龍棲宮の主

 柿崎さんと橋玉さんの姿が見えなくなると、陣がふっと息をついた。
「スムーズに話がまとまってよかったな」
「うん、そうだね。——そうだ。陣、このあと時間ある?」
 なんとなく尋ねると、陣は少し申し訳なさそうに首を横へ振る。

「悪い、会議が入ってる。訪問時の警備体制について話し合う予定なんだ」
 そう言って春野隊長へ視線を向けた。
 春野隊長が肯定するように頷く。
「当日は実動部隊も警備に当たる予定よ。私も参加するから、そのときはまたよろしくね」
「そうなんですね、よろしくお願いします」
 彼女も一緒なら心強い。

「会議が終わったら、また邪魔してもいいか?」
「うん、もちろん。アトリエで待ってるね」
 陣に答えた後、嬉しさが隠しきれず尻尾がゆらりと揺れた。
 それに気付いた陣が柔らかく笑う。そしてそんな私達の様子を見て、春野隊長もくすりと声を上げた。

「本当に仲が良いわね貴方達。ここまで仲良しな兄妹も中々見ないわ」
 何気なく言われた言葉にドキリと心臓が跳ねる。
「えっ、いや別にそんなことは——」
「あら、照れることないじゃない。家族関係が良好なのは素敵なことよ。貴方達再会したばかりの頃はどこかぎこちなかったでしょう? だから心配だったの。仲直り出来たみたいで安心したわ」
「あー……はは……」
 一瞬私達の関係がバレたのかと焦ったが、杞憂だったようだ。

 ほっとしたところに、陣にグシャグシャと頭を撫でられる。
「そうですね。俺にとって辰巳は何よりも大切な存在ですから」
 抗議の目をもって見上げると、彼は腹が立つほど清々しい顔をしていた。
 知らない人が聞けば、それは妹思いの兄の台詞だ。
 その言葉の本当の意味を知っているのは私だけ。だからこそ、何食わぬ顔でそんなことを言う彼が少しだけ憎らしい。

「ふふっ。それじゃあ私は先に行くわね」
 春野隊長は終始微笑ましそうに私達を見つめると、軽く手を振って廊下の先へ歩いていった。

 二人きりになった後も頭を撫で続けている陣に対し、私はじとりと睨みつける。
 すると彼は「どうした?」と言いたげに小首を傾げた。

「あんな妙な言い方しなくても……」
「なんだよ、じゃあはっきり言って良かったのか? ——俺にとって、お前は最愛の人だって」
「——っ!」
 耳元で甘く囁かれたからかい混じりの言葉に、熱が一気に顔へ集まる。

「もぉっ! 分かってて言ってるでしょ!」
 撫でていた手を掴んで逃げられないようにして、もう片方の手でパンチを繰り出すも、簡単に止められてしまう。
 こちらがギャーギャーと暴れても、陣は楽しそうに笑うばかりだ。

 そんなふうにじゃれ合ってていると、不意に曲がり角の方から声と足音が聞こえてきた。
 私は慌てて陣から離れて何事もなかったような顔を作る。
 現れたのは二人の隊員だった。

「お前今日の龍神祭彼女と行くんだって?」
「ああ。一緒に花火が見たいってせがまれてな」
「いいなぁ、俺も彼女欲しい」
 二人は私達に気付くことなく、そのまま談笑しながら真っ直ぐ歩いていった。

 ——そうだ。
 今日から龍神祭だった。すっかり忘れていたが、今年もまた大通りに屋台が並び、夜空に大輪が咲くことだろう。
 ——いいなぁ……。
 子供の頃から何度も見てきた景色なのに、今年もまた行きたいと思ってしまう。今の私には難しいことなのに。

「……行きたいか?」
 顔に出ていたのだろう。隣を見ると、陣が優しい目でこちらを見つめていた。
「別にそういうわけじゃ……」
 誤魔化すように顔を背ける。すると陣は苦笑しながら、私の頬の鱗を親指でそっと撫でる。

「お前はもっと我儘を言っていいんだぞ? たまには自分のしたいこと優先したって」
 穏やかな声が耳に届に、その優しい言葉は胸によく沁みるけれど。
 私は少し眉尻を下げて彼を見た。

「——そんなこと言ったって……行きたいって言っても止められるだろうし、こっそり抜け出そうにも警備の人達がいるし……」
 前世(あのとき)抜け出せたのは本当に運が良かっただけ。あんな偶然が何度も続くはずがない。
 そう自分に言い聞かせていると、陣の左腕の端末が鳴った。

「どうした? ……ああ、……ああ、分かった。俺から伝えておく」
 短いやり取りだけで通信は終わった。
「何かあったの?」
「書庫の窓際の瓦が落ちたらしい」
「瓦が?」
「ああ。後で修繕の手配をしないとな」

「——? でも……」
 不思議に思い私は顎へ手を当てる。
「この前、改修工事をしたばっかりなのにどうして——」
 そこまで言って、ある可能性が頭に浮かび勢いよく陣を見た。

「陣、まさか……」
 まだ何も言っていないのに、陣はいたずらが成功した子どものようににやりと笑う。そこで疑念が確信へと変わった。

「——っと、そろそろ会議の時間だ。じゃあ一旦失礼する、また後でな」
 何も答えないままクルリと背を向けて、ヒラヒラと手を振りながら歩き去る陣。

 一人残された私はその背中を見送りながら、ぱぁっと目を輝かせた。

 ◇

 夜になり、私は人目を避けながら書庫へ忍び込んだ。
 室内を照らしているのは窓から差し込む淡い月明かりだけ。静まり返った空間に、自分の足音だけが微かに響く。

 誰かに見つかるかもしれないという緊張感と、久しぶりに外へ出られるという期待が入り混じり、胸は自然と高鳴っていた。

 部屋を見回す。陣はまだ来ていないようだ。
 ——そうだ。
 ふとした思いつきに、私はくすりと笑った。
 机の下へしゃがみ込んで身を潜める。
 あとから来た陣を驚かせようと、そんな子どもっぽいいたずらをしたくなったのだ。

 程なくして扉が開く音がした。
 足音がゆっくり近付き、白いスラックスに包まれた脚が目の前で止まる。
 その足先が右へ、左へと動いている。どうやら私を探しているらしい。

 ——今だ。
 飛び出そうと身体に力を入れたその瞬間。
 ひょい、と机の下を覗き込む顔と目が合った。

「きゃっ!」
 予想だにしていない陣の行動に驚き、慌てて身を起こした私は——。
「いたっ!」
 ごん、と机へ角をぶつけてしまった。

 うずくまる私を見て陣が吹き出す。
「お前は昔からかくれんぼが下手だな」
「うぅ……。もう、なんで分かったの?」
 痛む角をさすりながら唇を尖らせると、彼は笑いを堪えながらある場所を指差した。

「尻尾が丸見えだぞ」
「……あ」
 そこには尻尾だけが机の外へぴょこんと飛び出していた。
「しまった……」
 完全に失念していた。私は慌てて尻尾を抱き寄せ、背中へ隠す。
 そんな私を見て陣はまた肩を震わせた。

「ほら」
 笑みを浮かべたまま私へ手を差し伸べる。
 羞恥が未だ収まらない中、私はその手を握り返し机の下から這い出た。

 温かな手をそのまま離すことなく、私達は並んで窓際へ向かう。
 陣が窓を開けると、まだ昼間の暑さが残る夜風が書庫へ流れ込んできた。

 陣は窓を軽々と飛び越え外へ降りると、すぐにこちらを向いて両腕を広げる。
「さぁどうぞ、お姫様」
 キザな台詞に小さく笑いながら窓枠にピョンと飛び乗って、彼に勢いよく飛びつく。

 陣は危なげなく私を受け止めてくれた。
 腕の中から見上げると、月明かりに照らされた彼が優しく微笑んでいる。

 外に出るのは実に一年振り。
 胸の高鳴りを抑えきれないまま、私達は祭囃子が微かに聴こえる夜の街へ足を踏み出した。