午後から開始した禊祓の儀式が終わる頃には、空を染めていた陽光が少しずつ赤みを帯び始めていた。
これから始まる灯籠流しを前に、生徒たちはそれぞれ手に灯籠を抱えている。
広場中央では朝から絶やされることなく守られてきた祭火が揺れていた。
火気の生徒たちが交代で管理してきたその炎は、夕闇の迫る中で力強い存在感を放っている。
やがて祭壇の前へ進み出た神官役の生徒たちが、定められた作法に従って玉串を祭火へ投じていった。
榊の葉が炎へ飲み込まれるたび火勢が僅かに揺らぎ、金色の火の粉が夜の訪れを待つ空へ舞い上がる。
その最後に、一人の青年が前へ進み出た。
煉弥だ。
広場を埋める生徒たちの視線が自然と集まる中、彼は祭火の前へ立ち、落ち着いた声音で口上を述べ始める。
その声は不思議と広場全体へよく通り、夕暮れの空気を震わせながら人々の耳へ届いていた。
そして言葉が結ばれた、その瞬間だった。
祭火が突如として勢いを増し、轟と音を立てて燃え上がる。
周囲から小さなどよめきが起こった。
炎は空へ向かって伸びるだけでは終わらない。燃え盛る火柱はまるで意思を持つかのように形を変え、巨大な鳥の姿を象りながら翼を広げた。
その姿は一瞬の幻などではなく、広場上空へ舞い上がった鳥は翼を打ちながら生徒たちの頭上を大きく旋回する。
夕焼けと夜の境目を飛ぶその姿は神話の一場面のように幻想的で、誰もが息を呑んで見上げていた。
鳥が翼を翻すたび無数の火の粉が散り、まるで光の花弁のように柔らかく降り注ぐ。
危険な熱は感じない。舞い落ちた火の粉は生徒たちの手元へ吸い寄せられるように降り、抱えられた灯籠へ次々と触れていく。
すると一つ、また一つと灯火が生まれ、やがて広場全体が無数の光で満たされた。
誰かが感嘆の声を漏らし、それに続くようにあちこちで歓声が上がる。
私も思わず見入っていた。先日から作り続けていた灯籠の中で揺れる火を見つめながら、その美しさにしばし言葉を失う。
そんな中、隣から聞き慣れた声が響いた。
「……こんな派手な演出今まであったっけ」
陸莉の冷静な声に我に返り、私も火の鳥を見上げて返す。
「絶対アドリブでしょ……」
「だよね」
「だと思う」
神事としては間違いなく正式な手順を踏んでいるはずなのに、あの鳥だけはどう考えても予定調和とは思えない。
生徒たちの隙間から広場の中央を見ると、当の煉弥は祭火の前に立ったまま満足気に胸を張っていた。
頭上では火の鳥が最後の一周を描きながら夕空へ溶けるように消えていき、その残滓のような火の粉だけが静かに降り落ちる。
そして無数の灯籠に灯った光は、夜の訪れを静かに照らしていた。
火の鳥による点火の余韻を残したまま、生徒たちは灯籠を手に河畔へと移動を始めた。
昼間は神聖な祭儀で厳かだった雰囲気も、夜が近付いた今はどこか浮き立つような空気に包まれており、友人同士で談笑する声や灯籠を大事そうに抱える姿があちらこちらで見られる。
河へ近付くにつれて周囲は次第に暗くなり、水面には既に到着した人々の灯りが映り始めていた。
生徒たちは岸辺へ並び、それぞれ願いや祈りを胸に灯籠を流していく。
穏やかな水面は夜空を映す鏡のように静かで、そこへ浮かぶ無数の灯火が揺らめく様子は、まるで星々が水の上へ降り立ったかのようだった。
周囲を見渡す。
けれど私が探している姿はまだ見当たらない。
「水筑様はまだ?」
「みたいで」
「先に流す?」
「……もう少し待つ」
陸莉は何も言わずに頷いて、「私は行ってくるね」と言い残して灯籠を流しに河畔へと向かった。
護家の祭事は学園行事とは比較にならないほど大掛かりだ。参拝客の対応もあるだろうし、最後の後片付けまで含めれば簡単に抜け出せるものではない。
頭ではそう理解している。理解しているのだが、それとは別に少しだけ気になってしまう自分もいた。
約束そのものを疑っているわけではない。だから心配しているわけではない。
ただ、まだ姿が見えないというだけだ。
そう自分へ言い聞かせながらも、気付けばまた人の流れの先へ目を向けている。
人混みの向こうに似た背格好を見つけるたび目で追ってしまい、違う人物だと分かるたびに小さく肩の力を抜いていることへ気付いてしまう。
吹き上げる夜風が髪を揺らした。
私は小さく息を吐きながら灯籠を抱え直し、ゆっくりと列の進行に合わせて歩き出した。
湖面には無数の灯が揺れている。
思えば最近はずっとこうだった。
禊祓の前からだ。煉弥がきてからずっと放っておかれている気がする。
以前なら当たり前のように隣にいた時間が減ったのは事実だ。気付けば煉弥と行動している姿ばかり見ている。
仕事で忙しいのは仕方ないし、煉弥のことだって、ちょっかいをかけてくる彼に婚約者として盾になってくれていることもわかっている。
……もういいか。
そのうち会えるだろう。
そう諦めて岸辺へしゃがみ込み、そっと灯籠を水面へ近付けた、その時だった。
