改めて部屋の中を見回して、私は口に出した。
「……この三人でいると、なんか変な感じですね」
片やこの国の守護する水の神獣。
片やその神獣へ仕える次期斎祀。
そしてその隣で夫婦舞を担う予定の私。
本来なら神聖な場でしか揃わないような組み合わせなのに、現実には昼ドラの感想戦と和菓子タイムをしている。
汐凪も同じ感覚を抱いていたのだろう、ふっと目元を和らげると、湯気の立つ茶を口へ運びながら小さく笑った。
「確かに、不思議な光景ではあるね」
『なんじゃ、水の仔。わしとおるのが不服か』
「いえ、むしろ光栄すぎて実感が追いついていません」
汐凪は真面目な顔でそう返す。
「普通なら一生に一度お目にかかれるかどうかって存在なんですよね、神獣様って」
「……そうだね」
汐凪が静かに頷く。
その声音には、今なお完全には慣れきっていない微妙な困惑が残っていた。
『なんじゃ、お主らは真面目だのう。まっ、よき事じゃが』
ころころと機嫌よく笑った水虎様は、尾の先で畳を叩いた。
水虎様は昔からこんな調子だったので、私にとっては”たまに遊びに来る近所のねこちゃん”みたいな感覚が未だに抜けない。
けれど今ここにいるのは、この国を守護する存在そのものであり、自分がこれから人生を懸けて支えるべき対象なのだ。
しかし水虎様はそんなこと気にした様子もなく、尾をゆらりと揺らしながらこちらを見た。
『夫婦舞の稽古も頑張っておるようじゃな。習い始めた頃に比べたら随分と様になっておる』
「見てたんですか」
『うむ』
水虎様は悪びれもなく頷いた。
分体でここまで来られるのだから、稽古場を覗くくらい造作もないとは理解できるのに、実際に「見ていた」と言われると急に気恥ずかしさが込み上げ、むず痒くなる。
なんだか急に、実感が湧いてきた。
あの稽古が、この方への捧げ物になる。二人で合わせてきたあの舞が、八十八年の契約へ繋がっていく。
「……なんか、緊張してきました」
頭では理解していたはずなのに、こうして神獣本人の口から言われると、輪郭がはっきりしてくる気がした。
「本番、うまくいくといいんですが」
不安を隠したつもりだったのに、最後の方でわずかに声が弱くなってしまった。
自分でも情けないと思ったその瞬間、隣に座る汐凪は少しも迷う様子を見せず言葉を返す。
「大丈夫、うまくいくよ」
その断言には妙な説得力があった。
根拠を並べるでもなく、励ますために大げさな言葉を使うわけでもなく、ただ静かに「大丈夫」と言われただけなのに、不思議と胸の奥へすっと染み込んでくる。
私は思わず彼を見上げる。
汐凪は穏やかな表情のまま、小さく笑った。
「君を毎日見ているから」
さらりと言われて、少し返答に困った。
何とかありがとうございます、と返そうとしたところで、水虎様が満足そうに喉を鳴らして言う。
『まぁ気楽にやるが良いよ。試練なぞただの対外的なあぴーるじゃからな』
「は?」
「え?」
『ん?』
私はゆっくり汐凪を見る。
汐凪もこちらを見返した。
「……今なんと言いました?」
『まぁ気楽にやるが良いよ。試練なぞ対外的なあぴーるじゃからな』
私はもう一度汐凪を見る。
汐凪も静かに頷いた。
「一字一句合ってるね」
「対外的なアピール??」
『うむ』
あまりにも堂々と肯定され、逆に頭が追いつかない。
『加護自体はもう継続決まっとるしの』
「決まってるんですか!?」
『そりゃそうじゃろ。斎祀を決めとるのは我ら神獣ぞ? 後から「やっぱやーめた」とか滅多にせんわ。そゆことして世界崩壊しても困るし』
つまり何だろう。
私たちは人生を懸けて厳しい稽古を積み、失敗できない試練だと思い緊張していたけれど、神獣側ではかなり前から内定済みだった、ということか。
「えっ、じゃあ何ですか、あの厳かな試練とか……」
『ああいうのを見せた方が民も安心するじゃろ』
「安心……」
『ちゃんと選別してますよー、ちゃんと強いですよー、神獣との繋がりもありますよー、というのを分かりやすく示すのは大事じゃからな』
水虎様は実に軽い口調で言う。
汐凪は片手で静かに額を押さえていた。多分、長年積み上げてきた厳粛な信仰観と、今聞かされている裏話の衝突で頭が痛くなっている。
『あ、あれもあるじゃろ。契約更新の儀のとき、神域の中央から光の柱が立つやつ』
「あのパーってなって、パッて弾けて、キラキラ〜って光の粒が国中に降り注ぐ……」
『そうそう、あれもただの演出』
「私あれ好きなのに!!」
思わず前のめりになった。
昨年、私は実際にその光景を見たのだ。
金の神獣が座す輝錬国で行われた再誓の儀。
祭儀は五カ国同時に行われるわけではなく、一年ごとに一国ずつ、五年をかけて巡る形式になっている。ちなみに来年は灯賀国。
私は金気を持ち、なおかつ夫婦舞の担い手として祭儀へ関わる立場でもあるため、勉強を兼ねて見学へ行かせてもらった。
もっとも、他国の祭儀はうちの国みたいに半分祭りとして公開されているわけではない。神域内部で行われる試練までは見せてもらえなかった。
それでも、その瞬間だけは遠目から見ることができたのだ。
