憧れだった、普通の放課後ー「アオハルな恋とウラらかな復讐」番外編ー

 「女装・男装喫茶」の看板が、窓から差し込む夕陽に照らされる。
 喫茶店のように飾り付けられた教室の中央で、クラスメイトに囲まれた委員長が拳を突き上げた。

「みんな、明日はいよいよ文化祭だ。頑張ろう!」
「おーっ!」
 
クラスメイトたちもやる気に満ちた表情で声を張り上げた。
 1カ月。みんなで作り上げてきた喫茶店。男装で接客は恥ずかしいけど、みんなのために頑張らないと。
 それと……。

「鹿島君たち、長宮さんはステージ頑張って!」

委員長が期待に満ちた顔でプレッシャーをかけてくる。
 普通で平凡な高校生活を送りたかっただけなのに、葵と晴の父親と理事長のせいで、私までステージに上がることに……。
 言い合いをしながらも、寝不足になりながらも、なんとか準備は整った。
 きっと、上手くいく、はず。

「アオさま、ハルさま、応援してるね!」
「長宮さんも頑張ってね」

次々と声をかけて教室を出ていくクラスメイトたち。

「あ、うん。ありがとう」

麗はぎこちなく笑って、手を振った。
 入学初日から最恐最悪の双子のせいで、憧れていた普通の青春が壊された。
 でも、文化祭のおかげで、少しだけクラスに馴染めた気がする。
 
「レイ。ステージ楽しみにしてるよ。また明日」

手を振る恵に、麗は静かに微笑んで手を振り返した。

「うん。バイバイ」

メグはもう、放課後一緒に帰ろうと誘ってくることはなくなった。
 クラスメイト以上、友達未満。それでいい。その距離がちょうど良い。
 
 壁に掛けられた鏡に目を向ける。自分の薄茶色の瞳が、こちらを見つめている。
 ——父親に似た瞳。
 私の人生を壊した元凶。
 胸の奥に閉じ込めた黒い影が、顔を覗かせようとする。
 ……隠さなきゃ。
 前髪を留めているヘアピンを取って、ポケットにしまう。
 重たくて長い前髪が目を覆う。
 
 明日は、この瞳をさらけ出す。
 みんなの期待に応えるために。

 でも……。

 ちゃんとできるかな。
 セリフとんだらどうしよう。
 せっかく頑張ってきたことが台無しになっちゃう。
 みんなに失望されるかも。
 すぐ帰ってセリフの確認しなきゃ。
 
 はやる気持ちが血管の中を全力疾走で駆け抜ける。
 麗は鞄の持ち手をぎゅっと握り締めた。
 その手は微かに震える。そこに、晴が自分の手を重ねてきた。
 
「麗ちゃん、準備頑張ったね。ご褒美に、僕とデートしよう」
「嫌。したくない」

晴の手をどかして眉をひそめる。手の震えは自ずと止まった。

「えー、即答? カラオケ、ボウリング、ゲーセンがある所で遊ぼうと思ってたんだけど。クレープ屋もあるらしいよ。制服で遊びにい行って、クレープ食べるの、憧れだったんじゃない?」

本心を見透かすような晴の艶やかな瞳。麗はビクッと肩を震わせた。
 
 正直、行ってみたい。
 まさしく憧れていた普通の青春っぽい放課後そのもの。
 友達じゃなくて、晴っていうのは嫌だけど。

「帰るぞ」

葵が強引に手を引っ張る。

「ちょっと、待ってよ」

麗が葵の手を振り払おうとしたが、びくともしない。

「麗ちゃんは僕とデートするんだから、アオはひとりで帰って」

麗の手を引き、意地悪そうな笑みを浮かべる。

「はあ? こいつは俺のモノだ」
「僕のモノでもあるでしょ」

また始まった。6年前から変わらない。いつまでたっても私は”モノ”。

「3人で行こうよ」

呆れ顔で言うと、葵はしかめっ面をして、晴はにんまりほくそ笑んだ。

「しかたねえな。そんなに行きたいならついてってやる」

別に頼んでないし。上から目線の言い方は昔から変わらない。ほんと、暴君。

「アオは邪魔だけど、麗ちゃんがそう言うなら仕方ないか」

晴は肩をすくめ、葵の隣に並んで歩き出す。
 6年前からいつも私の行く手を阻む2人の背中。
 下僕扱いでこき使われてきたし、信頼を裏切られて傷つけられてきた。いつか復讐してやる。そう思っているのに。
 どうして、安心しちゃうの……。
 
 
 葵と晴の後についていくと駅前の繁華街に入っていく。様々な制服姿の同年代が行き交う。お揃いのキーホルダーを鞄につけた女子たちが、クレープやフローズンドリンクを片手に笑い合いながらすれ違う。

 まさに憧れの普通の高校生。
 私もいつか、あんなふうに友達とできたらいいな。

 女子たちは葵と晴にちらちらと目線を送り、頬を染めている。
 葵と晴は女子たちには目もくれず、人混みの中をすいすい進んでいく。

「ここだよ」

晴が足を止めた先には、5階建てのアミューズメント施設がそびえ立っていた。1階はゲームセンターで、2階から上の窓には、カラオケとボウリングの文字が目立っている。
 開放的な入口から中に入ると、外まで響く大きなBGMに圧倒される。大量のクレーンゲーム機が所狭しと置かれている。奥にはリズムゲームやシューティングゲーム、プリクラの台もある。 

 こんなところに友達と来てみたかった。
 おそろいのぬいぐるみをクレーンゲームでゲットして、プリクラ撮って、クレープ食べながら帰る。 恋バナしたり、勉強とか家族の愚痴を言って盛り上がれたら楽しいだろうな。 

 麗の目にはどれもがキラキラと輝いて見える。
 もっとよく見ようと、ヘアピンで前髪を上げて目を凝らす。
 すれ違う他校の制服を着た男子たちが、麗に目を留めてにやけた顔をする。葵は咄嗟に、麗を背中に隠すように立ち塞がり、晴がヘアピンを奪った。
 麗の視界は再び前髪に覆われた。

「返してよ」
「だーめ。これは没収」

晴は口角を上げ、自分のポケットにしまった。

 ひどい! 私のなのに! 

 地団駄を踏んで晴を睨むが、飄々とした笑顔でさらりとかわされた。

「カラオケとボウリング対決して、ビリの人がクレープおごるっていうのどう?」
「俺はやらねえ」
「自信ないんだ。アオは音楽の成績悪いもんね」
「悪くねえよ!」
「へえ。なら、カラオケの採点で実力見せてよ」
「……1曲だけだからな」

さすが晴。葵の扱いを熟知している。乗せられやすい単純脳細胞なんだから。

「麗ちゃんもやるよね? やらないとおごり決定ね」
「……選ぶ権利ないじゃん。何もしないでおごりたくない」
「じゃあ、お手並み拝見。楽しみにしてるね」

これが求めていた青春なんでしょと言わんばかりの、見透かしたような笑み。
 認めたくないけど、その通り。
 癪に障る。
 でも、頬が緩む。
 カラオケもボウリングもやったことないけど、聞こえてくる声は楽しそうに弾んでいる。
 この空間にいるだけでも、小さな夢が叶ったみたいで心が躍る。
 目の前にいる葵と晴も、いつもとは違って普通の高校生に見える。
 
 ――はずなのに。
 
 聞き慣れない晴の透き通った歌声が、耳について離れない。
 ストライクをとる度に小さくガッツポーズする葵のドヤ顔から、目が離せない。

 心臓がきゅっと締め付けられるのはどうして……。
 浮かれすぎておかしくなったのかな。
 あの2人がちょっと眩しく見える。
 
「麗ちゃん、好きなの選んで」

クレープ屋の前で、晴がメニューを見せてきた。

「うわぁ……!」

イチゴ、バナナ、チョコ、キャラメルの甘いものから、ツナサラダ、タコス、フランクフルトのしょっぱいものまで、何種類ものクレープがある。全部がキラキラして見える。

「どっちも2位だったくせに、喜んでじゃねえよ」

葵が鼻で笑って、麗の頭を小突いた。

「いいじゃん。カラオケはアオが最下位、ボウリングはハルが最下位だったんだから。2人からおごってもらえるんだよ。喜んで当然でしょ」
「麗ちゃんって、案外何やっても”普通”だよね」

満面の笑みで晴が嫌味を言ってくる。
 誉め言葉じゃないことは分かっているけど、”普通”は私にとって特別な言葉。全然、悪い気がしない。

「にやけてないでとっとと決めろよ」
「にやけてないよ」

葵に言われて頬に手を当てると、小さなえくぼができていた。

「麗ちゃんが好きそうなの買ってきてあげるよ」
「待って!」
 
晴にメニューを奪われそうになり、麗は慌てて避けた。

「自分で選びたい」

せっかく選ぶ権利があるんだから。誰かに決められるのはもう嫌。自分のことは自分で決める。
 とはいえ、こんなにあると迷う。目移りして全然決められない。

「全部食べたい!」
「はあ? 食べきれねえだろ」
「欲張りだねえ」
「だって、どれもおいしそうだから」

呆れ顔の2人から目を逸らす。

「全部乗せ、あるよ」

クレープ屋の店主が声をかけてくれ、麗は目を輝かせた。

「それ、お願いします!」
「あいよ」

手際よく作ってもらった全部乗せには、甘いのもしょっぱいのもてんこ盛りで、ずっしりと重い。

「すごい! 見てみて。本当に全部のってる!」
「うわあ。ひくほどすごいね」
「うまいのか、これ?」
「おいしいよ。食べる?」

ついテンションが上がって差し出してしまった。

「いいの? いただきまーす」
「味見してやるか」
 
晴は甘い方を、葵はしょっぱい方を、遠慮なく大きな一口でかじりついた。一気に半分がなくなってしまった。

「食べすぎ!」
「まあまあだね」
「腹の足しにもならねえな」
「あげなきゃよかった……」

肩を落として項垂れる麗の前を、大きなくまのぬいぐるみを抱えた親子が通り過ぎていった。目の前にあるクレーンゲームの景品のようだ。
 私もぬいぐるみとってもらったな。全然取れないのに必死になって。取れた時はすっごく嬉しかった。
 あのぬいぐるみは、喫茶店と一緒に置いてきた。楽しい思い出は全部、過去のもの。

「あれ、欲しいのか?」

くまのぬいぐるみが積まれているクレーンゲーム機を、葵が指さした。

「……とってくれるの?」

葵は返事をしないでクレーンゲームを操作し始めた。
 あのアオが、私のために? まさか、ね。

「くそっ。全然とれねえ」

何回やっても、掴んでは落ちてしまう。だんだん苛立ってきて、クレーンゲームに殴りかからないか心配になる。

「僕にもやらせて」
 
晴もやってみるが、全然とれる気配がない。

「もういいよ。すっごく欲しいってわけじゃないし」
「ここまで課金してやめられるかよ」
「あと少しでとれるはず。……とれなかったら、ネガティブな口コミ投稿するから」

不敵な笑みを浮かべる晴の目が細くなる。
 これは本気だ。これ以上止めても無意味。
 葵も躍起になって、鬼の形相でレバーを慎重に操作している。

「アオ、もう少し右」
「ここか? いきすぎてねえか?」
「いきすぎだよ。下手くそ」
「うるせえな。おまえだってとれねえだろ」
「アオだってとれてないじゃん」

言い合いながらも、葵と晴はガラスに顔を近づけて、真剣な顔でぬいぐるみを睨んでいる。
 肩を寄せ合う2人の背中が、あの頃の自分と父親と重なる。
 他愛もない光景なのに、胸の奥がじんわり温かくなる。

「ふふっ」

自然と笑みがこぼれる。

「とれた!」
「やった!」

葵と晴が同時に声を上げ、ぬいぐるみを麗の前に突き出した。

「すごい! 2人ともありがとう」

ふわふわのぬいぐるみに頬を寄せる。懐かしさが込み上げ、嬉しさと切なさが混ざり合う。それでも麗の顔には、柔らかい笑みが満ちる。
 葵と晴は、一瞬目を瞠る。

「そんなに嬉しいかよ。ガキか」

口調は乱暴だが、葵の瞳の奥は淡く揺れる。

「麗ちゃんは笑顔も似合うよね。……でも、泣き顔の方が好みだけど」

晴が耳元で囁く。
 麗の背筋がぞわりと粟立つ。ぬいぐるみを抱きしめる手に力が入る。一歩後ずさると、葵にぶつかった。

「何してんだよ。帰るぞ」

葵に腕を引っ張られる。

「置いてかないでよ」
 
もう片方の腕を晴に掴まれる。横並びで歩く違和感と、両腕から伝わる熱のせいか、麗の心臓は落ち着かない。

「帰ったらステージの練習する?」
「めんどくせえ」
 
晴に問いかけられ、葵は眉をひそめた。

「やろうよ。ここまで頑張ったんだから、失敗したくない。喫茶店もステージも成功させよう!」

風が吹いて麗の前髪が煽られる。やる気に溢れた麗の薄茶色の瞳に、街路灯の光が反射して煌めく。

「しょうがねえな。付き合ってやるか」

葵が肩をすくめる。
 
「文化祭、何も起きないといいけど」

口角を上げる晴が、小さく呟いた。
 
 憧れていた”普通”の高校生活に、指先が触れる。
 もう少しで手に入りそう。
 文化祭が成功すれば、きっと私もクラスの中に、学園の中に溶け込める。
 
 ――忘れてないよね?

 胸の奥の深い闇から、影が揺らめく。
 復讐を誓う私の本心が、静かに微笑む。
 
 この時、私はまだ知らなかった。
 復讐の先にある深淵の闇が、すぐそこまで来ているということを――。