龍棲宮の主

 翌日の午前。
 前世の記憶を刺激することが、龍神としての能力覚醒に繋がるかもしれない。そんな三原隊長の提案によって、私は再び龍棲宮を訪れた。

 三原隊長と鈴木さんも一緒だ。
 正門前へ立ち、私は端末へ送られてきた龍棲宮の見取り図を確認する。

 表示されたマップには、無数の部屋と廊下がびっしり並んでいた。
 庭園まで含めれば、もはや小さな城みたいな規模だ。

「どこから見ていくか迷ってしまいますね」
「——とりあえずまずは、庭園に行ってみよう」
 自身の端末でマップを眺める三原隊長の発言に賛同し、鈴木さんと一緒に彼の後に続いた。



 高い塀のそばに苔むした石灯籠。
 濁った水が揺れ、縁には落ち葉が積もっている大きな池。
 石畳の隙間からは雑草が生え、周囲の木々は伸び放題で枝葉が空を覆っている。
 訪れた日本庭園は長い間手入れされていないせいか、記憶の中で見た美しさは今は見る影もなく、全体的に荒廃していた。

「だいぶ荒れてますねー」
 鈴木さんが周囲を見回しながら呟く。
 足元の雑草を避けるように歩きつつ、少し残念そうに眉を下げていた。

「最後の龍神が亡くなってから、まともに管理されてないからな」
 三原隊長が頭をボリボリと掻く。
「これじゃ当時の景観とはだいぶ違うだろ。望みは薄そうだな」

 がっかりしている二人の声が、途端に遠くなる。
 気付けば私は吸い寄せられるように、石畳の通路を駆け出していた。
「辰巳くん?」
 背後で三原隊長の声が聞こえる。
 けれど足は止まらなかった。

 ――たしか、この辺りだったはず……。
 ぴたりと止まった場所は、記憶の中で白い服を着た二人が立っていた場所。

 空を見上げる。
 枝葉の隙間から淡い陽光が零れている。
 風が吹き、木々がざわりと揺れた。
 私はゆっくり屋敷の方へ視線を向ける。

 追いついてきた三原隊長と鈴木さんが私の隣へ並んだ。二人共、不思議そうにこちらを見ている。
 私はその視線を気にも留めず、屋敷の二階部分——そこにある窓の一つを指差して、はっきりとこう口にした。
「あそこに行ってみたいです」



 目的地は先程の庭園とは違い、ほぼ記憶のままの光景だった。
 大量の絵と無造作に置かれた画材道具。
 さすがに長年放置されていたせいで、あちこち埃を被っており、窓も閉め切った状態だけど。

「わっ、すごい。絵がたくさん」
 鈴木さんが目を輝かせながら室内を見回す。
 壁際には大型の油絵が何枚も立て掛けられ、床にも描きかけらしいキャンバスが置かれていた。

 彼女は興味津々といった様子で、その一枚へ顔を近付ける。
「これ、全部龍神様が描いたんですかね……?」
「龍神のアトリエだってよ」
 三原隊長が端末で見取り図を確認しながら答えた。
「龍神の?」
 反射的に聞き返す。
「ああ。歴代の龍神様は、みんな絵を描くのが趣味だったらしい」
「へぇ……」

 私も絵を描くのが好きだ。
 小さい頃から自然と筆を取っていた。誰に教わったわけでもないのに。
 生まれ変わっても、趣味嗜好は変わらないということだろうか

 近くにあった絵を何枚か見て回る。
 一枚目は月夜の湖を描いた油絵。深い青の中へ銀色の月光が滲み、水面が穏やかに揺れている。どこか幻想的で、見ているだけで吸い込まれそうになる絵だ。

 二枚目は雪の降る山道。白一色の世界の中、赤い番傘だけが鮮烈な色を放っていた。

 三枚目は龍棲宮の庭園を描いたもの。今とは違い、木々は丁寧に整えられ、池の水も透き通っている。

「どうだ? 何か思い出せそうか?」
 三原隊長がこちらを見る。
「うーん……」
 小さく唸ることしか出来なかった。
 既視感があるようなないような……。
 断言するには自信がなくて、頭の中にモヤがかかっているような感覚だった。

「もっと他も見てみましょ、あそこの机とか」
 鈴木さんがぱっと顔を上げ、部屋の右側を指差す。
 壁際に大きな木製机が置かれていた。濃い飴色の木材で作られていて、長年使い込まれたような艶がある。そこには三段式の引き出しが備え付けられていた。

 机へ近付く。天板の上には何も置かれていない。埃だけが積もっている。
 引き出しを見てみる。
 まずは一番下の大きな引き出しから。
 中は空だった。

 続いて二段目。
 こちらには画用紙の束が入っている。
 私はそのうちの一枚を取り出した。
 少し黄ばんでいるだけの、なんの変哲もないただの紙だ。じっと見つめてみても、特に何かを思い出す気配はない。

 そして最後に、一番上の引き出しへ手を掛けた。
 中に入っていたものを見て、私は目を瞬かせる。
「スケッチブックだ」

 厚紙で出来た表紙。角は擦り切れ、長年使われていたことが分かる。
 私はそっと手に取り、中を開いた。
 そこにはページいっぱいに鉛筆画が描かれていた。

 庭園の風景。池で泳ぐ鯉。縁側に留まるスズメ。そのどれもが精巧に描かれている。

「どうですか?」
 鈴木さんが正面に立ち、期待を込めた目でこちらを覗き込んでくる。
 私はスケッチブックへ視線を落としたまま、小さく首を振った。
「特に何も……」

 微塵も記憶が蘇る気配がない。
 この場所へ来れば、何か決定的なものを思い出せるかもしれない。そう期待していたけれど、どうやらそんなに簡単な話ではないらしい。

 半ば諦めながら、ページをぱらぱらとめくっていく。
 そのときだった。
 あるページで、ぴたりと手が止まる。

 あまりの衝撃にスケッチブックを落としそうになった。
 そこに描かれていたのは、一人の男性を様々な角度から描いたものだった。
 横顔。伏し目。振り返る姿。
 どの絵にも、描き手の強い執着みたいなものが滲んでいる。

 男性は白いジャケットに白いスラックス、白い手袋を身につけていた。唯一、ネクタイだけが黒い。
 どこか実動部隊の制服をほぼ反転させたような服装だった。
 短く整えられた黒髪。
 切れ長の瞳には眼鏡がかかっている。
 この静かな雰囲気を纏った青年に、ひどく見覚えがあった。

 頭が真っ白になる。
 なんで。
 どうして。

「どうした?」
 三原隊長が怪訝そうに声を掛けてくる。
 私は答えられなかった。
 異変を察したのか、三原隊長と鈴木さんがこちらへ歩み寄り、スケッチブックを覗き込んだ。

「――!? これって……」
 鈴木さんが目を見開く。
 口元へ手を当て、驚いたように私と絵を交互に見た。
 三原隊長も僅かに眉を上げる。
 そして、ぽつりと呟いた。

「……君のお兄さんにそっくりだな」

 不意に、頭の奥へ映像が流れ込んでくる。
 ——あ、まただ……。
 視界が揺れる。

 視点の主——前世の私がアトリエの窓に手をかける。
 袖から覗く両腕の青白い鱗が、陽光を受けて淡く輝いている。
 白い指先には紙飛行機が握られていた。

 視線が庭園へ向く。
 下には二人の人物が立っている。どちらもスケッチブックの男性と同じ白い制服を着ていた。
 何か話し込んでいる。上手く聞き取れないけれど、雰囲気だけで分かった。あまり穏やかな内容じゃない。どこか陰鬱な空気が漂っている。

 それが気に食わなかったのか、前世の私は手にしていた紙飛行機をひょいと投げた。
 ふわり、と白い紙が空を滑る。

 そして、コツンと一人の頭へ直撃した。
 ぶつけられた本人は足元へ落ちた紙飛行機を拾い上げると、ゆっくりこちらを見上げた。
 そこで初めて、その顔がはっきり見える。

 スケッチブックの中の彼——陣にそっくりな人だった。