龍棲宮の主

 子供の頃の夢を見た。
 私と陣の養子縁組が決まった日の記憶。

『私達同じ家に引き取られるの?』
『ああ、俺達家族になれるんだ。ここを出てもずっと一緒にいられる!』

 嬉しそうに笑う陣を見て、私も思わず笑顔になる。
『やった! 陣と一緒!』
 私は彼の手を取ってぴょんぴょんと跳ね回った。そんな私の手を彼は優しく握り返す。

『今日から俺はお前の兄さんだ。ここを出たら辰巳が行きたい場所、どこへだって連れていってやる』
『兄さん?』
『そう、兄さん』
『——兄さん! ふふっ』
 大好きな彼が私の兄になった。その事実がたまらなく嬉しくて、私は勢いよく彼に抱きつこうとした。

 だが、温かな思い出から一変。

『もう限界なんだよ』
 聞き慣れた声に身体が凍り付く。
 気が付くと私も陣も大人の姿になっていた。両腕は押さえつけられ、逃げることもできない。

『これ以上、家族ごっこには耐えられない』
 今まで見たことのないほどの暗い瞳で私を見下ろす彼。
 ああ、貴方は。
 貴方は誰なの——……?

 ◇

「——……ちゃん。——辰巳ちゃん」
 聞き慣れた声にゆっくりと意識が浮かび上がる。
「大丈夫? 具合悪い……?」
 顔を上げると、真里ちゃんが心配そうにこちらを覗き込んでいた。
 私がアトリエの床でうずくまっていたものだから、体調不良だと思ったのだろう。

「大丈夫、ちょっと寝てただけだから」
「良かった、びっくりしたよ……」
 こちらが手を振って笑ってみせると、彼女はほっと息をつき、その後窓へ歩み寄った。

「雨、止まないねぇ」
 耳を澄まさずともザーザーと激しい雨音が聞こえてくる。
 梅雨に入ってから、ここ最近はずっとこんな調子だ。
「そうだねぇ、青空が恋しくなっちゃうな」
 私が苦笑しながら答えると、真里ちゃんは窓の外を見つめたまま「あっ」と声を上げた。

「あれ、中條先輩かな」
 その言葉に尻尾が無意識にぴくりと反応する。
 私は立ち上がり、彼女の隣へ移動して窓の外を覗き込んだ。

 雨の中ぽつんと一人、白い制服姿の人物がこちらに背を向けて立っている。
 傘で顔は見えないけれど、体格からしておそらく陣だろう。
 ——陣、こんな雨の中何してるんだろう。

 疑問に思っていると、まるで私の視線に気が付いたかのように彼が振り向いた。
 左目を覆う眼帯が露わになる。
 傘から覗く右目が真っ直ぐこちらを射抜く。

 ドクンと心臓が大きく脈打って、私は反射的にしゃがみ込んだ。
「辰巳ちゃん!?」
 突然身を縮こませた私に真里ちゃんが驚きの声を上げる。

「どうしたの? ——お兄さんと何かあった?」
「……」
 図星だ。でも本当のことなんて言えるはずがない。
「な、なんでもないよ。あっ、もうすぐ婚約者候補の人と会う時間だから私行くね!」

 いたたまれなくなった私は再び立ち上がると、そそくさとアトリエから出ていった。
 陣と再会して約一ヶ月。色々と話したいと思う気持ちとは裏腹に、私は彼を避けてばかりいる。



 あれ以上真里ちゃんに心配をかけたくなくて、予定より早く客間に来たわけだけど、失敗だったかもしれない。
 客間の前まで来たところで、廊下の向こうから歩いてきた陣とばったり鉢合わせてしまった。

「なんだ、随分と早いな」
 陣の口調は昔と変わらない。でもその笑顔はどこかぎこちなかった。

「……なんでここに」
「なんでって……そりゃあ今回の面会の護衛は俺も担当だから」
 戸惑い気味に返答した後、彼は居心地悪そうに視線を伏せる。
「嫌なら他の奴と交代してもいい」
「い、いいよ。そんなことしなくて」

 ああ、まただ。
 そんなつもりはないのに、口を開くと棘のある言い方になってしまう。

 そんな私の態度に言及することなく、陣は襖を開けてくれた。
 礼を言って中へ入りながら考える。

 ——このままでいいの?
 ようやくまた会えたのに。ずっとお互いよそよそしいままなんて、私は嫌だ。
 今の状況を変えたいなら、自分から歩み寄らないと。

 閉まりかけた襖へ、咄嗟に手を添える。
 その行動が予想外だったのだろう。陣は右目を僅かに見開かせ、驚いたように私を見つめた。

「ねえ、さっきなんで外にいたの?」
 まずはたわいない話からと、先程雨の中庭に立っていた理由を尋ねる。
 時間が止まったかのように固まっていた彼の顔が、数秒経ってからようやく動きだす。

「……ああ。実は知り合いから紫陽花を譲ってもらってな。お前が気に入るようなら、庭に植えるのもいいんじゃないかと思って場所を見てた」
「そうだったんだ、いいね。紫陽花、私好きだよ。雨の日でも綺麗に見えるから」

 私がにこりと笑って答えると、陣もどこか安心したように小さく笑った
「お前ならきっとそう言うと思ってた。じゃあ天気が良くなったら一緒に植えよう」
「うん!」
 このやりとりで、さっきまでのぎこちない空気が少しだけ薄れたような気がした。

「——ここでの暮らしには慣れたか?」
 次は何を話そうか迷っていると、陣が遠慮がちに話題を振ってきた。
「えっ? ああ、うん。だいぶ慣れてきたかな。実は少し前から画家として活動を始めてね。ありがたいことに評判も良くて、思っていたより退屈はしてないんだ」
 自分でこんなこと言うのは少々照れくさい。私は頬にある鱗を掻きながら、照れ隠しに視線を逸らした。

「知ってるよ。〝鱗華(りんか)〟だろ? この前の個展も見に行った」
「えっ?」
 思わぬ返答に目を丸くする。
「よく分かったね」

 画家として活動するにあたって、本名はもちろん素性も一切公表していないのに。
 陣は「当然だろ」と言わんばかりに得意げに笑った。
「何年お前の絵を見てきたと思ってるんだ。一目見ただけで分かったぞ」

 その言葉に、胸の内側がじんわりと温かくなっていく。
 昔から私の絵を誰よりも見て、誰よりも褒めてくれた実績は伊達じゃないらしい。
 少し照れくさいけれど——嬉しかった。

 そんな私の表情を見て、陣は穏やかに目を細める。
「元気そうで安心した。外へ自由に出られないのは何かと不便だろ。何か欲しい物はあるか?」
「今は特にないよ」
 日用品も画材も、大抵のものはネットで揃えられる。だから生活に困ることはほとんどない。

「そうか……。何かあれば遠慮なく言ってくれ」
「……うん」
 優しい声で紡がれた言葉に頷いた後、見ないふりをしていた心の中のしこりが主張を始めた。

 困ったときは助けてくれる。
 欲しい物があれば買ってくれる。
 いつだって私を一番に考えてくれる。
 昔はそんな彼の態度に一切疑問を抱かなかった。

 でも今は考えてしまう。
 この人どうしてこんなにも私に尽くしてくれるのだろう。

 もし彼を突き動かしているものが、前世から続く奥村仁としての想いなのだとしたら。
 私は——。

 不意に聞こえてきた複数の足音によって、思考の深層へ沈んでいた意識が浮上する。
 廊下の向こうから隊員達がやってきた。

「そろそろ客人も着く頃だろう。話はここまでだな」
 陣は私に向かって柔らかく微笑むと、静かに襖へ手を掛ける。
 閉じていく襖の向こうへ消えていく背中を、私はただ見つめることしか出来なかった。

 ◇

 しばらくして婚約者候補の男性がやってきた。
 二十代後半ほどだろうか。落ち着いた雰囲気の青年で、私を見ると少し緊張したように背筋を伸ばす。

「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、ようこそおいでくださいました」
 互いに一礼し、向かい合って腰を下ろした後、彼は手に持っていた花束をおずおずと差し出してきた。

「よろしければ、お近付きの印に……」
「わあ……」
 思わず声が漏れる。淡い青や白を中心にまとめられた花束は、梅雨の景色によく似合う優しい色合いをしていた。

「ありがとうございます。とても綺麗ですね」
 受け取って、青い花弁を優しく指先で撫でる。
 見たことない花だ、なんて名前なのだろう。顔料にしたらきっと晴れた空の色にぴったりだ。

「花、お好きなんですね」
「はい。季節を感じられるので好きなんです。それに見ていると、なんだか心が落ち着くので」
 私が笑うと、彼はほっと肩の力を抜いたようだった。
「安心しました。何をお贈りすれば喜んでいただけるか、ずっと悩んでいたので」
「そんな……。お気持ちだけでも十分嬉しいです」

 それからたわいない話が続く。
 彼は終始穏やかで、私の話にも真剣に耳を傾けてくれた。
 悪い人ではないと話していてよく分かった。彼となら上手くやっていけるかもしれない。
 そう思うのと同時に、頭の片隅で何故か陣の顔がちらつくのだった。

 ——……あれ?
 彼と話し続けていると、不意に身体に異変が起きた。
 熱い。
 さっきまでなんともなかったのに、じわりと額に汗が滲む。
 視界が少し揺れ始めた。

「龍神様?」
 青年が心配そうに身を乗り出す。
「すみません……少し——」
 言い終える前に身体がぐらりと傾いて、畳に強く打ちつけた。

「龍神様!? だっ、誰か!!」
 朧げな意識のなか、青年の声に反応するように襖が開く音が耳に届く。
「龍神様!」
 駆け込んできた陣が私を抱き起こし、額へ手を当てる。

 途端、陣の表情が一変した。
 鋭い視線が青年へ向く。
「お前、彼女に何をした」
「ち、違います! 私は何も――」

 青年は顔を青くしながら首を横に振る。
「兄さん……」
 震える手で私は左のホルスターに伸ばそうとする陣の腕を掴んだ。
「この人は……何も、してない……から」
 そう伝えたところで、意識がふっと遠のく。

 最後に見えたのは、私を抱き支えたまま苦しげに眉を寄せて何かを叫ぶ陣の顔だった。