龍棲宮の主

 私の全身が石になったと同時に、陣が血相を変えて駆け寄ってくる。
 ガラス箱の扉に飛びつき取っ手を何度も激しく引くけれど、鍵のかかった扉はびくともしない。

「くそっ……!」
 普段の彼からは想像も出来ないほどの焦りを滲ませた声がガラスの壁を通じて耳に届く。
 護衛部隊や実動部隊の隊員達も一斉に色めき立つ。
「龍神様!」
「どうなってる!」
「装置を止めろ!」

 怒号が飛び交う混乱の中、陣の隣まで駆け寄った春野隊長が、険しさと困惑を入り混ぜた表情で柿崎さんへ向き直った。
「どういうことですかこれは、何かトラブルが……」
「いいえ、トラブルではありません」
 春野隊長の低い問い掛けに対し、返ってきた柿崎さんの声はあまりにも穏やかだ。

「実験は成功でございます」
 彼の言葉に、協会側の誰もが焦燥と混乱に顔を歪めている。それとは対照的に、柿崎さんを始めとするエタニティの人達は不気味なほど落ち着き払っていた。

「これで龍神様のお力は今まで以上に強く、広範囲に渡るようになり——そして永遠のものとなりました」
 柿崎さんが石化した私へ恍惚とした眼差しを向けながら両腕を大きく広げる。
 長年抱き続けた願いがついに成就した。そんな歓喜が、表情にありありと浮かんでいた。

「これでもう、二度と妖怪に怯えることはない。恒久の平和が訪れたのです!」
「……ああ、そうか」
 柿崎が口元を大きく歪ませた後、陣が低く呟く。
「最初からそのつもりだったんだな」
 右目に宿る怒りがみるみる膨れ上がっていく。

 陣はホルスターから警棒を引き抜くと、ガラス箱の側面へ渾身の力で叩きつけた。
 ガァンッ!! と大きな金属音が部屋中へ響き渡るも、透明な壁には傷一つ付いていない。

「無駄ですよ。その檻は先程お見せした最新式の防妖ガラスで造られています。人間はもちろん、S級妖怪であっても破壊は不可能です」
 柿崎さんは嘲るでもなく、ただ事実を告げるように言った。

 陣は拳を震わせながら奥歯を強く噛み締める。そして鋭く振り返り周囲の隊員達に向かって叫んだ。
「奴らを捕縛しろ!!」

 隊員達が一斉に動き出す。しかし彼らが操作卓にいる柿崎さん達へ届くよりも先に——。
 ゴゴゴと音を立て操作卓周辺の床と壁から透明なガラス板がせり上がってきた。
 ガラス板は瞬く間に四方を塞ぎ、操作卓ごと柿崎さん達を完全に囲い込む。
 あれも防ガラスで出来ているのだろう。隊員達はすぐさまガラスの破壊を試みるも、透明な壁にはヒビ一つ入らない。

「ああ……美咲(みさき)悠真(ゆうま)……!」
 柿崎さんは両腕を大きく広げたまま天井を仰ぐ。
「父さんはついにやったぞ……! お前達を奪った妖怪どもから、この国を救ったんだ!!」
 その声は歓喜を通り越して狂気じみていた。
 涙を流しそうなほど嬉しそうで、それでいて長年押し殺してきた感情が一気に噴き出したような、痛々しい叫びだ。

 亡くした家族を思う気持ちは本物なのだろう。けれど目の前にいる彼は、もう私の知っている柿崎さんではない。
 目的のためなら誰かの人生さえ犠牲にできる。そんな狂気に呑まれた、一人の男だった。

 平和のためなら私は多少の不自由は受け入れるけれど、さすがに石にされたまま永遠を過ごすのは嫌だ。
 せっかく陣と両思いになれたのに……。

 ——……あれ?
 ここでふと疑問が浮かぶ。
 ——じゃあなんで橋玉さんはあんなことを……。

「やめなさいこんなこと! あまりにも非人道的過ぎる! こんなことしてもご家族は——」
「黙れぇっ!!」
 怒号が春野隊長の言葉をかき消した。柿崎さんは獣のような形相で叫び続ける。

「何も知らない貴様に、私の何が分かる!! 毎日、毎日考えた! どうすれば妖怪を根絶できるのか! どうすれば、もう誰にも私と同じ思いをさせずに済むのかを!」
 血走った目が私へ向く。
「たった一人の犠牲で、未来永劫人々が救われる! これこそが唯一の正解だぁ!!」

 柿崎さんが腕を大きく振り上げると、それに呼応するように周囲にいた社員さん達が一斉に懐へ手を伸ばす。
 取り出したのは警棒と拳銃。
 カシャン、カシャン、と金属音が重なり、警棒が刀へと変形していく。
 それを見た陣達も即座に武器を構えた。

 部屋の空気が張り詰める。
 ほんの少しでも誰かが動けば、その瞬間に戦いが始まる。
 そんな一触即発の空気を引き裂くように——。

 ビーッ、ビーッ、ビーッ——!!
 甲高い警報音がどこからともなく鳴り響いた。
 身体を動かせない私はその発生源を確認出来ない。それでも、柿崎さん達の顔色が一瞬で変わったことで、それが想定外の事態なのだと理解した。

 何が起きているのだろうと不安を募らせていると、陣の左腕に装着された端末もけたたましく鳴り始めた。
 陣だけではない。春野隊長、そして隊員達の端末からも。あちこちから同じ警報音が重なり合い、室内を埋め尽くしていく。

 ——この音は……。
 ぞわりと背筋が凍りつく。
 知っている、これは……。
 私が隊員だった頃、何度も耳にした——。

「そんな……! 何故妖怪反応が……っ!」
 柿崎さんが顔を引きつらせる。
 その悲鳴にも似た叫びが響いた、その直後。

 ドゴォンッ!! 凄まじい轟音とともに天井の一部が崩落した。
 砕けたコンクリートと鉄骨が降り注ぎ、土煙が部屋中へ舞い上がる。
 その裂け目の向こうから、無数の黒い影が次々と雪崩れ込んでくる。

 牙を剥き、咆哮を上げながら。
 大量の妖怪が、工場内へ侵入した。

 エタニティの人達に向けられていた銃口と刃は、即座に化け物どもへと標的を切り替える。
「散開しろ! 民間人を守れ!」
 春野隊長の指示が飛び、陣と隊員達がそれぞれ妖怪へ斬りかかっていく。
 鋼と爪がぶつかり合う甲高い音が工場中へ響き渡った。

「はぁっ!」
 陣は一体目の妖怪の腕を斬り飛ばし、そのまま返す刀でもう一体の胴を薙ぎ払う。
 事切れた化け物の亡骸は黒い塵となって宙へ消えていった。

「おいっどうなってる!? 平和どころか大量に湧いてきてるぞ!」
 妖怪の牙を刀で受け止めながら、陣が柿崎さんへ怒鳴る。
 しかしその問いに返事はなかった。柿崎さんは青ざめた顔で頭を抱え、何かをぶつぶつ呟いている。

 そんな中、彼の隣に立つ橋玉さんがスケッチブックを向けた。
『社長、逃げましょう』と赤色で書かれた文章を目にした柿崎さんが頷く。
 近くにいた社員さんの一人が慌てて制止しようとするも、柿崎さんはそれを振り切って操作卓のスイッチを押した。
 彼らを囲っていた防妖ガラスがゆっくりと壁と床へ収納されていく。
 そして案の定、解放されたその空間へ、数体の妖怪が迫ってきた。

「まずいっ!」
 陣は目の前の妖怪を両断すると、そのまま一直線に柿崎さん達のもとへ駆け抜ける。
 振るわれる刀が次々と妖怪を斬り伏せる。
 銃から放たれる弾丸が化け物どもの脳天を撃ち抜いていく。
 さらに近くの隊員たちも合流し、連携して敵を減らしていった。

 やがて操作卓の周囲に残った妖怪は、あと一体だけとなった。
 陣が最後の一体へトドメを刺そうとした、その刹那。

 キィンッ!! と鋭い金属音が響いた。
 陣と妖怪の間へ、一人の人影が割って入ってきたのだ。
 その人物は、いつの間にか古風な日本刀を手にしており、妖怪へと振り下ろされた陣の刃を真正面から受け止めていた。
 まるで妖怪を庇うように。

「なっ——」
 あまりにも常軌を逸した行動に、その場にいた全員の視線が釘付けになる。
 陣も言葉を失っていた。
 だがその人物は、周囲の視線など全く意に介さないとばかりにスケッチブックを高々と掲げる。

 そこに記されていたのは——私がつい先程目にした赤文字。

『退魔能力を使うな』

 異変はすぐに訪れた。
「なんだ!? 急に能力が使えなく……っ」
「くそっどうなっている!?」
 隊員達の動揺した声があちこちで上がる。

 それを耳にした陣は、慌てた様子で右目を大きく見開いた。
 本来なら能力発動時、赤く輝くはずの瞳。
 しかし赤い光は数回、不安定に明滅しただけで消えてしまう。

「……っ!」
 陣も隊員達同様、顔を青くして固まる。
 その一瞬の隙を逃さず、人影は鋭い蹴りを放った。
 陣の身体が勢いよく吹き飛び、床を滑る。

「な……何故だ……」
 柿崎さんがその人物に信じられないものを見るような視線を送る。
「何故だ、橋玉くん……何故、君が……」

 対する橋玉さんは、そんな柿崎さんの視線を受けても微動だにしていない。
 いや——その目元は、薄く笑っていた。
 獲物を追い詰めた捕食者のような、冷たい笑み。

 彼はゆっくりとスケッチブックをめくる。
 現れた黒い文字が、柿崎さんの目に映る。
『橋玉なんて人間は存在しない』
「……何?」
 柿崎さんは怪訝そうに眉をひそめた。何を言われたのか理解出来ない、といった表情だ。

 橋玉さんがもう一枚ページをめくる。
『まだ分からないか? なら見せてやろう。俺の真の姿を』
 直後、橋玉さんの全身から黒い羽根が噴き上がった。

 タートルネックとスーツがぐにゃりと形を変え、山伏を思わせる黒装束と襟巻へと変化していく。
 白いマスクが、ひとりでに床へ落ち、その下から現れた口元は、鋭く硬い嘴。
 脚は逆関節へと歪み、鋭利な鉤爪を持つ鳥の足へ。
 肌は墨を流したように黒く染まり、最後に背中を突き破るようにして、一対の巨大な漆黒の翼が広がった。

 翼が大きく羽ばたくたび、黒い羽根が部屋中へ舞い散る。
 その異形の姿を見た瞬間、石化していなければ、私はきっと大きく目を見開いていただろう。

 忘れるはずがない。
 あの日、前世の私と奥村さんの人生を終わらせた張本人。
 奴は——。

「嘴霊——!!」
 私の心を代弁するように、陣の怒りと驚愕が入り混じった叫びが工場内へ響き渡った。