龍棲宮の主

 受け身を取った後、間髪を入れずにこちらへ急降下してくる嘴霊へ銃を向け引き金を引く。
 たが奴は弾丸を(くちばし)で咥えて止めやがった。

 鋭い切っ先が喉元を貫こうと迫ってくる。
 弾は今ので最後だ。俺は迷わず銃を放り捨て、床を転がって間一髪かわした。

 奴が床へ突き刺さった刀を抜こうとしている間に立ち上がり、周囲を見回す。
 落ちてきた先はどうやら会議室らしい。
 長机と椅子が規則正しく並ぶ空間で、天井から崩れ落ちて無惨に転がっている瓦礫はひどく場違いに見えた。

 その中を嘴霊が黒い翼を広げ、縦横無尽に飛び回る。
 速い、あまりにも速すぎる。
 視界の端を黒い影が掠めることで、ようやく居場所を把握できる程度だ。
 追うだけで精一杯だった。

 ふと、壁へ視線が止まる。
『お前、奥村仁の転生体か?』
 嘴霊が飛び去った跡に、黒い文字が刻まれていた。

「だったらなんだ!」
 叫び返したその直後、床へ新たな文字が浮かび上がる。

『晴らす! 俺の喉を潰した恨み!』

 ——ああ、そういうことか。
「おいおい、当の本人はとっくに死んでるってのに。お門違いもいいところだな」
 これまでの人生で感じたことないほどの殺気を浴びながらも、俺は不敵に笑ってみせた。
 怯えを悟られたら終わりだ。

 机の天板へ新たな文字が走る。
『お前を殺す理由など、憎き相手の生まれ変わりというだけで事足りる』

 直後、背後から気配。
 反射的に刀を振るう。だが手応えは浅い。
 斬れたのは奴が盾代わりに差し出したスケッチブックだけだった。

 舌打ちする間にも、黒い影は再び部屋中を飛び回る。
 壁へ、机へ、床へ。至るところへ怨嗟の言葉を書き殴っていく。

『子孫がいれば末代まで』
『生まれ変わりならその魂が輪廻から外れるまで』
『新たに会得したこの力で、祟り殺してくれる!!』

 頭上から降ってきた襟巻を払いのける。
 その一瞬の死角を利用して、嘴霊が接近してきた。
 互いの刀が触れ、激しく火花を散らす。

 視線は自然と奴の首へ。
 黒い肌に残る、横一直線の傷痕。
 喉を裂くように刻まれた古傷。

 間違いない。あれは、前世の俺が付けた傷だ。

 鍔迫り合いの最中(さなか)、不意に嘴霊がこちらへ片手を突き出してくる。
 ——しまっ……!
 咄嗟のことで対処出来なかった俺は、その手のひらに書かれた赤文字を直視してしまった。

『麻痺』

 文字の意味を理解した途端、全身を電流が駆け抜けるような衝撃が走る。
「がっ……!」
 膝が大きく震える。指先から力が抜け、刀が滑り落ちそうになるもなんとか堪えた。
 筋肉が言うことを利かない。身体が自分のものじゃないように重い。

 その隙を嘴霊は見逃さなかった。
 腹部へ強烈な蹴りが叩き込まれる。
 勢いよく吹き飛ばされ、長机へ背中から激突した。
 机が真っ二つに折れ、木片が宙へ舞う。
 口の中へ鉄の味が広がる。

 ——くそっ、あの赤文字に言霊の効力があることは分かってたのに……!
 歯を食いしばりながら立ち上がる。
 脚は鉛でも巻き付けられたように重く、腕も思うように上がらない。

 これ以上奴の能力を受けるわけにはいかない。俺は意を決し、ぐっと目を閉じた。
 ——感覚を研ぎ澄ませ。空気の流れで奴の動きを読むんだ。
 呼吸、羽ばたき、床を掠める爪。
 耳を澄ませながら刀を構える。
 普段ならなんてことのない、窓の外から聞こえる激しい雨音にひどく気を散らされる。

 辛うじて一撃目は受け止めたものの、二撃、三撃と続く斬撃に痺れた身体が追いつかない。
 肩口を浅く裂かれ、続いて脇腹へ熱が走った。

 ——あのペンさえ何とか出来れば……!
 文字を書けなくすれば、奴の脅威は大きく削げる。
 俺は手近にあった椅子を手探りで掴み、全力で嘴霊に向けて投げた。
 しかし案の定、奴は易々と避けたようで、その後ろで窓ガラスが割れる大きな音が響く。
 だが問題ない。
 始めから俺の狙いはそれだ。

 麻痺した身体を無理やり屈ませ、刀を横に振る。
 刀身から細枝を斬ったような感触が伝わった。
 俺が狙ったのは胴でも首でもない。
 奴がずっと筆ペンを掴んでいた左脚だ。

 即座に目を開けて、床に転がった左脚から筆ペンを奪い取りそのまま力任せに窓の外へ放り投げた。
 嘴霊の目が見開かれ、奴は迷うことなく砕けた窓から身を躍らせる。

 こうして会議室には俺だけとなった。
 奴が戻ってくる前に打開策を見つけなければ。
 ——落ち着け。あれだけの強力なちから、絶対何かしらの制約があるはずだ。

 荒い呼吸を整えながら視線を彷徨わせる。
 先程奴の脚を斬った際に出来た血溜まりの奥に、白い影が見えた。
 真っ二つになったスケッチブックだ。

 何か手掛かりがあるかもしれないと刀を支えに立ち上がり、藁にも縋る思いで歩み寄る。
 片方を手に取り、乱雑にページをめくって赤文字が書かれているところで手を止めた。

 ——……ん?
 違和感を覚え、文字に顔を近付ける。
 鼻先を掠めたのはインク特有の匂いではなかった。
 つんと刺す、錆びた鉄のような生臭さ。
 ——これ、もしかして奴の血か……?

 ここで脳裏に一つの可能性が浮かぶ。
 ゆっくりと顔を上げ、再び床へ広がる血溜まりへ視線を移した。
 俺の仮説が正しければ——あれを利用出来るかもしれない。

 ◇

 厚い雲に覆われた外。細かな雨が絶え間なく降り続き、建物と垣根の間にある通路を濡らしている。

 その奥で、嘴霊は蹲っていた。
 片手で首を押さえ、苦しげに肩を震わせている。
 指の隙間からはどす黒い血が絶え間なく流れ落ちていた。
 奥村仁が付けた古傷、そこが開いたのだろう。

 傷口から溢れた血は雨水と混ざり合い、アスファルトの上を赤黒く染めていた。
 俺は未だ痺れる身体を引きずりながら、ゆっくりと奴へ近づく。

 足音に気付いた嘴霊が顔を上げた。
 怒りと苦痛に歪んだ顔は「お前、まさか」とでも言いたげだ。

「やっぱり予想通りだったか」
 冷たい目で嘴霊を見下ろす。
「強い言葉を使えば、言霊は自分自身に返ってくる。——その様子だと文字を書いた奴じゃなく、血の持ち主本人に」

 奴が翼を大きく羽ばたかせたと同時に、俺は片手を見せた。
 正確には白手袋の上に書いた赤文字を。

『麻痺』

 嘴霊の身体がびくりと震える。
 翼から力が抜け、まるで糸の切れた人形のようにその場へ膝をついた。

「あのとき——前世の俺達に『死ね』と言わなかったのも、こうなると分かっていたからだ」
 そう、だから俺はその性質を利用して、さっき奴の血で『死ね』と書いたのだ。

 自分の能力によって追い詰められたことが余程屈辱なのか、嘴霊は俺を睨みつけながら「ゔぅ」と低く獣のような声で唸る。
 まだ闘志は残っているようで、右手がすぐそばに転がっていた得物へと伸びていた。

 触れさせるものか。
 俺は一歩踏み込み、奴の首へ向けて刀を振り下ろす。

 一閃の後、ごとんと重い音が雨の中に落ちた。
 地面に転がった首が黒い塵へと変わっていく。
 続いて身体も崩れ、無数の黒い粒子となって雨の中へ溶けていった。

 前世からの因縁を断ち切り、赤黒く染まった水溜まりだけが残されたなか。張り詰めていた力が抜け、がくんと地面に膝をつける。

「——……やってやったぞ、奥村さん」
 これで彼が浮かばれるかは分からないが——少なくとも今の俺は達成感に満たされていた。
 同時に疲労感も。
 傷は痛み、猛烈な怠さが全身に押し寄せてくる。

 けれどまだ終わりじゃない。
 不意に複数の気配を感じ顔を上げる。
 先程俺達が飛び出した窓から、妖怪たちが次々と姿を現していた。

「くそ、ぞろぞろと……」
 歯を食いしばり、よろめきながら立ち上がる。
 嘴霊が死んだことで言霊の影響は急速に薄れつつある。身体を蝕んでいた痺れは少しずつ引いてきた。おそらく退魔能力も使えるようになっているはず。

 だが奴との戦いで心身共にかなり消耗してしまっている。この数を相手にすれば、雑魚とはいえ苦戦は免れないだろう。
 ——それでもここで退くわけには……。
 刀を構え、迫り来る妖怪たちを睨みつけたそのとき。
 左腕の端末が反応した。

 はっとなり画面を確認する。
 工場内の妖怪反応が一つ、また一つと消えていっている。
 これは……。
「……そうか——!」
 確信と同時に嬉々として顔を上げる。全身にまとわりついた疲れが一気に吹き飛んだ。

 先程まで俺がいた会議室。そこから青白い光が漏れ出ていた。
 光はまるで夜明けの到来のように、次第に強さを増していきこちらへ迫ってくる。
 逃げ出そうとする妖怪達の身体が光に呑み込まれ、ボロボロと崩れていく。
 そうして瞬く間にその場にいた化け物どもは一体残らず消滅した。

 光の向こうから一つの影が飛び出してくる。
 青白い鱗と角をその身に宿した見慣れた姿。
 俺のかけがえのない最愛の人。

「陣!」
 俺の名を呼びながら、辰巳がこちらへ駆けてくる。
「辰巳……!」
 胸に張り付いていた不安が一気にほどけ、俺は彼女を力強く抱き締めた。