龍棲宮の主

【薄暗がりの中で(??視点)】
 自動扉が低い駆動音を響かせながら開く。廊下から漏れた白い人工灯が、薄暗い部屋の床を細く照らした。
 天井の蛍光灯は寿命が近いのか、一定の間隔で明滅を繰り返している。その奥では一基の巨大な機械が鎮座していた。

 幾重にも張り巡らされた配管、絶え間なく点滅する計器。
 まるで何かの命を待ち続けているかのような、不気味な存在感を放っている。

 機械の前に立つ男が、こちらの気配に気付きゆっくりと振り返った。
「やぁ、君か」
 穏やかな声音は長年の友人へ語り掛けるようで、それに合わせて口元は柔らかな笑みを浮かべている。しかし瞳だけはどこまでも冷え切っていた。

 男は一度だけこちらへ視線を向けると、再び巨大な機械へ向き直る。
「もう間もなくだ。長年追い求めてきた我らの悲願が、ようやく現実になる」

 静かな声が人気のない部屋へ溶けていく。
 期待、歓喜、そして揺るぎない信念。彼の声音には確かな高揚が滲んでいた。

 男が踵を返し、こちらへ歩み寄る。
「さて——そろそろ向かおうか、龍棲宮へ」
 穏やかな笑みはそのままに、静かに告げて部屋を出る。
 遠ざかっていく足音。自動扉が再び駆動音を立て、その後室内は微かな機械音だけに包まれる。

 ——ああ、ようやくこのときが来た。
 潰れた喉の代わりに脳味噌が言葉を震わせる。
 巨大な機械を前にして、マスクの奥で口元が自然と吊り上がる。

 あと少しだ。
 あと少しで、我が野望は成就する。

 ◇◇◇

【珍客】
 七月中旬。
 外では真夏日が続く中、私は自室のベッドに腰を下ろし、タブレット端末で今日の来客予定を確認していた。

「ん?」
 その最中、新着メールの通知が届いたので作業を中断してメールを開く。
 差出人は退魔師協会。内容は見慣れたものだった。
『婚約者候補追加資料』

「また増えた」
 思わず苦い笑みが漏れる。

 およそ三十年振りに私という龍永の龍神の転生体が見つかったことで妖怪被害は減ったものの、私には血縁がいない。だから協会も焦っているのだろう。
 次の転生体を少しでも早く誕生させるため、そして子孫という追跡しやすい血筋を残すため。早く伴侶を選べという思いがひしひしと伝わってきた。

 ——……ま、余計なお世話なんだけどね。
 そう心で呟きながらも一応資料を開いてみる。
「あ、この人ってあの名家の人だ」
 写真付きのプロフィールが次々と表示される。
「わっ、この人テレビで見たことある!」

 思いのほか楽しくなってはしゃいでいると、お腹に回されていた腕の力が少しだけ強くなった。
 息苦しさに抗議の表情を作って上を向くと、面白くなさそうに眉を寄せた陣と目が合う。

「もう。こんなんで嫉妬しないでよ」
 やれやれといった感じで笑いながら、眉間の皺を伸ばすように撫でると、彼の肩が僅かに下がった。

「……こんな俺は嫌か?」
 右目が不安そうに揺れる。
 新しい関係になってから、陣は以前よりずっと素直な感情を見せるようになった。
 昔から陣のことなら何でも知っていると自負していたが、それはほんの一部に過ぎなかったのだと今になって思い知らされる。

「別に嫌じゃないよ」
 私は振り返って微笑んだ。
「どんな陣でも、私は好きだから」
 その一言だけで、彼の表情は見る見る和らいでいく。
「——そうか」
 ほっとしたように笑うと、そのまま私の肩へ頬を預けてきた。

「暑い……」
「冷房の温度下げるか?」
「そうじゃなくて、離れてって言ってるんだけど?」

 恋人になって約一か月。私達はただの兄妹だった頃よりも格段にスキンシップが濃くなった。今もこうしてベッドの上で陣の脚の間に座り抱き締められている。
 こんなふうにイチャイチャする時間は嫌いじゃない。けどエアコンが効いている部屋とはいえ真夏にこれは少々暑苦しい。

「なあ」
 そんなことを考えていると、不意に陣の声色が真面目になった。
「やっぱりそろそろ皆に話した方がいいんじゃないか、俺達のこと」
「……」
 すぐには答えられなかった。

 彼の言いたいことは分かる。私達の関係を公表すれば、婚約者候補との面会も必要なくなるし、伴侶について周囲から言われることもなくなるだろう。
 だけど血が繋がっていないとはいえ、兄妹である自分達が恋人になりましたなんて言ったら、周囲はどう思うだろう。
 特に真里ちゃんや他の親しい人達の反応を想像すると、どうしても勇気が出なかった。

「ごめん、まだ心の準備が——あ、別に陣とのことが恥ずかしいとかじゃなくてね……?」
 誤解ないように慌てて訂正すると、肩口で小さな笑い声がした。
「大丈夫、ちゃんと分かってるよ」
 穏やかに笑って、陣は私の首筋へ唇を寄せる。

「っ……!」
 突然の感触に反射的に肩が跳ねた。
「さっきのは俺の我儘だ。お前のペースでいい」
 身体を離した陣はこちらに優しい眼差しを向けて、今度は私の唇に指を這わせる。

 ドクンと心臓が大きく跳ねて、身体が熱くなる。こんなこともう何度もされているというのに、心も身体も未だに慣れてくれない。
 陣はそんな私を見て愛おしそうに目を細めると、ゆっくりと顔を近付けてきた。

 唇が触れ合う、その寸前。
 コンコンと襖を叩く音が部屋に響き、熱くなっていた頭が一瞬で現実へ引き戻される。

「龍神様、お客様がお見えになりました」
 襖の向こうから使用人さんの声が聞こえる。

「は、はーい! 今行きます!」
 慌てて陣の胸を押し返しながら返事をすると、使用人さんは襖を開けることなく部屋から遠ざかっていった。
 見られなくて良かったとほっと胸を撫で下ろした後、隣を見ると案の定、陣は不満そうな顔をしていた。

「ほら行くよ。今回は貴方も同席するんでしょ?」
 苦笑しながら腕を引くと、彼は渋々といった様子でベッドから立ち上がる。
 その間に私はタブレットを操作して来客情報のタブに戻った。
 今回の面会は婚約者を選ぶためのいつものやつではない
 本日の相手は対妖怪用道具の開発、製造を手掛けている大企業の社長さんだ。

 ◇

 客間へ入ると、既に三人の人物が私達を待っていた。
 一人は見知った人物、春野隊長。
 護衛部隊が新設されてからというもの、顔を合わせる機会はめっきり減ってしまったため、久しぶりに元気そうな姿を見られて頬が緩む。

「春野隊長、お久しぶりです」
「ええ、久しぶりね。元気そうで安心したわ」
 短い言葉だったけれど、その声音には気遣いが滲んでいた。
 軽く挨拶を交わした後、私は彼女の隣へ腰を下ろし、陣は私の隣に座る。

 机を挟んだ向かい側には、来客情報で見た人物の姿があった。
 六十代半ばほどの男性で、白髪交じりの髪を整え、穏やかな笑みを浮かべている。
 柔らかな物腰からは威圧感はまるで感じられず、どこか人の良さそうな雰囲気をまとっていた。
 この人が対妖怪用道具の開発、製造を手掛ける会社〝エタニティ〟の社長さん。

 彼は笑顔のままこちらに名刺を差し出してきた。
「はじめまして。(わたくし)、株式会社エタニティ代表取締役社長の柿崎(かきさき)光一(こういち)と申します。本日はお忙しい中、お時間をいただきありがとうございます」
「こちらこそ、お越しいただきありがとうございます」

 私が名刺を受け取り一礼すると、柿崎さんは続いて隣に座る青年へ視線を向けた。
「そしてこちらが私の秘書の橋玉(はしだま)です」
 紹介された青年が静かに頭を下げる。

 年は二十代後半ほどに見えた。口元は白いマスクで覆われ、スーツの下に黒いタートルネックを着ている。七月の暑さを思えば少し珍しい服装だけれど、不思議と窮屈そうには見えなかった。
 穏やかな垂れ目が印象的で、柔らかく目を細める様子からは物静かな人柄がうかがえる。

「それでは、早速本題に入らせていただきます」
 柿崎さんが切り出すと、橋玉さんが小さく頷き手元のタブレットを机へ置いた。
 空中に淡い光が広がり、半透明のバーチャルスクリーンが展開される。

「事前にお伝えした通り、本日は龍神様のお力の安定化と、さらなる能力拡大へ向けたご提案をさせていただきたく参りました」

 スクリーンに映し出されたのは一基の巨大な機械だ。
 あちこちに配管が生えており、至る所にあるランプがチカチカと点滅している。
 そして機械の正面には、人一人が腰掛けられる椅子のような装置が組み込まれていた。

「こちらは弊社が独自に開発を進めている霊子共鳴補助装置です」
 柿崎さんはスクリーンの一部を拡大しながら説明を続ける。
「龍神様の霊力を観測・解析し、その状態に合わせてお力をより安定して扱えるよう支援することを目的としております」

 画面には霊力の粒である霊子の流れを示す図や、能力の変動を表すグラフが次々と表示されていく。
「まだ試験段階ではありますが、理論上は能力への負担を軽減し、日本全土の妖怪発生率を九十九パーセント抑えられるようになると考えています」

 私は柿崎さんの説明に耳を傾けながら画面へ見入っていた。
 今のままでは遠くの土地まで私の力は届かない。ここ龍棲市だって以前より減少したとはいえ、完全になくなったわけではない。
 もし本当にそんなことが実現出来るなら、今よりもっと多くの人を救えるかもしれない。妖怪被害をさらに減らせるかもしれない。

 事前の連絡があったときから返事は決まっている。
「とても素晴らしいですね、是非ご協力させてください」
 私が笑顔で答えると、柿崎さんは目を細め、嬉しそうに頷いた。

「ありがとうございます。そのお言葉をいただけて安心しました」
 一拍置き、穏やかな表情のまま続ける。
「……実は私は若い頃、妻と息子を妖怪に奪われました」
 怒りをぶつけるでもなく、悲しみを誇張するでもない。長い年月を経て、それでも消えることのなかった喪失だけが言葉の端々に滲んでいた。

「その日から私は決めたのです。妖怪によって涙を流す人が、のれ以上生まれない世界を実現したいと」
 こちらを真っ直ぐ見つめる眼差しはとても誠実だった。
 大切な人を失った痛みは私もよく分かる。

「……奥様とお子さんのこと、お辛かったですね」
 胸が締め付けられるような思いで言うと、柿崎さんは逆にこちらを励ますように微笑んだ。
「ありがとうございます。ですが、だからこそ前を向かなければならないのです」
 ——強い人だ。

 その後は装置の運用方法や安全性、今後の検証計画について話し合いが続いた。
 最終的に秋頃にエタニティ本社を訪問する予定が決まる。

「——それでは、本日はこれで失礼させていただきます」
 数十分に及んだ打ち合わせが終わり、柿崎さんがゆっくりと立ち上がる。
 隣では橋玉さんがタブレットを片付け、手に持っていたメモ帳をスラックスへしまおうとしていた。
 私達も見送りのために席を立つ。

「日程の詳細は、改めて協会を通してご連絡いたします。どうぞお気を付けてお帰りください」
 春野隊長がにこやかに告げると、二人は丁寧に一礼して客間から去っていった。

「……ん?」
 その直後、陣が小さく声を漏らす。視線を向けると、畳の上に一冊の小さなメモ帳が落ちていた。

「あっ、それ橋玉さんの――」
 私が言い終えるより早く、陣はそれを拾い上げて廊下へ出る。
「橋玉さん」
 呼び掛けられた橋玉さんは、びくりと肩を震わせて振り返った。
 その目には怯えのような色が浮かんでいるように見える。
 陣の声が少し大きかったから、びっくりしたのかもしれない。

「落としましたよ」
 陣がメモ帳を差し出すと、橋玉さんは少し表情を緩めてメモ帳を受け取り何度も頭を下げた。
 そしておもむろにメモ帳を開き、さらさらと何かを書き込む。
 私達へ向けられたページには、一言だけ綺麗な文字が並んでいた。

『ありがとうございます』

 ——あ。
 ここでようやく気付く。
 そういえば橋玉さんは打ち合わせの間、一度も声を発していなかった。
 もしかして……。

 隣を見ると陣も同じことに思い至ったらしく、丸くしていた右目を柔らかく細める。
「いえ、お気になさらず」

「実は彼も妖怪の被害者でしてね」
 陣の言葉の後、少し離れた場所で立ち止まっていた柿崎さんが橋玉さんへ目を向けた。
「襲われた際に喉に深い傷を負ったようで、それ以来声を出すことが出来なくなったのです」

「そうだったのですね……」
 再び胸に痛みが走る。
 彼もまた妖怪に人生を変えられた人の一人なのだ。
 そんな人達だからこそ、妖怪被害をなくしたいという思いで研究を続けているのだろう。

 私ももっと頑張らなければ。一人でも多くの人が、こんな悲しみを味わわなくて済むように。

 橋玉さんはもう一度静かに会釈すると、柿崎さんと並んで歩き出した。
 二人の背中はそのまま廊下の奥へと消えていった。