夢を見た。
前世の全ての記憶。
龍永の龍神として生まれ、人々から崇められ、龍棲宮という鳥籠で過ごした一生分の記録が、濁流のように頭に流れ込んでくる。
平和で退屈な日々の中で。
彼との思い出が、一番鮮やかに輝いていた。
◇
目を覚ますと自室のベッドの上だった。陣がここまで運んでくれたのだろう。
枕元の時計を見る。
時刻は昼前。気を失ってから数時間ほど経っていた。
身体を起こし、再びリビングに向かう。
「兄さん?」
室内は静まり返っている。
陣の姿はなく、代わりにローテーブルの上に書き置きがあった。
『仕事に行ってくる。協会にはお前は今日休むって連絡しておいた。ゆっくりしててくれ』
私はしばらくその文字を見つめていた。
頭が落ち着いてきた今なら分かる。
彼は私と同じ、前世の記憶を持つ人間。
中條陣は、奥村仁の記憶を有している。
陣は私に前世と同じ思いをしてほしくなくて、ずっと足掻いてきたのだろう。
「……ほんとバカ」
彼の気持ちは痛いほど理解出来る。でもだからって、全部一人で決めていい理由にはならない。
陣が帰ってきたらよく話し合おう。
そう思いながらテレビをつけた。
「……え?」
画面いっぱいに映し出された光景に、私は大きく目を見開く。
昨夜龍神祭を襲ったあの大蜘蛛がいたのだ。
スピーカーからアナウンサーの緊迫した声が響く。
『こちらは一般の方が撮影した映像です。S級指定妖怪は依然として暴走を続けており、近隣住民には避難指示が--』
凍りついたビル。
氷糸に貫かれ崩れ落ちた建物。
白く凍結した道路。
そして逃げ惑う人々。
心臓が大きく脈打つ。
頭で考えるよりも先に勢いよく家を飛び出した。
車庫に駆け込み、停めてあったバイクへ跨る。
エンジンをかけるとともに、低い振動音が響く。
まだ封印は解けていないけど……。
——大丈夫、全部思い出した今なら——。
◇
アクセルを捻るたび、景色が後方へ流れていく。
大蜘蛛が出現した地点からはまだ遠いはずなのに、普段のこの時間帯なら混雑しているはずの道路は異様なほど空いていた。
現場へ近付くにつれ人の気配はどんどん少なくなっていった。
少し先の方では、乗り捨てられた車や白く凍った街路樹が見える。
私はスピードを落とすことなく、その凍てついた世界の入り口へと突っ込んだ。
それから一分も経たないうちに、前方に巨大な影が見えた。
大蜘蛛だ。
建物群の間からでもその異様な巨体がはっきり分かる。
奴は今もなお、糸を撒き散らしていた。
白い糸が空中へ放たれるたび、周囲の建物が凍り付いていく。
道路が。
ビルが。
街そのものが氷に侵食されていく光景は悪夢みたいだ。
大蜘蛛に近付こうとする道中、少し離れた上空でヘリコプターが旋回しているのが見えた。
直後、ヘリから赤い光が放たれる。
すると大蜘蛛の額へバツ印が浮かび、糸に宿っていた氷結現象が消失した。
――あの光は……。
ひどく見覚えのある赤光。
――あそこに陣が——。
思考の最中、大蜘蛛が複数の目をぎらりと光らせる。
そして、ヘリへ向かって大量の糸を吐き飛ばした。
「ああっ!!」
糸がローターへ絡み付き、機体が大きく傾く。
制御を失ったヘリはビル群の向こうへ墜落していった。
轟音が響く。
黒煙が立ち込める。
「陣——!!」
心臓が凍りついたように痛い。
大蜘蛛が脚を動かし、黒煙の方へ向かい始める。
私はアクセルを限界まで捻って突き進んだ。
一直線に、ヘリの墜落地点へ向かって。
落下場所が近付くにつれ、焦げ臭い匂いが濃くなっていった。
黒煙、炎、瓦礫。
ヘリはビルの側面へ激突したらしく、無残に崩壊している。
そのすぐそばで、陣が戦っていた。
倒れている仲間達を背後に庇いながら。
片手に銃、もう片方には刀。
大蜘蛛の脚を撃ち、糸を切り伏せながら、たった一人で時間を稼いでいる。
満身創痍だった。
制服は血に濡れ、呼吸も浅い。
そして何より、左目が潰れていた。
赤黒い血が頬を伝い、片側の視界を完全に失っている。
それでも陣は倒れない。
仲間を守るために、無理矢理立ち続けている。
私は奥歯を噛み締めた。
——陣、ごめんね。
心の中で静かに呟く。
——貴方が今までやってきたこと、私を普通の人間として生かそうとしてくれたこと、全部無駄にしてしまうけど。
それでも、私は私の役目を——。
……いや違う、そんな大義だけじゃない。
「ここで貴方を失いたくない——!」
叫びながらバイクを急停止させた。
次の瞬間。
身体の奥で、何かが弾けた。
舌の裏に刻まれていた刻印が、音を立てて砕け散る。
青白い光が全身を駆け巡る。
腕に、足に、脇腹に。
肌の至るところに、鉱石のような青白い鱗が浮かび上がっていく。
頭頂からは二本の角。
尾骨からは長い尻尾。
力が溢れる。
大蜘蛛がこちらを向く。八つ目が恐怖に揺れていた。
私を中心に、膨大な青白い光が解き放たれる。
世界が光に染まった。
悲鳴すら上がらず、大蜘蛛の巨体がたちまち崩れていく。
黒い塵となって、跡形もなく消滅した。
光が収まり、周囲から聞こえるのは、瓦礫が落ちる音のみ。
私は荒い息を吐きながら陣に目を向けた。
陣は呆然とした顔でこちらを見つめている。
「辰巳……」
彼の身体がぐらりと傾く。
「兄さん!」
私は慌てて駆け寄った。
前世の全ての記憶。
龍永の龍神として生まれ、人々から崇められ、龍棲宮という鳥籠で過ごした一生分の記録が、濁流のように頭に流れ込んでくる。
平和で退屈な日々の中で。
彼との思い出が、一番鮮やかに輝いていた。
◇
目を覚ますと自室のベッドの上だった。陣がここまで運んでくれたのだろう。
枕元の時計を見る。
時刻は昼前。気を失ってから数時間ほど経っていた。
身体を起こし、再びリビングに向かう。
「兄さん?」
室内は静まり返っている。
陣の姿はなく、代わりにローテーブルの上に書き置きがあった。
『仕事に行ってくる。協会にはお前は今日休むって連絡しておいた。ゆっくりしててくれ』
私はしばらくその文字を見つめていた。
頭が落ち着いてきた今なら分かる。
彼は私と同じ、前世の記憶を持つ人間。
中條陣は、奥村仁の記憶を有している。
陣は私に前世と同じ思いをしてほしくなくて、ずっと足掻いてきたのだろう。
「……ほんとバカ」
彼の気持ちは痛いほど理解出来る。でもだからって、全部一人で決めていい理由にはならない。
陣が帰ってきたらよく話し合おう。
そう思いながらテレビをつけた。
「……え?」
画面いっぱいに映し出された光景に、私は大きく目を見開く。
昨夜龍神祭を襲ったあの大蜘蛛がいたのだ。
スピーカーからアナウンサーの緊迫した声が響く。
『こちらは一般の方が撮影した映像です。S級指定妖怪は依然として暴走を続けており、近隣住民には避難指示が--』
凍りついたビル。
氷糸に貫かれ崩れ落ちた建物。
白く凍結した道路。
そして逃げ惑う人々。
心臓が大きく脈打つ。
頭で考えるよりも先に勢いよく家を飛び出した。
車庫に駆け込み、停めてあったバイクへ跨る。
エンジンをかけるとともに、低い振動音が響く。
まだ封印は解けていないけど……。
——大丈夫、全部思い出した今なら——。
◇
アクセルを捻るたび、景色が後方へ流れていく。
大蜘蛛が出現した地点からはまだ遠いはずなのに、普段のこの時間帯なら混雑しているはずの道路は異様なほど空いていた。
現場へ近付くにつれ人の気配はどんどん少なくなっていった。
少し先の方では、乗り捨てられた車や白く凍った街路樹が見える。
私はスピードを落とすことなく、その凍てついた世界の入り口へと突っ込んだ。
それから一分も経たないうちに、前方に巨大な影が見えた。
大蜘蛛だ。
建物群の間からでもその異様な巨体がはっきり分かる。
奴は今もなお、糸を撒き散らしていた。
白い糸が空中へ放たれるたび、周囲の建物が凍り付いていく。
道路が。
ビルが。
街そのものが氷に侵食されていく光景は悪夢みたいだ。
大蜘蛛に近付こうとする道中、少し離れた上空でヘリコプターが旋回しているのが見えた。
直後、ヘリから赤い光が放たれる。
すると大蜘蛛の額へバツ印が浮かび、糸に宿っていた氷結現象が消失した。
――あの光は……。
ひどく見覚えのある赤光。
――あそこに陣が——。
思考の最中、大蜘蛛が複数の目をぎらりと光らせる。
そして、ヘリへ向かって大量の糸を吐き飛ばした。
「ああっ!!」
糸がローターへ絡み付き、機体が大きく傾く。
制御を失ったヘリはビル群の向こうへ墜落していった。
轟音が響く。
黒煙が立ち込める。
「陣——!!」
心臓が凍りついたように痛い。
大蜘蛛が脚を動かし、黒煙の方へ向かい始める。
私はアクセルを限界まで捻って突き進んだ。
一直線に、ヘリの墜落地点へ向かって。
落下場所が近付くにつれ、焦げ臭い匂いが濃くなっていった。
黒煙、炎、瓦礫。
ヘリはビルの側面へ激突したらしく、無残に崩壊している。
そのすぐそばで、陣が戦っていた。
倒れている仲間達を背後に庇いながら。
片手に銃、もう片方には刀。
大蜘蛛の脚を撃ち、糸を切り伏せながら、たった一人で時間を稼いでいる。
満身創痍だった。
制服は血に濡れ、呼吸も浅い。
そして何より、左目が潰れていた。
赤黒い血が頬を伝い、片側の視界を完全に失っている。
それでも陣は倒れない。
仲間を守るために、無理矢理立ち続けている。
私は奥歯を噛み締めた。
——陣、ごめんね。
心の中で静かに呟く。
——貴方が今までやってきたこと、私を普通の人間として生かそうとしてくれたこと、全部無駄にしてしまうけど。
それでも、私は私の役目を——。
……いや違う、そんな大義だけじゃない。
「ここで貴方を失いたくない——!」
叫びながらバイクを急停止させた。
次の瞬間。
身体の奥で、何かが弾けた。
舌の裏に刻まれていた刻印が、音を立てて砕け散る。
青白い光が全身を駆け巡る。
腕に、足に、脇腹に。
肌の至るところに、鉱石のような青白い鱗が浮かび上がっていく。
頭頂からは二本の角。
尾骨からは長い尻尾。
力が溢れる。
大蜘蛛がこちらを向く。八つ目が恐怖に揺れていた。
私を中心に、膨大な青白い光が解き放たれる。
世界が光に染まった。
悲鳴すら上がらず、大蜘蛛の巨体がたちまち崩れていく。
黒い塵となって、跡形もなく消滅した。
光が収まり、周囲から聞こえるのは、瓦礫が落ちる音のみ。
私は荒い息を吐きながら陣に目を向けた。
陣は呆然とした顔でこちらを見つめている。
「辰巳……」
彼の身体がぐらりと傾く。
「兄さん!」
私は慌てて駆け寄った。



