龍棲宮の主

 陣の瞳が赤く染まる。
 刃物じみた視線が大蜘蛛を真っ直ぐ射抜いた。
 直後、妖怪の額へバツ印が浮かび上がる。
 ――よし、これで糸の被害は……。

 しかし、大蜘蛛は止まらなかった。
 尚も口から大量の糸を吐き出し続けている。
「そんな……なんで!?」
 私は目を見開く。
 陣の能力が効いていない?
 いや違う。

 よく見ると変化はあった。
 新たに吐き出された糸は、さっきまでと違って触れた箇所を凍らせていない。氷結現象だけがなくなっている。

 ——ああ、そうか。
 私が理解したと同時に、陣の声が飛んできた。
「俺が封じられるのは特殊能力だけだ! 生物が元から持ってる能力までは封じ切れない——!」
 大蜘蛛がこちらへ向かって駆け出した。
 巨大な脚が地面を砕くたび、祭り会場全体が揺れる。
 私と陣は同時に跳んだ。
 別方向へ散開する。

 陣は着地と同時に駆け出した。大蜘蛛の注意を引くためだ。
 妖怪は複数の目をぎらつかせ彼を追う。
 巨大な脚が振り下ろされるが、陣は紙一重で身を捻り、それを回避した。

 アスファルトが割れ、破片が周囲へ飛び散る。
 さらに二本三本と襲いかかる脚に加え、糸が彼を襲った。
 陣は駆ける速度を落とさない。時折砕けた屋台の残骸に身を隠しながら、脚と糸をすり抜けていく。

「こっちだ化け物!」
 彼の挑発するような態度に大蜘蛛は低く唸った。
 巨大な顎が陣へ迫るも、彼は咄嗟に身を屈めた。
 頭上を鋭い牙が通過する。
 髪の毛が数本宙を舞った。

 私も陣も今は武器を持っていないため、時間を稼ぐことしか出来ない。
 それでも陣は冷静だった。妖怪の動きを観察しながら、人のいる場所に行かないようにとその場に留めている。

 だが大蜘蛛もただ暴れるだけではなかった。
 突如、糸で屋台の残骸を引き寄せ、それを陣に向けて投げつけたのだ。

「なっ――」
 予想外の動きに陣は対処出来ず、残骸が激突。
 膝をつく彼に追い討ちをかけるように、大蜘蛛の腹部が蠢き白い糸が射出された。
「っ、しま――」
 糸が陣の身体へ絡み付く。
 何重にも巻き付いた糸が、彼の腕や脚の動きを封じた。

 陣が顔を歪める。引き剥がそうともがくたび、糸がさらに食い込んでいく。
 大蜘蛛が、ゆっくり陣へ近づいていく。
 巨大な牙を軋ませながら。

「兄さん!」
 私は咄嗟に近くの屋台から鉄製のポールを掴んだ。祭り用テントの支柱だ。
 能力強化した腕で振り抜き、大蜘蛛の脚へ叩き付ける。
 けれど、ガンッと大きな音を立てただけで、まったく聴いていないようだった。

 硬過ぎる。まるで鋼鉄を殴ったみたいで、逆にこちらの腕が痺れた。
 ——やっぱり専用の武器じゃないと厳しい……。
 歯噛みする私に、大蜘蛛の脚が横薙ぎに振るわれる。
 私はそのまま吹き飛ばされ、凍りかけた屋台へ激突した。
 肺から空気が抜ける。
 視界がぐらりと揺れた。

「辰巳――!」
 陣の叫び声が聞こえる。

 大蜘蛛は止まらない。
 糸に拘束された陣との距離を、どんどん詰めていく。
 巨大な牙が月明かりを反射した。
 ――どうしよう。
 頭が真っ白になる。
 このままじゃ。
 このままじゃ陣が――。

 突如、頭の中に映像が流れ込んできた。
 白い制服。
 陣と良く似た顔の彼。
 奥村仁——。
 彼の身体が、大蜘蛛の脚に貫かれた。
「ぁ……」
 溢れたか細い声は今の私のものか、それとも前世の私のものなのか——。
 鮮血が舞う。
 白い制服が赤く染まる。
 彼の身体がゆっくり崩れ落ちていく。

「駄目……」
 唇が震えた。
 嫌だ。
 また。
 また大切な人を失うなんて。
「そんなの駄目――!!」
 叫びと共に。
 青白い光が私を中心に爆発的に広がった。

 祭り会場を覆い尽くすほどの光。
 空気そのものが震える。
 提灯が揺れ、氷が砕け、光が夜を塗り潰していく。

 大蜘蛛が悲鳴のような音を上げた。
 その巨大な身体が端から崩れ始める。
 黒い塵となって消えていく。
 けれど完全に消滅する寸前、大蜘蛛は半狂乱じみた動きで穴へ飛び込んだ。
 闇の裂け目が揺らぎ、そのまま閉じていく。
 そして祭り会場は、嘘みたいな静寂に包まれた。

「……はぁ、っ」
 私は荒い呼吸を繰り返しながら陣のもとへ駆け寄る。
「兄さん!」
 糸へ手を掛け、強化された力で必死に引き剥がす。
「大丈夫?」
「ああ……」
 息を整えながら陣が頷く。

「お前は?」
「私は大丈夫」
 そう答えたものの、心臓はまだ激しく脈打っていた。
 陣が警戒するように周囲を見回す。
 脅威は去り、残っているのは青白い光の残滓だけだ。
「今のは一体……」
「さ、さあ……」
 視線を逸らす。
 今はまだ本当のことを言えない。

 私は陣と並んで、静まり返った祭り会場を見渡した。
 さっきまでの賑わいはもうどこにもない。
 凍り付いた屋台、砕けた提灯。地面には氷の破片が散らばり、逃げ遅れた食べ物や景品が無残に転がっている。
 楽しい夏祭りだったはずなのに。
 今はまるで嵐の後みたいだった。

「……こりゃ、祭りは中止だろうな」
 陣がぽつりと呟く。
「……」
 私は黙って俯くしかなかった。

 それからしばらくして、協会の実動部隊が到着した。
 私達は大蜘蛛の特徴や戦闘状況を説明し、その後ようやく家路につく。

 夏の夜風が妙に冷たく感じた。
「お前、それ……」
 不意に陣が私の足元を見て立ち止まる。
「え?」
 つられて視線を下げて——心臓が跳ねた。
 浴衣から伸びる脚、その足首の少し上。
 そこに青白い鱗が浮かび上がっていた。

「――っ」
 いつの間に。
 私は慌てて笑顔を作った。
「シールがくっついちゃったみたい」
 平静を装いながら、軽く足を擦る。
「……」
 陣は何も言わない。
 ただじっとその部分を見つめていた。
 私は無理やり笑みを浮かべ続ける。

 ――これはもう隠しきれないな……。
 心の中で、近付く別れを実感しながら——。

 ◇

 帰宅した後。
 私はシャワーを浴び、自室のベッドへ倒れ込んだ。
 明日になったら、春野隊長達へ相談しよう。
 そんなことを考えながら、私は薄暗い天井を見上げる。

 この時間なら陣が部屋へ来ることもないだろう。そう思い、今は半袖Tシャツにハーフパンツ——足や腕の鱗が露わになった状態だ。
 疲れ切った私は、そのまま眠りへ落ちていく。
 ……そして、夢を見た。

 薄暗い屋敷。
 夢の中でも感じる血の匂い。
 龍神(前世の私)が、床へ倒れた奥村さんを抱き寄せている。

 彼の胸には深い傷があった。
 真っ赤に染まった制服。
 呼吸は弱々しく、今にも命が尽きそうなのが分かる。

 ぽたり、と彼の頬へ水滴が落ちる。
 涙だ。
 前世の私が泣いている。
 奥村さんは、そんな龍神を安心させるように微笑んだ。
 震える手がそっと頬へ伸びてくる。

『——もし生まれ変われたら……今度こそ……最期まで、貴女のおそばに……』
 その言葉を最後に。
 彼の腕から力が抜け、だらりと床へ落ちた。

 同時に、ガチャリと物音が響いた。
 そこで景色が切り替わる。
 自室だ。
 薄暗い部屋、見慣れた天井。
 そしてベッドのすぐ横には、陣が立っていた。

「陣……?」
 夢の続きなのか、それとも現実なのか。寝ぼけた頭では判断出来ない。
「——怖い夢でも見たか?」
 彼が目元に触れる
 そこで初めて、自分が泣いていることに気付いた。
「……うん」
 夢の余韻なのか、胸がまだ痛い。

「どんな夢だった?」
「大切な人が離れていってしまう夢……」
 私は無意識に彼の手へ頬を擦り寄せていた。
 温かい。
 その体温へ縋るように、身体が勝手に動いてしまう。

「もう……同じ思いはしたくないなぁって」
 涙が頬を伝い、彼の手を濡らす。
 陣は少しだけ目を細めた。
「——大丈夫だ、何も心配しなくていい」
 彼の反対の手が、そっと私の二の腕へ触れた。
 そこに浮かぶ青白い鱗を、指先で優しく撫でられて少しくすぐったい。

 鱗を見つめる陣の瞳は、まるでずっと前から知っていたものを見るみたいだった。
「全て俺に任せて——」
 ひどく静かな声は子守唄のようで、自然と瞼が重くなってしまう。
「最期までそばにいるって、そう約束したからな」

「……え?」
 私が言葉の意味を理解するよりも前に。
 彼の瞳が、赤く妖しく光った。