龍棲宮の主

「この格好では目立つので、一度着替えさせてください」
 奥村の提案により、祭り会場へ向かう前に彼の住むマンションへ立ち寄ることになった。

 龍棲宮から少し離れた住宅街。
 そこに建つ十五階建てほどのマンションは、白と灰色を基調とした現代的な外観をしていた。
 エントランスには自動ドアと宅配ボックスが並び、防犯カメラも複数設置されている。龍棲宮のような荘厳さはない。

 エレベーターで上階へ上がり、奥村の部屋へ入る。
 室内は彼らしい空間だった。
 余計な物がほとんどなく、白い壁と落ち着いた色合いの家具、本棚には整然と本が並んでいる。
 生活感はあるのに不思議と無機質だ。

「少々お待ちください」
 そう言い残し、奥村は寝室へ入っていった。
 私はリビングのソファへ腰掛ける。
 待っている間、妙に落ち着かなかった。

 他人の家へ来ること自体が初めてだからか、つい視線があちこちへ向いてしまう。
 本棚、観葉植物、テレビ、そしてその下のテレビボード。そこで私は目を止めた。

「これは……」
 上には革製の首輪が置かれている。
 近付いてよく見てみると、留め具の近くが千切れていた。
 部屋の中に動物の気配はない。
 なら昔飼っていたペットのものだろうか。そんなことを考えているとドアが開いた。

「お待たせしました」
 戻ってきた奥村はいつもの堅苦しい制服姿ではなく、涼しげな浴衣を身につけていた。
 黒地に濃紺の縦縞が入った生地。派手さはなく、彼の長身の体格によく似合っている。
 普段よりも近寄りやすく感じた。

「それでは参りましょうか、龍神様」
「待て。その前に」
 私は差し出された手を一旦制止する。
「一般人がいるなかで〝龍神様〟呼びは目立つ。お互い別の呼び方を決めるべきだ」

「——それもそうですね。如何いたしましょうか……」
 顎へ手を当てて思案する彼に、数歩近付く。
「お前、きょうだいはいるか?」
「いませんが——子供の頃は年下と接する機会は多かったです」

「そうか」
 私は満足げに頷き、さらに一歩近付いた。
「なら今からお前のことは兄さんと呼ぶ」
「兄さん……?」
 珍しく間の抜けた声が返ってきた。
 そんな彼の耳元に背伸びをして顔を寄せる。
「だから——私のことは籠目(かごめ)と呼べ」

 小声で囁いて顔を離すと、目を丸くした奥村と視線が合った。
 滅多に見られない反応に思わず笑みがこぼれる。
「私の名前だ。いいか、籠目だぞ。間違えるなよ? あと敬語も禁止だからな」
 人差し指を突き付ける私に対し、奥村はしばらく沈黙を続けた。
 困らせ過ぎただろうかと不安に思い始めた頃。
 彼は少し屈んで、私と目線を合わせてきた。
 そして。

「——まったく、注文の多い妹だな」
「っ!?」
 頭上に雷が落ちたような衝撃だった。
 いつもと違う口調、それでいて自然体な喋り方と余裕のある笑みに、今度はこちらが固まってしまう。

「今日は私の奢りだ。籠目の好きな物、兄さんがなんでも買ってやる」
 姿勢を戻し、再びこちらに手を差し出してくる彼。

「——そんなこと言って、後で後悔しても知らないからな?」
 先程の不意打ちにより反応が少し遅れたが、私は口元を吊り上げて彼の手を取った。
 妙な音を立てる胸の内を隠すように。

 龍神祭はもう始まっている。
 期待に胸を弾ませながら、奥村と共に部屋を出た。

 ◇

 祭囃子と人々の声。
 祭り会場へ近付くにつれ、周囲はどんどん賑やかになっていった。
 歩行者天国となった大通りの両脇には露店がずらりと並んでいる。

 焼きそばの香ばしい匂い。
 甘い綿菓子の香り。
 金魚すくいの水音。
 子供たちの笑い声。
 どこを見ても活気に満ちていた。

 これまで写真でしか見たことのなかった光景。それを今、鮮明に体感出来ている。
 私の目は自然と輝いていた。
 そんな私の人外じみた姿を、周囲の人々はまったく気にする様子もない。

 それもそのはず、辺りを見回せば角のカチューシャを付け、鱗のシールを貼った人物がそこかしこにいるのだから。
 私のことも龍神の仮装をした人間の一人にしか見えていないのだろう。
 予想通りの反応に、少しの可笑しさと底知れない安堵が込み上げてくる。

「せっかくだし兄さんも」
 私は奥村の手を引いて装飾品を売る店に向かった。
 店先には龍神を模した角のカチューシャや鱗のシールが並んでいる。
 私はその中から青白い角と鱗を選んだ。

「ほら、じっとしていろ」
「くすぐったい」
「我慢しろ」
 私は早速奥村の頭にカチューシャを装着し、頬と腕にペタペタとシールを貼っていく。
「出来たっ、これでお揃いになったな!」
 柄にもなく子供のような笑みを向けると、彼も笑い返してくれた。



 その後は様々な店を回った。
 綿菓子を買って、初めて食べるふわふわの甘さに感動し。
 ヨーヨー釣りでは紙が破れそうになったところでなんとか一個釣り上げ。
 射的では景品のぬいぐるみを狙った。

「ふんっ!」
 乾いた音と共にコルク弾が飛び出し、ぬいぐるみの横をかすめる。

「むぅ……」
 上手く狙えず歯噛みしていると、横から大きな手が伸びてきた。
「兄さんに貸してみろ」
 自信満々な態度の奥村に銃を渡す。

 構えて、狙いを定めて、引き金が引かれる。
 するとパンと乾いた発砲音の直後、ぬいぐるみが見事に棚から落下した。

「おお!」
 思わず歓声を上げる。
 店主も感心したように景品を渡してきた。
 奥村はそれを受け取ると、私へ差し出す。

「ほら」
「ありがとう兄さん」
 私はぬいぐるみを受け取り、大事に抱きしめた。
「そんなに嬉しいか?」
「ああ、兄さんが私のために取ってくれたものだからな」

 私がぬいぐるみを抱える腕に力を込めて言うと、奥村は一瞬だけ目を見開かせ、そして少し困ったように笑った。



 しばらくして、空へ大きな光が咲いた。
 轟音が夜空を揺らす。
 色とりどりの花火が打ち上げられたのだ。
「綺麗だな……」
 ぽつりと呟く。
 至るところで歓声が上がる。
 夜空いっぱいに広がる光景は、絵や映像より遥かに美しかった。

 隣を見ると、奥村も空を見上げていた。
「兄さん」
「ん?」
「私を連れ出してくれてありがとう」
 私がそう言うと、彼は穏やかに目を細めた。
「また行きたい所があったら言ってくれ。お前が願うなら、たとえどんなに道のりが険しい場所でも連れていってやるよ」

 花火の光が彼の顔を照らす。
 愛おしげにこちらを見つめる表情に、いつの間にやら私の体温は高くなっていった。

 ◇

 祭りを堪能し尽くし、奥村のマンションへ戻ってきた。
 時刻はすっかり遅くなっている。祭囃子も遠くなり、窓の外には静かな夜景が広がっていた。

 奥村は着替えるため寝室へ向かい、私は先程と同じようにリビングのソファへ腰掛ける。
 テーブルの上には冷えた麦茶が用意されていた。
 一口飲む。
 冷たい液体が喉を通り抜ける。
 外を歩き回った後だからだろうか。いつもより美味しく感じた。

 背もたれに身体を預け、今日の出来事を思い返す。
 人の目を気にせず歩きまわって、色々な物を買って食べて、最後は綺麗な花火を見て——。

 どれもついこの間までは永遠に叶うまいと諦めていたものばかりだ。
 奥村には感謝してもし足りない。
「楽しかったな……」
 初めて外の世界を体感出来たこともそうだけれど。
「あいつといると、時間が経つのが早く感じるな」
 なんでだろうなと考えながらまた麦茶を口へ運んでいると——。

「そうですか。なら——」
 背後から奥村の声がした。

 麦茶を吹き出しそうになりながら慌てて振り返る。
 彼の顔は思っていたよりも近くにあった。
 鼻先が触れそうな距離。先程の独り言を聞かれて焦った頭が、さらに熱を帯び始める。

 眼鏡越しの両目は笑っていた。
 だがここ最近見せてくれたものとは違う。
 どこか妖艶さを孕んだ微笑だった。

「——てくれますか?」

 彼の口から出た声は囁きを通り越して吐息に近く、ほとんど聞き取れない。
「え……? すまん、聞き取れなかった」
 もう一度言ってくれと頼んだが、奥村は数秒こちらを見つめた後、何事もなかったかのように距離を取った。

「……」
「奥村?」
 彼は答えない。代わりに手に持っていた紙袋をこちらに向けてきた。
「お荷物はここにまとめてあります」

 どうやら話を戻す気はないらしい。
 本人がそうすることを選んだのなら、きっと大した内容ではなかったのだろう。私は深く考えないことにした。

「ありがとう。——ん?」
 紙袋の中を確認する。
 水風船、射的で取ってもらったぬいぐるみ。その隣に、見覚えのない小さな箱が並んでいた

「これはなんだ?」
「開けてみてください」
 言われるまま箱を開く。
 中には紫色の鉱石が収められていた。光を受けて静かに輝いている。

「これは……アメジストか?」
「はい。たまたま立ち寄った店で見かけたものです」
 彼の視線が石へ向けられる。
「良かったら顔料としてお使いください」

 どうやら私が鉱石から顔料を作ることを覚えていてくれたようだ。
 そんな些細なことを記憶してくれていた事実に、胸がじんわりと温かくなる。

「……ありがとう、ありがたく使わせてもらう」
 自然と笑みが零れた。
 奥村も私につられるように微かに笑む。

「それでは、そろそろ戻りましょうか」
「ああ」
 私は立ち上がり、差し出された彼の手を取った。