「そもそも」
軽口の応酬を断ち切るように、晶佳が静かに口を開いた。
「私たちについてきて良かったのですか? 斎祀様なら、もっと安全な選択肢があったはずでしょう」
それは今さらながら当然の疑問だった。
私が強引に連れ去ったところはあるものの、拒否して千金楽家の護衛を呼び寄せることもできただろうし、少なくとも私たちを全面的に信用する理由はなかったはずである。
そんな疑問に対して、珠輝は考え込む様子も見せなかった。
膝の上でそっと手を重ねたまま、小さく首を縦に動かし、まるで当たり前のことを確認するような穏やかな表情で頷く。
「私、人を見る目はあるんです」
静かに、しかしはっきりと。疑う余地もなく信じ切っているからこそ生まれる声音に、私は思わず感心してしまう。
「すごい」
「かっこいい」
思わず漏れた私と晶佳の感想が綺麗に重なり、珠輝がぱちりと目を瞬かせた。
「……お二人は仲がよろしいんですね」
「良くないです」
晶佳が露骨に顔をしかめた。私は真顔だった。よくはないと思う。
だが珠輝は困惑するどころか、むしろ感心したように目を細めた。
「仲が良くなくても息は合うんですね」
その指摘に返す言葉が見つからず、私と晶佳は再び顔を見合わせる。
微妙な沈黙が流れる中、晶佳がわざとらしく咳払いを一つ落とし、話題を強引に本筋へ引き戻す。
「状況を整理しましょう」
強引ではあったが、ありがたい軌道修正でもある。
私も気持ちを切り替え、現在把握している情報を頭の中で並べ直した。
「千金楽家の結界の状況は?」
「複数箇所が破られていますが、それに留まっています」
晶佳の確認に珠輝が頷いて答える。
神域を含む広大な護家の土地全体を覆う結界は護家の術式と管理で保っており、斎祀であれば遠方にいても異常をある程度感知することができる。
現状、複数の地点で損傷が発生しているのは確からしい。
しかし、それはあくまで壁に穴が空いたという程度の話であり、結界全体を支える骨格や術式までは崩れていないようだった。
その報告に私は小さく息を吐いた。
「では少なくとも、千金楽家丸ごとぶっ潰すぞ作戦ではなさそうですね」
「言い方……」
晶佳は眉を寄せたが、珠輝は純粋に疑問を抱いたらしく、不思議そうに首を傾げる。
「そうなのですか?」
「ええ」
私は頷きながら説明を続けた。
「千金楽家全体が対象なら、まず結界を完全に崩壊させるでしょう」
晶佳も思考を巡らせながら言葉を重ねる。
「状況から見て、奉納式の後を狙った襲撃なのは間違いないと思います。滞在している術師の大半は霊力切れ……しかし同時に、それなりの術師が集まっていて、警備も平時より厳重です」
私は静かに頷き、言葉を継いだ。
「つまり、制圧するには数が必要になります」
もし本当に千金楽家そのものを落とすつもりなら、護家の戦力を押し潰し、集まった術師たちを封じなければならない。
そのためには少人数では到底足りず、相応の規模の部隊を動かす必要があるだろう。
「結界が破れたのが複数箇所とはいえ、一部ならば侵入経路は明らか。大人数での侵入なら、敷地のどこから入るかわからなくなるよう、結界を完全に消滅させるのが肝要でしょう」
防衛側にとって最も厄介なのは敵の位置が把握できないことだ。
侵入口が限定されていれば、迎撃戦力を集中できる。
それにもかかわらず結界が部分的な破損で済んでいるのなら、敵の狙いは大規模戦闘ではない可能性が高かった。
「では今回は、少数精鋭での侵入、ということですか」
珠輝の問いに、私と晶佳はほぼ同時に頷く。
「少数の襲撃での目的となると……千金楽家、よりもっと直接的で特定のものになるでしょうね」
私がそう口にすると、珠輝は少しだけ視線を伏せた。
その表情に浮かんだのは恐怖ではなく、ある程度予想していた者だけが持つ静かな覚悟だ。
「私か……神獣様か、ですね」
むしろ、その二つ以外の候補を探す方が難しかった。
護家の本拠地へ危険を冒して侵入する価値があるものなど限られている。
「敵が反神獣団体かそうでないかは不明ですが……十中八九」
そこまで口にしたところで、晶佳が視線をこちらへ向けた。
「一応聞くけど、貴女が目的ってことは?」
「明確に警護対象になる瑞潮国内から出る機会を狙って? なら移動中とかに来ると思うけど」
仮に私が標的なら、わざわざ千金楽家を巻き込む意味が薄い。
「まあそうね」
私が考えを述べると、晶佳もあっさりとその可能性を脇へ退けた。
深く拘っていたわけではなく、単に考え得る選択肢を潰していただけなのだろう。
その時だった。
「げ、」
思わず声が漏れる。
金属線の先に熱を感じた。はっきりとした、人為的な熱。
霊力を帯びた火気が、線を伝って這い上がってくる。
その意味を理解した私は思わず声を上げた。
「火放ってる!」
「さ、最低!」
私が叫ぶのとほぼ同時に、晶佳も顔をしかめた。
戦術としては理解できるが腹が立つ。
森へ潜む者を炙り出すためなのか、それとも混乱を拡大するためなのかは分からないが、少なくとも相手が土地への敬意など欠片も持ち合わせていないことだけは明らかだった。自然も神域も、ただ邪魔だから燃やしてしまえという発想が透けて見えるようで不快だ。
私と晶佳が揃って嫌悪感を露わにする一方で、珠輝だけは不思議なほど落ち着いていた。
騒ぐでもなく慌てるでもなく瞼を伏せると、何かを考えるような沈黙を挟んだ後、静かに顔を上げる。
「……神域へ参りましょう」
私と晶佳は思わず言葉に詰まる。
「ですが、それは……」
一拍の後、私は反射的に口を開く。
だが珠輝は私の懸念を理解した上で、それでも首を横に振った。
「対象が固まっている方が、迷わずに済むでしょう」
遠く離れた神域の方向を見つめるその横顔には、先ほどまでの柔らかな雰囲気とは違う凛とした緊張感が宿っていた。
「狙いが私であれば、神域から離れる方が正しいです。しかし、神獣様が狙われているのであれば……」
風が木々を揺らし、遠くから微かに焦げた匂いが流れてくる中で、珠輝は真っ直ぐ前を向いた。
その姿はまだ若く、経験だって十分とは言えないはずなのに、不思議なほど頼もしく見える。
「神獣様をお守りするのが、斎祀としてのお役目です」
