 煉弥の告白めいた言葉に続き、しばらく迷うように視線を揺らしていた晶佳だったが、やがて意を決したように顔を上げると、どこか頑なさを含んだ声で静かに言った。
「私だって……この七年、水筑様を見てきました。敬愛する気持ちは変わりません」
 それは恋慕の告白というには真面目すぎて、忠誠の表明というにはあまりにも感情が滲んでいる。

 しばしの沈黙が落ちた後、煉弥は目を閉じたまま腕を組み、何か難解な術式でも解析しているかのような真剣な表情で考え込み始めた。
 いつも淀みなく言葉を語る人物とは思えないほど慎重な様子に、思わず汐凪と顔を見合わせる。

 やがて煉弥は大きく息を吐き、決意したように顔を上げたかと思えば、開口一番、妙に勢いよく宣言した。
「保留で!」

 数秒の静寂を挟み、私と汐凪はほぼ同時に深いため息を吐いた。
「もうそっちで勝手にやってくれ」
「ほんとそれ」