祭りを楽しんだ後、私達は家へ戻ってきた。
汗を流すために浴室へ向かい、熱いシャワーを浴びた後、着物へ着替えてリビングへ戻る。
陣の姿はなかった。まだ自室で着替えているのだろう。
私はソファへ腰を下ろし、背もたれへ身体を預ける。
目を閉じると、自然と瞼の裏に陣の顔が浮かんだ。
彼がこれまで見せてこなかった表情。兄の仮面を取り払って見せてくれた弱い部分。少し歪だけど、それでも真っ直ぐ私にだけ向けられる愛情。
その全てが愛おしい。
去年の一幕と恋人になってからの一ヶ月で、私は兄としての陣だけではなく一人の男性としての彼を少しずつ知ることが出来た。
でもまだ足りない。
もっと彼に触れたい。
もっと彼を知りたい。
もっと彼が欲しい。
その思いに突き動かされるように私は立ち上がった。
陣の部屋の扉は少しだけ開いていて、中から柔らかな明かりが漏れている。
そろりと覗き込むと、彼は既に制服へ着替え終えていた。
しかし眼帯は付けておらず、左目の傷痕が照明に照らされている。
ベッドに座っている彼の手には、額縁に入れられた一枚の絵があった。
夜空いっぱいに咲く花火。
「……その絵」
思わず呟きながら、部屋の中へ足を踏み入れる。
私の声に気付いた陣は一瞬だけ目を見開いた。けれどすぐに表情を和らげ、懐かしむようにもう一度絵へ視線を向ける。
「ほんとに律儀だよなお前は。いなくなる前に、新作を一番最初に見せてあげるって約束を果たすなんて」
呟きながら立ち上がると、壁に絵を掛け直した。
穏やかな口調の奥には、置いていかれたあの日への寂しさがまだ残っているように感じて、少し胸が痛くなる。
「……私が贈った絵、飾ってくれてたんだね」
「当然。——お前と離れていた間は、これが拠り所だったんだ。俺にとっては宝物の一つだよ」
陣は小さく笑って再びベッドに腰を下ろす。私はその左隣へ座った。
「私と会えない間寂しかった?」
「そりゃあ、生きた心地がしなかったよ」
苦笑とともに、彼がそばに置かれた眼帯へ手を伸ばす。私はその手に自分の手を重ねた。
「今は私しかいないんだから、別に付けなくてもいいでしょ?
優しく手を押さえたまま微笑むと、陣の右目が小さく揺れた。明らかに動揺している。
「——お前が不快じゃなければ」
「別に不快だなんて思ってないよ」
あのときは陣が周りの目を気にしていたから。私自身はそこまで消極的な感情は持ち合わせていない。
もちろん視力を失ってしまったことは悲しいけれど、それでもその傷は自分の危険を顧みず街を守ろうとした証だから。
私はそんな彼を誇りに思う。
眼帯と私の手に挟まれた大きな手を引き抜くと、陣は正面を向いた。
「……本当は、自分の選択に自信がなかったんだ。あんな別れ方をした後だから、お前は俺のこと怖がってるんじゃないかって」
彼が隠したがっている部分を見たいと思って左側に座ったのに、ここからでは彼の表情がよく見えない。
「でもお前は俺を受け入れてくれた。これ以上の幸せはないよ」
再びこちらを見た陣の顔は爽やかに笑っていた。
でも私には、その笑顔の内に何かを隠しているような気がしてならなかった。
「——そろそろ戻るか」
おもむろに立ち上がろうとした陣の腕を、私は咄嗟に掴んだ。
「辰巳?」
彼が不思議そうに首を動かす。
「……まだここにいたい」
自分の口から出た声はあまりにもか細かった。
そんな私の言葉に、陣は優しく目を細めて浮かせていた腰をベッドに戻す。
「そうだな。せっかく二人きりになれたんだし、もう少しここで話していよう」
違う。それもいいけれど、私は——。
私は小さく首を横に振った。これから自分が言おうとしていることを考えると恥ずかしくなってしまって、自然と顔は下を向く。
「——……今夜は帰りたくない」
とうとう言ってしまった。
鼓動がうるさい。頬が熱い。
彼の表情は見えないけれど、息遣いでなんとなく感情は読み取れる
驚き、戸惑い、そして——。
「——辰巳」
彼の両手が私の頬に添えられ、優しく上向かせられる。
「辰巳、俺はお前が思うほど理性的な男じゃない。お前の言葉を都合よく解釈して、曲解して——絶対に逃がさない」
眉は苦しそうに寄せられて、声には長い年月押し殺してきたであろう想いが滲んでいた。
「いいよ、やってみて」
私は迷わず頷いて、陣をベッドに押し倒す。
私を見上げる右目は僅かに見開かれ、必死に何かを堪えるように唇は固く結ばれている。
「もう何も隠さなくていい。陣の全部、私に見せて。——ひとつ残らず受け止めるから」
赤くなった耳元で囁いた一押しに、今まで身じろぎ一つしなかった陣が不意に上体を起こす。
今度は私がベッドに縫い留められる番。
いつの間にか陣は頬までも上気させ、こちらを見下ろす右目には今まで堰き止めていたであろう色で染まっていた。
その熱を帯びた眼差しに見つめられるだけで、胸の鼓動が速くなる。
まるで彼の色がこちらまで伝播していっているようだった。
やがて陣はゆっくりと肩を上下させるように息を吐き、制服の上着を脱いだ。
手を離れた上着は、バサリと音を立てて床へ落ちる。
その音だけが、張り詰めた沈黙の中で小さく響いた。
静かな部屋の中で、彼の熱い口付けが何度も打ち寄せる。
視界は淡い闇に包まれ、意識はゆっくりと彼の温もりへ沈んでいく。
触れ合うたびに熱が伝わり、互いの鼓動が溶け合っていくようだった。
呼吸が重なり、心臓の音さえも一つになったような錯覚を覚える。
そうして、苦しいほど幸せな中、最後は花火のように弾けた。
どのくらい時間が経っただろう。名残惜しそうに重なっていた呼吸が少しずつ離れ、静かな部屋へ穏やかな空気が戻ってくる。
「……なんだか夢みたい」
ぽつりと呟くと、陣は私の白衣の袖口から覗く鱗を指先で撫でた。
「俺を夢で見たことはあるか?」
「うん、あるよ」
私はくすぐったさに笑いながら小さく頷く。
「子どもの頃の夢だったり……陣が家族ごっこは嫌だって言ったときの夢だったり」
少しだけ意地悪く言うと、陣は案の定ばつが悪そうに眉を下げる。
「……悪かった、あのときは本当にどうかしてたんだ」
「ううん、もういいの」
私は首を横に振り、彼の肩へ頭をもたせかけた。彼の温もりがじんわりと伝わってくる。
「だって、また家族になれたから」
前とは違う形だけど……私たちらしい、新しい家族に。
ふにゃりと笑う私に対し、陣は何故か浮かない顔だ。
「——辰巳」
彼は私の腕を撫でていた手をゆっくりと滑らせ、そのまま指を絡めてくる。
「本当に俺の全てを受け入れてくれるなら……新しい関係になっても、お前の兄としていてもいいか?」
その問い掛けには、どこか怯えが混じっていた。
私の手を自身の頬に添える。
「これまでのことを、なかったことにしたくない」
兄妹として過ごした日々。家族として笑い合った思い出。
その全てを、大切に抱えたまま未来へ進みたい。
そんな願いが伝わってくる。
「……ふふ」
私は思わず声を漏らした。
「欲張りだね、恋人になっただけじゃ足りないなんて」
頬へ添えられた手で、彼の頭を優しく撫でる。
陣の右目は、まるで迷子の子供のように私を見つめていた。
だから私は安心させるように微笑む。
「でもいいよ。私もおんなじ気持ちだから」
恋人になったからといって、私は陣の妹であることをやめるつもりはない。
兄妹として積み重ねてきた時間も、私達にはかけがえのないものだから。
「陣」
私は再び彼の頬へ触れた。
「私を諦めないでいてくれて、ありがとう」
その言葉を聞いた陣は、泣きそうで、それでいて幸せそうな笑みを浮かべる。
彼の中の小さな不安は、優しい色をした絵の具に塗り潰されていったようだ。
「お前もそう思ってくれるなら——俺達はきっと、互いのために生まれてきたんだ」
長い沈黙の後、彼は自分の額を私の額にそっと触れさせた。私はその温もりを静かに受け止める。
窓に目を向ければ外は晴れていて、ここからでは見えないが、きっと幾数もの星が瞬いていることだろう。
——これからもずっと、この時代で出会った大切な人の隣を歩いていけますように。
瞼を閉じる間際、私は夜空の星にそんな願いを送った。
汗を流すために浴室へ向かい、熱いシャワーを浴びた後、着物へ着替えてリビングへ戻る。
陣の姿はなかった。まだ自室で着替えているのだろう。
私はソファへ腰を下ろし、背もたれへ身体を預ける。
目を閉じると、自然と瞼の裏に陣の顔が浮かんだ。
彼がこれまで見せてこなかった表情。兄の仮面を取り払って見せてくれた弱い部分。少し歪だけど、それでも真っ直ぐ私にだけ向けられる愛情。
その全てが愛おしい。
去年の一幕と恋人になってからの一ヶ月で、私は兄としての陣だけではなく一人の男性としての彼を少しずつ知ることが出来た。
でもまだ足りない。
もっと彼に触れたい。
もっと彼を知りたい。
もっと彼が欲しい。
その思いに突き動かされるように私は立ち上がった。
陣の部屋の扉は少しだけ開いていて、中から柔らかな明かりが漏れている。
そろりと覗き込むと、彼は既に制服へ着替え終えていた。
しかし眼帯は付けておらず、左目の傷痕が照明に照らされている。
ベッドに座っている彼の手には、額縁に入れられた一枚の絵があった。
夜空いっぱいに咲く花火。
「……その絵」
思わず呟きながら、部屋の中へ足を踏み入れる。
私の声に気付いた陣は一瞬だけ目を見開いた。けれどすぐに表情を和らげ、懐かしむようにもう一度絵へ視線を向ける。
「ほんとに律儀だよなお前は。いなくなる前に、新作を一番最初に見せてあげるって約束を果たすなんて」
呟きながら立ち上がると、壁に絵を掛け直した。
穏やかな口調の奥には、置いていかれたあの日への寂しさがまだ残っているように感じて、少し胸が痛くなる。
「……私が贈った絵、飾ってくれてたんだね」
「当然。——お前と離れていた間は、これが拠り所だったんだ。俺にとっては宝物の一つだよ」
陣は小さく笑って再びベッドに腰を下ろす。私はその左隣へ座った。
「私と会えない間寂しかった?」
「そりゃあ、生きた心地がしなかったよ」
苦笑とともに、彼がそばに置かれた眼帯へ手を伸ばす。私はその手に自分の手を重ねた。
「今は私しかいないんだから、別に付けなくてもいいでしょ?
優しく手を押さえたまま微笑むと、陣の右目が小さく揺れた。明らかに動揺している。
「——お前が不快じゃなければ」
「別に不快だなんて思ってないよ」
あのときは陣が周りの目を気にしていたから。私自身はそこまで消極的な感情は持ち合わせていない。
もちろん視力を失ってしまったことは悲しいけれど、それでもその傷は自分の危険を顧みず街を守ろうとした証だから。
私はそんな彼を誇りに思う。
眼帯と私の手に挟まれた大きな手を引き抜くと、陣は正面を向いた。
「……本当は、自分の選択に自信がなかったんだ。あんな別れ方をした後だから、お前は俺のこと怖がってるんじゃないかって」
彼が隠したがっている部分を見たいと思って左側に座ったのに、ここからでは彼の表情がよく見えない。
「でもお前は俺を受け入れてくれた。これ以上の幸せはないよ」
再びこちらを見た陣の顔は爽やかに笑っていた。
でも私には、その笑顔の内に何かを隠しているような気がしてならなかった。
「——そろそろ戻るか」
おもむろに立ち上がろうとした陣の腕を、私は咄嗟に掴んだ。
「辰巳?」
彼が不思議そうに首を動かす。
「……まだここにいたい」
自分の口から出た声はあまりにもか細かった。
そんな私の言葉に、陣は優しく目を細めて浮かせていた腰をベッドに戻す。
「そうだな。せっかく二人きりになれたんだし、もう少しここで話していよう」
違う。それもいいけれど、私は——。
私は小さく首を横に振った。これから自分が言おうとしていることを考えると恥ずかしくなってしまって、自然と顔は下を向く。
「——……今夜は帰りたくない」
とうとう言ってしまった。
鼓動がうるさい。頬が熱い。
彼の表情は見えないけれど、息遣いでなんとなく感情は読み取れる
驚き、戸惑い、そして——。
「——辰巳」
彼の両手が私の頬に添えられ、優しく上向かせられる。
「辰巳、俺はお前が思うほど理性的な男じゃない。お前の言葉を都合よく解釈して、曲解して——絶対に逃がさない」
眉は苦しそうに寄せられて、声には長い年月押し殺してきたであろう想いが滲んでいた。
「いいよ、やってみて」
私は迷わず頷いて、陣をベッドに押し倒す。
私を見上げる右目は僅かに見開かれ、必死に何かを堪えるように唇は固く結ばれている。
「もう何も隠さなくていい。陣の全部、私に見せて。——ひとつ残らず受け止めるから」
赤くなった耳元で囁いた一押しに、今まで身じろぎ一つしなかった陣が不意に上体を起こす。
今度は私がベッドに縫い留められる番。
いつの間にか陣は頬までも上気させ、こちらを見下ろす右目には今まで堰き止めていたであろう色で染まっていた。
その熱を帯びた眼差しに見つめられるだけで、胸の鼓動が速くなる。
まるで彼の色がこちらまで伝播していっているようだった。
やがて陣はゆっくりと肩を上下させるように息を吐き、制服の上着を脱いだ。
手を離れた上着は、バサリと音を立てて床へ落ちる。
その音だけが、張り詰めた沈黙の中で小さく響いた。
静かな部屋の中で、彼の熱い口付けが何度も打ち寄せる。
視界は淡い闇に包まれ、意識はゆっくりと彼の温もりへ沈んでいく。
触れ合うたびに熱が伝わり、互いの鼓動が溶け合っていくようだった。
呼吸が重なり、心臓の音さえも一つになったような錯覚を覚える。
そうして、苦しいほど幸せな中、最後は花火のように弾けた。
どのくらい時間が経っただろう。名残惜しそうに重なっていた呼吸が少しずつ離れ、静かな部屋へ穏やかな空気が戻ってくる。
「……なんだか夢みたい」
ぽつりと呟くと、陣は私の白衣の袖口から覗く鱗を指先で撫でた。
「俺を夢で見たことはあるか?」
「うん、あるよ」
私はくすぐったさに笑いながら小さく頷く。
「子どもの頃の夢だったり……陣が家族ごっこは嫌だって言ったときの夢だったり」
少しだけ意地悪く言うと、陣は案の定ばつが悪そうに眉を下げる。
「……悪かった、あのときは本当にどうかしてたんだ」
「ううん、もういいの」
私は首を横に振り、彼の肩へ頭をもたせかけた。彼の温もりがじんわりと伝わってくる。
「だって、また家族になれたから」
前とは違う形だけど……私たちらしい、新しい家族に。
ふにゃりと笑う私に対し、陣は何故か浮かない顔だ。
「——辰巳」
彼は私の腕を撫でていた手をゆっくりと滑らせ、そのまま指を絡めてくる。
「本当に俺の全てを受け入れてくれるなら……新しい関係になっても、お前の兄としていてもいいか?」
その問い掛けには、どこか怯えが混じっていた。
私の手を自身の頬に添える。
「これまでのことを、なかったことにしたくない」
兄妹として過ごした日々。家族として笑い合った思い出。
その全てを、大切に抱えたまま未来へ進みたい。
そんな願いが伝わってくる。
「……ふふ」
私は思わず声を漏らした。
「欲張りだね、恋人になっただけじゃ足りないなんて」
頬へ添えられた手で、彼の頭を優しく撫でる。
陣の右目は、まるで迷子の子供のように私を見つめていた。
だから私は安心させるように微笑む。
「でもいいよ。私もおんなじ気持ちだから」
恋人になったからといって、私は陣の妹であることをやめるつもりはない。
兄妹として積み重ねてきた時間も、私達にはかけがえのないものだから。
「陣」
私は再び彼の頬へ触れた。
「私を諦めないでいてくれて、ありがとう」
その言葉を聞いた陣は、泣きそうで、それでいて幸せそうな笑みを浮かべる。
彼の中の小さな不安は、優しい色をした絵の具に塗り潰されていったようだ。
「お前もそう思ってくれるなら——俺達はきっと、互いのために生まれてきたんだ」
長い沈黙の後、彼は自分の額を私の額にそっと触れさせた。私はその温もりを静かに受け止める。
窓に目を向ければ外は晴れていて、ここからでは見えないが、きっと幾数もの星が瞬いていることだろう。
——これからもずっと、この時代で出会った大切な人の隣を歩いていけますように。
瞼を閉じる間際、私は夜空の星にそんな願いを送った。



