八十八年目の星結び


「御身の御婚約者様を危機に晒した此度の不始末、お詫びのしようもございません。処分は如何様にも」
 あれほど私を囮にしたことを悪びれもせず語っていた人間と同一人物とは思えないほど、その声音は真摯で、責任を負う覚悟に満ちている。

 晶佳にとって私個人への遠慮や情けは必要ないものなのだろう。
 だが汐凪の婚約者であり、再誓の儀を担う存在を危険へ晒した責任となれば話は別であり、そこには彼女なりの明確な線引きが存在しているらしかった。
 深く頭を下げたまま動かないその姿を見下ろしながら、私は何とも複雑な気持ちになる。

「あー……」
 沈黙が長引く前に何か言わなければと思っただけなのだが、その一言で晶佳が露骨に嫌そうな顔をした。無視した。
「禊祓の準備の息抜きに晶佳と遊んでたんですけどぉ、知らん人に急に襲われてぇ……晶佳が助けてくれたので私は無事だったんですけどぉ……」
「ちょっと。貴女に庇い立てされる謂れはないわよ。黙ってなさい」
「ほんとこいつ」
 反射的に呟いてしまう。
 人を囮にした挙げ句、助け舟まで拒否するとは何なのだろう。

「依玖」
 私は反射的に背筋を正し、汐凪へ顔を向ける。
 彼は困ったように小さく息を吐きながらも、真っ直ぐこちらを見ていた。
「彼女の言う通り、君を危険に晒したのは間違いない。それは許されることじゃない。護家としても、俺個人としても、だ」
「それは……」
 思わず言葉に詰まる。
 護家として試練の成功を守る責務があり、婚約者として私を守る責任もある。汐凪の立場を考えれば、その判断は当然だった。

 それでも私は小さく首を振る。
「でも、実際私は何もしていないし、怪我の一つもないので」
 確かに危険な目には遭った。
 だがその危険を作った本人が、同時にその場で私を守った人間でもある。援軍も用意していた。
 私も手紙を見て罠だと理解した上で来たし、完全に何も知らなかったわけでもない。

 私の返答を聞いた汐凪はしばらく黙り込み、その沈黙の間に周囲の空気まで静まり返る。
 やがて彼は観念したようにはあ、と息を吐いた。
「わかったよ。家には依玖の言った筋書きで伝えよう」
「あ、ありがとうございます」
 胸を撫で下ろしながら頭を下げると、汐凪は小さく苦笑した。
 おそらく完全に納得したわけではないのだろう。それでも私の意向を汲んでくれたことが分かり、その気遣いがありがたかった。

 そして彼は改めて膝をついたままの晶佳へ向き直ると、先ほどまでよりも僅かに厳しい目を向ける。
「ただ、これは功績にもならない。不始末と相殺だ。いいね」
 晶佳は数秒だけ沈黙し、それから再び、深く頭を下げた。
「寛大なご裁定、感謝いたします」



 ほどなくして、汐凪が呼んでいたらしい浦霧が増援の人員を連れて姿を現した。
 彼は周囲の状況を一目確認すると、大きく肩を竦める。
「思ったより大漁ですね」
 軽い一言の後に拘束された男たちは順番に回収され、封印具や拘束具を追加で取り付けられていく。

 地面に転がされていた男たちが順番に運ばれていく光景を眺めながら、私はふと気付いた。
 そのうちの一人が小さく呻き声を漏らしたのである。
 閉じられていた瞼が震え、焦点の定まらない目がゆっくりと開いていく。意識が戻ったらしい。

 ちょうど良い機会だと思った。
 だが同時に、相手はつい先ほどまで本気でこちらを襲っていた人間でもある。
 そこで私は自然な流れで晶佳の腕を掴み、そのまま前へ押し出した。
「ちょっと。何盾にしてるのよ」
「貴女なら盾にしても良心は痛まないから」
 即答すると、晶佳は心底嫌そうな顔になった。
 だが結局は私を押し退けることもせず、一歩前へ出て男へ警戒の視線を向ける。いつでも術式を展開できるよう意識を張り巡らせているのが分かった。私は安心してその背中に隠れた。

 先ほどまで気絶していた男も状況を理解したのだろう。拘束された両手を僅かに動かしながら周囲を見回し、逃げ場がないことを悟ったように顔を歪める。

「ねえ」
 私が声を掛けると、男は警戒するように顔を上げた。
 憎しみと敵意を隠そうともしない眼差しだ。私はその目を見つめ返しながら、以前から胸に引っ掛かっていた疑問を思い出す。
「どうして、そんなに神獣様を憎むんですか」
 男は答えない。
 それでも構わず言葉を続ける。

「神獣様に何かされたんですか」
 静かに尋ねると、男の目が僅かに揺れた。
 それは怒りだったのか、それとも別の感情だったのか。判別できないまま、私は答えを待った。
 隣では晶佳が依然として警戒を解かず、すぐ後ろでは汐凪たちもこちらの様子を窺っている。

 男はしばらく黙っていた。答える義理などないと思っているのだろう。唇を引き結んで、こちらを睨んでいた。
 それでも、口が開いた。
「神獣がいるから名家がある」
 絞り出すような声だった。
「神獣がいる。それだけで名家は特別になる。神獣に選ばれた血筋だと、神獣に仕える家柄だと、そういう理屈で何もかもが決まる」
 声に滲むものが変わっていた。怒りの輪郭は同じでも、その芯にあるものが違う。

「俺の父親は腕一本で生きてきた庭師だった。だがある時、勤め先の名家の若造と揉めた。些細なことだった。それだけのことで、仕事を失った。家を追われた。名家に逆らった者として、どこへ行っても門を閉められた」
 男の声は荒れていなかった。だからこそ、重い。

 斎祀は必ずしも護家の人間から選ばれるわけではない。
 在野の人間が斎祀に選ばれた現れた場合には、婚姻や養子縁組を通じて護家の一員として迎え入れる慣習だった。それは権威の保持のためでもあるが、主たる理由は保護のためだ。
 しかし、そうして増えていった分家や傍流のすべてが、本家と同じ気質を受け継ぐわけではない。
 大樹が大きく枝を広げれば広げるほど、その枝先には時として品位を欠いた実が生ることも避けられないのである。

「神獣のご加護があればこそ平和に生きられるのだと言う者はいた。だが父には関係のない話だった。神獣に選ばれた血筋でも、由緒ある家名でもなかったから。それだけの理由で」

 重く沈んだ空気の中、けれどその話を黙って聞いていた晶佳は特に同情を示すでもなく、冷めた眼差しのまま男を見下ろしている。
「つまり八つ当たりってことね」
 あまりにも容赦のない一言だった。
 男の表情が険しくなるが、晶佳は怯むどころか首を傾げる。
「神獣様がその人間に、そうしろと命じたの?」
 冷静な問いだった。感情を逆撫でするためではなく、本当に確認しているだけの声音だったからこそ余計に鋭い。

「神獣様の名前を使って人を踏みにじったのは人間でしょう。その怒りをぶつける先を間違えてるわ」
 いや、正論なのだろう。
 名家の若者が横暴だったとしても、それはその人間の問題であって神獣の問題ではない。神獣の権威を利用した者がいたとしても、それは利用した側の罪だ。
 だが男は鼻で笑った。
「お前も名家の人間だろう。その体制の内側にいる人間に、俺たちの何が分かる」

 男は拘束されたまま身を起こそうとし、叶わずに舌打ちすると、吐き捨てるように続けた。
「神獣なんてものの実態が誰にも見えないから、都合のいい権威として使い放題だ。おかしいと言えない空気を作って、従わせて、それを信仰と呼んでいる。それを使って威張り散らす連中が、それを疑いもせず有難がる無知な人間どもが、心底気持ち悪い」