龍棲宮の主

 製造エリアへ足を踏み入れると、澄んだ機械音が広いフロアに響いていた。
 天井には無数の照明が並び、白く磨き上げられた床には大型の加工機械や検査装置が整然と配置されている。社員の人達は忙しなく行き交いながらも、一人ひとりが無駄のない動きで作業を進めていた。

「こちらが最新型の防妖ガラスです」
 柿崎さんが足を止めた先には、一枚の透明なガラス板が金属製の台座へ固定されていた。
「大型妖怪の攻撃にも耐えられる強度を持っています。結界と併用することで、避難施設や重要施設の安全性は飛躍的に向上するでしょう」

 近付いて見てもごく普通のガラスにしか見えない。けれどその向こう側にいる社員さんの姿は歪むことなく映り込み、表面には傷一つ見当たらなかった。
「すごい……。見た目は普通のガラスなのに」
「ありがとうございます。私どもが誇りを持って開発した製品です。——ご案内は以上となります。それでは本題へ入りましょうか、機械はこちらです」
 柿崎さんは満足そうに微笑むと、廊下の奥へ歩きだした。
 私達はその後に続く。

 階段を上がり二階へ。
 廊下の突き当たりにある一室の前で柿崎さんは立ち止まった。

 自動扉が左右へ開くと、眩しいほどの白い蛍光灯の光が視界を満たした。
 部屋の奥には、事前の説明で映像越しに見たものと同じ巨大な装置が鎮座している。
 あれが霊子共鳴補助装置。私の力を安定、拡大してくれる機械。

 その周囲では、作業着姿の社員さんたちが慌ただしく準備を進めていた。
「さあ、どうぞ中へ」
 柿崎さんに促され、私は部屋へ足を踏み入れる。
 そのすぐ後ろでは、陣が数名の隊員に出入り口の前で待機しているよう指示を出していた。

「こちらの準備は整っております。早速、試運転を開始してもよろしいでしょうか」
 柿崎さんの言葉に胸が高鳴る。緊張してきたが、元より躊躇う理由はない。

「はい、お願いします。あそこへ座ればいいんですよね?」
 私は装置の正面に置かれた椅子を指差した。
 そこでようやく気付く。椅子は前の方に扉が付いたガラス製の箱にすっぽりと覆われていた。

 ——こんなの、打ち合わせで見せてもらった資料にはなかったような……。
 疑問がよぎったものの、安全対策が追加されたのかもしれない、そう納得することにした。

「ええ、ええ。そのようにお願いいたします」
 柿崎さんが目配せをすると、橋玉さんがガラス箱の前に行き扉を開ける。
 私が中へ入り、椅子へ腰を下ろすと、橋玉さんは扉を閉めて手にしていた鍵で施錠した。

 外へ目を向けると、陣達は邪魔にならない位置へ散開しながらこちらを見守っている。
「それでは始めましょう」
 柿崎さんが操作卓の社員さん達へ視線を送ると、一人が頷きスイッチを押した。

 ブゥゥン……と低い駆動音が室内へ響き渡る。装置内部のランプが順番に点灯し、複数の計器がゆっくりと動き始めた。
 試運転は順調に始まった——かに見えたが。

 突然プシュゥ……と風船から空気が抜けるような音とともに、駆動音が不自然に途切れる。
「……あれ?」
 首を傾げて操作卓の方を見ると、社員さん達と柿崎さんが難しい表情で何かを話し合っていた。
 距離があるせいで内容までは聞き取れない。

 ——どうしたんだろう……。
 様子を窺っていると、不意にコン、コン、と軽くガラスを叩く音がした。
 そちらを向くとそこには橋玉さんが立っていた。筆ペンでスケッチブックに何かを書き込んだ後、こちらへ向ける。

 そこには黒文字でこう書かれていた。
『装置に不具合が発生したようです。少々お待ちください。』
「……分かりました」
 一抹の不安を覚えながらも小さく頷く。

 そんな私の表情から何かを察したのだろう。橋玉さんはスケッチブックをめくり、新しいページへさらさらと文字を書いて見せた。
『怖いですか?』

 一瞬だけ迷った後、私は苦笑しながら親指と人差し指でジェスチャーしながら「ほんの少し」と答えた。
「でも皆さんのことは信頼していますし、それに平和のためならこれくらいどうってこと」

 私の回答に橋玉さんは目を細めて小さく頷いた後、再びページをめくり筆ペンを走らせる。
 よく見ると、その筆ペンの柄の先には赤いキャップが差し込まれていた。
 ——両端が筆になってるんだ。
 反対側には赤いインクが入っているのだろう。

 そんなことをぼんやり考えているうちに、橋玉さんは書き終えたページをこちらへ向ける。
『そう言っていただけて嬉しいです』
 そのまままた一枚ぺらりとめくる。

『龍神様はお強い方ですね』
 さらに一枚。

『ですが、もうそんなに気負う必要はありませんよ』
 また一枚。

『貴方がたの平和は、今日をもって終わるのですから』

 ——え……?
 思考が止まる。
 どういうこと……?
 文章の意味を飲み込めず困惑していると、橋玉さんは私の反応を楽しむかのように瞳に笑みを浮かべながら再びページをめくった。

 今度の文字は黒ではなかった。
 血を思わせる、鮮烈な赤。
 書かれている文章は読める。意味も分かる。
 けれど何故橋玉さんがこんなことを書いたのかが分からない。

 理解の及ばない喪失感が一気に全身へ広がっていくなか、「試運転を再開します!」という社員さんの大きな声が耳に届いた。
 橋玉さんが何事もなかったかのように操作卓の方へ歩いていく。

「待って!!」
 反射的に立ち上がり、バンッとガラス扉を叩く。
 開けて、止めて。そんな私の叫びは息を吹き返したように轟音を上げだした装置によって掻き消された。

 人工的な光が装置全体を駆け巡り、足元から眩い光が一気に噴き上がる。
「なっ——」
 身体が動かない。
 指先から感覚が消え、肌の色が灰色へ変わっていく。
 腕が。
 足が。
 まるで石像のように硬く、冷たく変質していく。

「辰巳っ!?」
 陣の困惑と焦りを乗せた声が、ガラスの壁を越えて聞こえてきた。