龍棲宮の主

 街路樹の葉はすっかり紅く色づき、秋風が木々を優しく揺らしている。
 十月中旬の本日はエタニティの訪問日だ。
 私達を乗せた車は市街地を走り、その前後には護衛部隊と実動部隊を乗せた車両が隊列を組んで続いている。

 車窓の向こうでは高層ビルの壁に投影された立体広告が次々と映し出され、最新の秋物ファッションを身にまとったモデル達が街ゆく人々へ微笑みかけていた。
 久しぶりの外の景色、ゆっくりじっくり眺めていたかったけれど——。

「晴れて良かったわね。外に出るのなんて一年ぶりでしょう?」
「へっ? あ、はい。そうですね」
 助手席にいる春野隊長に突然話しかけられ、間の抜けた声が出てしまう。

 実際には龍神祭の日にこっそり抜け出しているので、厳密には一年ぶりではない。……とはいえ、あれからもう三ヶ月。長いこと外へ出られていなかったのは事実だ。
 しかし問題はそこじゃない。春野隊長がこちらを振り向かなかったことに、私は心の底から安堵した。

 だって——。
「陣……!」
 私はジトリと抗議の目を送りながら、小声で隣に座る彼の名を呼んだ。
 それでも陣は私の手を離そうとしない。

 人がすぐ近くにいるこの状況で、今もなお白い手袋に包まれた節くれたった手が、私の指へそっと絡みつき時折指先を撫でてくる。

 幸いルームミラーからは死角になっているので、運転手さんが気付くことはないだろう。運転中に振り返ることもしないはずだ。

 問題は春野隊長だ。
 もし彼女が不意に後ろを向いてきたら、そう思うだけで胸がドキドキしてしまう。
 そんな私の不安をよそに、陣はくすぐるように指を触り続けるものだから、その感触と緊張で頬がどんどん熱くなっていった。

 私が睨み続けても、彼はどこ吹く風といったふうに前を向いたまま。
「あとどのくらいで到着しますか?」
「そうねぇ……大体二十分くらいかしら」
 春野隊長が答えると、陣は「そうですか」と言いながらこちらに顔を向けた。
「なら——もう少しゆっくりしていられますね」
 口元に柔らかな笑みを浮かべ、絡めた手をギュッと握る。

「……っ」
 突然の心地良い質量に無意識に肩が震えてしまう。
 それが恥ずかしくて、頬の赤みが顔全体に広がった。

 このままやられっぱなしなのは、なんだか悔しい。
 少し困らせてやろうと思い、私は陣の手を振り解き、白い手袋の中へするりと指を差し入れた。

 手袋と手の間で指先を滑らせ、掌の皺をなぞる。さらに手袋の縁へ指を引っ掛けると、そのままぐいっと持ち上げてみた。
 好き放題にいたずらをしながら、ちらりと陣の様子を窺う。

 ——あれ……?
 困るどころか、何故か嬉しそうだった。
 口角は小さく上がっており、右目はどこか幸せそうに細められている。

 ——なんで喜んでるの……。
 仕返しのつもりだったのに、これでは逆効果だ。
 少し釈然としなかったけれど、段々この手遊びが楽しくなってきたので、このまま続行することにした。
 さらに手袋を引っ張る。

 もう少しで脱げそう。
 あと少し……。
「そういえば中條」
 そこへ春野隊長が不意に陣のほうへ振り返った。

 内心の驚きを悟られないよう、私はサッと手を離す。
 胸の鼓動が一気に速くなる。
 ——気付かれていないよね……?
 平静を装いながら窓の外を見るふりをしていると、春野隊長は気付いた様子もなく陣と仕事の話を始めた。

 その会話が終わるまでの数十秒が、何分にも感じられる。
 やがて春野隊長が前を向き直ると、私はようやく小さく息を吐いた。
 ——良かった……。

 安堵したのも束の間、またしても隣から手が伸びてきた。
「もう……」
 私はその手を軽くパシンと叩く。
 陣は一瞬目を丸くした後、観念したように苦笑して大人しく手を引っ込めた。



 それからしばらくして、車は市街地を抜けて準工業地域へ入った。
 窓の外には倉庫や工場が立ち並び、その一角に三階建ての大きな建物が姿を現す。
 ここがエタニティの本社工場だ。

 車が正面玄関へ横付けされる。
 既に入り口では、柿崎さんと秘書の橋玉さんが私達を待っていた。
 車を降りると、柿崎さんが穏やかな笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
「ようこそお越しくださいました、龍神様」
 橋玉さんも隣で柔らかく微笑み、丁寧に一礼した。
「本日はよろしくお願いします」
 私も頭を下げて挨拶を返す。

「こちらこそ。——本日は本題に入る前に、ぜひ工場をご案内させてください」
 言いながら柿崎さんは建物へ手を向けた。
「私達がどのような環境で研究・開発を行っているのか、ご覧いただければ幸いです」

「ありがとうございます」
 対妖怪用道具の工場見学なんて滅多にない機会だ。内心で胸を弾ませながら、私は柿崎さんの案内で建物の中へ足を踏み入れた。
 その後ろを陣と春野隊長、隊員達が続く。

 建物へ入り、何気なく窓の外へ目を向けると、さっきまで青かった空はいつの間にか厚い雲に覆われ始めていた。
 灰色の雲が秋の日差しをゆっくりと飲み込んでいく。
 まるで、これから良くないことが起こると予見するかのように。