龍棲宮の主

 昨夜とは打って変わり、今この時間は楽しさの欠片もなかった。
 昼過ぎ。私は龍棲宮の客間で婚約者候補の一人と向かい合っている。
 庭に面した和室には冷房が効いているというのに、妙に息苦しかった。

 龍永の始祖の転生体の血を濃く受け継いだ者ほど、次の転生体が生まれやすい。
 そのため未婚率が増えた昨今においても、私は子を残さなければならない。
 だから周囲は私に早く伴侶を決めるよう勧めてくる。
 だがどうにも気が乗らない。誰も彼も伴侶として魅力に欠ける。

 特に目の前の男は——。
「龍神様。貴女様のようなお方と言葉を交わせるだけでも大変光栄です」
 男はうっとりとした表情で言った。
「私の家も代々龍神様へ忠誠を誓って参りました。もし伴侶に選んでいただければ、生涯をかけてお支えいたします」

 その目は私を見ていない。
 彼が見ているのは龍永籠目ではなく、龍神という絶大な力。
 信仰対象であると同時に、そんな存在に近付けば自分の価値が高まると思っている。

 私は内心でため息をついた。
 最近どうもおかしい。
 以前なら気にならなかったのに、今はその熱に浮かされたような視線が妙に不快だった。

 私は手慰みに膝に置かれた花束へ手を伸ばす。男が持ってきた贈り物だ。白百合の花弁を指先で弄ぶ。
 どうせ子孫を残すためだけの婚姻だ。国の平和のために、次の転生体を早く誕生させるための。
 普遍的な愛を求めるなど贅沢なことだと分かっているのに。
 ——夫婦(めおと)になるなら——。

 ふと、脳裏に彼の顔が過った。
 普段は無表情だけど、時折見せる笑顔が温かくて。他者の気持ちに寄り添って、私のことを一人の人間として見てくれる人。

「……ああ、そうか」
 クスリ、と自然に笑みが零れた。
 ようやく分かった。何故以前は気にならなかったものが不快に感じるのか。
 私はもう知ってしまったのだ、自分が求めていたものの心地良さに。

「龍神様?」
 不思議そうな顔をする男を一瞥し、私は花束を持って立ち上がった。
「悪いが今日はここでお引き取り願おう」
「え?」
 男の表情が固まる。
「失礼する」
「そんな、お待ちくださいっ、龍神様!」
 引き留める声を無視して客間から去った。

「もうよろしいので?」
 すぐそばの廊下で、聞きたかった声が泰然と響く。
「ああ。時間は有意義に使わなければな」
 隊員達が一礼するなか、私はいつもの仏頂面を浮かべる彼に数歩近付いた。
 彼の姿を目にしただけで、先程までの息苦しさが嘘のように消えていく。

「左様ですか。——その花は如何いたしましょう? 不要ならこちらで処分しますが」
「いや、いい。綺麗な色をしているからな。顔料として使う」
 指先で花びらをくすぐった後、再び彼を見上げる。

「このあと時間はあるか?」
「書類仕事が少々。ですが、さほど時間はかかりません。終わり次第、またお邪魔させていただきます」
「分かった。待ってる」
 私は彼にとびきりの笑顔を向けて、軽い足取りでアトリエへと向かった。

 ◇

 机の上に花束を置き、イーゼルにかけられた布を剥がす。
 露わになったキャンバスを見て、思わず口元が緩んだ。

 背景には夜空と提灯と露店。描かれているのは龍神祭の夜、そして中央に浴衣姿の奥村がいる。
 花火の光に照らされた顔は穏やかで、慈愛に満ちていた。

 ほとんど完成しており、後は付け角とシールを描き加えるだけだ。
 だが——。
「違うな……」
 パレットの上で絵の具を混ぜては眉を寄せる。
 私のものと良く似た、あの青白色が中々再現出来ない。
 ああでもない、こうでもないと唸っていると。

 不意に扉が開いた。
「なんだ、随分と早かったな——」
 振り返ると同時に言葉を止めた。
 入ってきたのは奥村ではなく——先程の婚約者候補の男だったからだ。

「おい、何勝手に入ってきてる」
 私は露骨に声を低くし、眉をひそめた。
 この男に入室を許可した覚えはない。
 男は一瞬肩を震わせたが、すぐに不気味な笑みを浮かべた。

「申し訳ございません。ですが——」
 男の視線が机の上の花束に向く。
「その花束をお持ち帰りくださったので、龍神様も私とのご縁を前向きに考えてくださっているのだと思いまして」
「は?」
 思わず素の声が出た。
 何を言っているんだこいつは。
 男は私の反応を意に介さず歩み寄ってくる。

「龍神様ほどのお方はお立場上、素直なお気持ちを表に出せないのでしょう」
 ぞわり、と背筋が粟立つ。
「ですが私には分かります」
 男の笑みが深くなる。
「貴女様も本当は私を選びたいと思っておられる」
 ——これはまた……。
 私は内心で呆れた。随分と都合の良い脳味噌をお持ちのようだ。

「……誤解させたのなら謝る。だが私は——」
「大丈夫です、強がらずとも」
 男が私の言葉を遮った直後。
 空中に光が走った。

「!?」
 気付いた時には遅かった。
 無数の光の糸が私の身体に絡みつく。
 腕が、脚が、一瞬で拘束される。
 身を捩ってもびくともしない。
 ——なんだこれ……奴の退魔能力か!?

 男は恍惚とした表情で私を見つめ、一歩、また一歩と距離を詰めていく。
「誰か——っ」
 助けを呼ぼうとするも、糸で口を塞がれる。

「さぁ。今ここで一つとなりましょう。龍神様」
 男の指先が私に触れる寸前。

 バンッ!! と爆発音のような勢いで扉が開いた。
 同時に、私を拘束していた光の糸がふっと掻き消える。

「な——!?」
 男が愕然と振り返る。
 そこに立っていたのは——奥村だった。
 眼鏡の奥、彼の瞳が赤く光っている。
 以前聞いた彼の退魔能力・能力封じ。
 対象の能力を強制的に停止させる力。
 恐らく今、それを使ったのだろう。

 彼が駆けつけてくれたと安堵したのも束の間。
 彼が放つ気配に、私の心臓は凍りついた。
 奥村は何も言わずただ男を見ている。
 それだけなのに、全身の毛が逆立つような感覚。
 今まで感じたことのないほどの濃密な殺気が、彼の周囲を満たしていた。

 普段の奥村は静かな湖のような男だ。
 常に落ち着いていて、時折見せる感情はどれも穏やかなもので。
 だが今目の前にいる彼はどうだ。
 まるで大波が立つ嵐の海だ。こころなしかいつもより眼光が鋭い。

「ひ、ひぃ……!」
 腰を抜かした男が顔を引きつらせながら後退る。
 奥村はそんな男を見据えたまま、左脚のホルスターから警棒を引き抜き、即座に刀に変形させ、男の喉元に突き刺そうとした。
 一連の動作にはまったくの無駄がなく、一切の躊躇いも感じられない。

 本気だ。
 本気で彼はこの男を殺そうとしている。
「やめろ奥村! 殺すな!!」
 私が咄嗟に声を張り上げると、奥村は首まで後一ミリといったところで刀を止めた。
 その手はよく見ると震えており、呼吸は深く荒い。肩が上下している。
 何かを必死で抑え込んでいるのは明確だった。

「龍神様! どうなされ——」
 廊下から慌ただしい足音とともに数名の隊員が飛び込んでくる。
 そして室内の光景を見て固まった。

 奥村の瞳から赤色が消える。
 そして刀を警棒に戻すと、男の首をガンッと殴り気絶させた。
「無法者だ、連れていけ」
 彼は隊員達にそれだけを命じると、そそくさとどこかへ行ってしまった。

「奥村!」
 私は慌てて後を追った。
 今の彼を、独りにしてはいけない気がしたから。