八十八年目の星結び


「お、お疲れ様です。資材搬入ですか?」
「火の者は当日の火の管理が担当だからな。その代わり準備期間中は便利屋扱いだ」
 肩を竦めながら答える姿に思わず笑みが零れた。
 周囲を見れば、運搬作業に駆り出されているらしい上級生たちの姿も見える。

 それにしても、こうして二人きりで話すのは思った以上に落ち着かなかった。
 もちろんこれまで言葉を交わしたことがないわけではないし、彼が苦手というわけでもない。
 ただ改めて考えると、いつも隣にいる汐凪が会話を遮ってさらってしまうので、まともに会話らしい会話はしたことがない気がする。

 細やかな緊張が胸の内側へじわりと広がっていく。その感覚に加えて、なぜだか小さな罪悪感のようなものまで浮かび上がってくるのだから自分でも不思議だった。
 別に隠れて会っているわけでもなければ後ろめたいことも何一つない。
 それなのに、まるで見つかってはいけないことをしているような妙な居心地の悪さがある。

 そんなことを考えているうちに、煉弥は近くへ歩み寄り、ベンチの上へ視線を落とした。
 私の横に並べられた灯籠の枠を順番に眺めた後、そのうちの一つを手に取る。
「ほう」
 小さく漏れた声とともに、彼は完成品を様々な角度から眺め始めた。
 その仕草がやけに真剣だったせいで、何か不備でも見付かったのではないかと不安が胸を掠める。
 見本通りに作ったつもりではあるが、素人目では気付かない欠陥があったのかもしれない。

「何か変でしたか」
 少しだけ緊張しながら尋ねると、煉弥は小さく首を振った。
「いや。思ったよりずっと丁寧に作っている」
 予想していた指摘とは正反対の言葉だったため、一瞬だけ返事に詰まった。
「指示書通りにやっているだけですよ」
「それができる人間ばかりなら苦労はない」
 そう言われて周囲を見回すと、少し離れた場所では寸法の合わない部材を前に首を傾げている生徒がおり、別の場所では歪んだ木枠を修正しようとして頭を抱えている集団まで見える。

「月日が経てば変わることもあるかと思ったが、あの時と変わらないようで安心した」
 穏やかな声音で告げられた言葉に、私は思わず瞬きを繰り返した。
「……例の、私が忘れているという?」
「無理もない。お前はまだ幼かった」
 同い年のはずなのだが、妙に反論しづらい。
 実際、幼い頃の私は今以上にのんびりしていて、人の顔や名前を覚えることにもあまり熱心ではなかったから、彼のことも綺麗さっぱり忘れていても不思議ではなかった。
 まして彼のような優秀な人間の記憶力には敵うべくもない。

 煉弥は小さく笑うと、薄く霞んだ記憶の向こうに手を伸ばすように目を細める。
 その顔には普段の余裕とは少し違う、柔らかな色が滲んでいた。
「お前はオレに向かって啖呵を切った」
「啖呵ですか?」
「ああ」
 煉弥はどこか楽しそうに笑う。
「斎祀の婚約者として、隣に立つ者として相応しくあるよう努力するのだと、随分真っ直ぐな目で言っていた」
「そんなことを……」
 言ったのだろうか? 思わず首を傾げる。
 今の私なら口にしていても不思議ではない気もするものの、覚えていないような時期の自分にはいまいち結びつかない。

 けれど煉弥の語る幼い私は、少なくとも彼の記憶の中ではひどく鮮明な姿を保っているらしかった。
「私など、と前置きしながらも、お前は最後まで下を向かなかった。斎祀の隣に立つなら、それに相応しい人間になるだけだと言っていたな」
 その言葉には当時抱いた感情が今なお色褪せず残っていることが感じられ、私は少しだけ居心地の悪さを覚えながら視線を逸らした。
「自分で考え、自分で決めていた。あの年齢であれだけ真っ直ぐ言い切れる人間はそう多くない」
 褒められているのだろうが、当の本人にはその自覚も実感もなく、ましてや立派な志を抱いていた覚えなどほとんどないのだから反応に困る。
「オレは、その心意気に感銘を受けた」

 しかし煉弥はそんな私の戸惑いを気にした様子もなく、どこか眩しいものを思い出すように目を伏せた。
「当時、オレは斎祀に選ばれたばかりでな。自分で言うのもなんだが、驕っていた部分があった」
 その声音には自嘲が混じっていたが、不思議と重苦しさはなく、過去の未熟さを受け入れた者だけが持つ静かな落ち着きがある。

「周囲から持ち上げられ、期待され、神獣に仕える者として選ばれたことを誇りに思っていたし、それ自体は間違いではなかった。ただ、知らぬうちに自分は特別な人間なのだと思い込んでいたのだろうな。努力しているつもりでいても、どこかで他人を見下していた」
 煉弥は当時の自分を思い出したのか、微かに笑った。
「オレは選ばれたことに価値を見出していたが、お前は選ばれる前に、自分自身で立つことを決めていたからだ」

 だがその邂逅の直後、彼は帰国することになったらしい。
 そして帰国した先で、汐凪の婚約者が正式に決まったという知らせを受け取ったのだという。
「そこで初めて、お前の名前を知った」
 静かな声音には不思議な熱が滲んでいて、私は返事をすることも忘れて耳を傾けた。

「だから本当は、もっと早く会いに来るつもりだった」
「会いに?」
「口説くために」
 あまりにも自然に放たれた一言に心臓が跳ね、私は思わず咳き込みそうになる。

「もっとも、そう簡単にはいかなかったがな」
 煉弥は苦笑を浮かべながら肩を竦めた。
「斎祀という立場上、国外へ出るだけでも面倒な手続きが山ほどある。護衛の選定から各方面への根回しまで必要になるし、オレが行きたいと言った程度で動けるものではない」
 本人の意思だけではどうにもならない事情が幾重にも絡み合い、計画は立てては流れ、立てては延期されることを繰り返したらしい。

「その間にも時間だけは過ぎていく」
 そう呟いた声には、当時の焦燥が滲んでいた。
「お前を奪うためには、出来るだけ早く動く必要がある。夫婦舞の後任が要るからな」
 さらりと言われた内容は全くさらりとしていなかった。

 婚約というだけならまだしも、神事を通して公に認められれば周囲の認識も決定的なものとなり、その後に割って入ることは今より遥かに難しくなるだろう。
 だからこそ、その前に動かなければ本当に手遅れになると思ったのだと、煉弥はどこか開き直ったような表情で笑った。
「だから留学を決めた。今が最後のチャンスだと思ってな。無理矢理出てきた」

 国外へ出るためにどれほどの手続きや根回しが必要なのかは私にも分かる。
 それを「無理矢理出てきた」の一言で済ませる辺り、きっとその裏では相当な騒ぎが起きていたに違いない。
「えぇ……」
 ようやく絞り出せたのは、それだけだった。
 しかし煉弥はそんな私の反応さえ予想していたのか、くつくつと楽しそうに笑いながら、少しも反省した様子を見せなかった。