龍棲宮の主

 次の日。
 昨日一日中しっかり休ませたおかげか、朝には陣の体調はすっかり回復していた。
「うん、これなら大丈夫そうだね」
 彼の両頬へ手を当てる。
 昨日あれだけ熱を持っていた肌は、いつもの温かさに戻っていた。赤みもない。

「心配かけたな」
 陣は少し申し訳なさそうに笑った後、自身の大きな手で私の手を覆った。
「予定は少しずれたが——これで出かけられるな」
「うんっ!」
 勢いよく頷く。

 陣はグレーのTシャツに下はデニム。私は白いTシャツの上へカーディガンを羽織り、下はショートパンツといったお互いラフな格好。
 龍神祭が開かれるのは明日。
 だから今日はまず私の絵が展示されている場所へ行き、ついでに買い物をする予定だ。

 ◇

 陣の運転する車でやって来たのは、大型のショッピングモール。
 ガラス張りの外観が陽光を反射してきらきら光っている。
 中へ入ると、ひんやりした冷気が肌を撫でた。

 吹き抜け構造の広い空間に、行き交う買い物客達の話し声。
 天井から吊るされた季節限定の装飾がゆっくりと揺れ、その周囲ではホログラム広告が色鮮やかな映像を空中へ投影している。
 買い物袋を提げた人々に混じり、自動配送ドローンが静かな駆動音を立てながら頭上を行き交っていた。

 ファッション店、雑貨屋、カフェなどの店先には電子看板や立体映像のメニューが並び、来店客へ最新商品を紹介している。
 建物全体が休日らしい賑わいに満ちていた。

「こっちこっち」
 私は少し先を歩きながら、陣をエントランスの一角へ案内する。
 そこには展示スペースが設けられていた。
 その場所に飾られているのが――私の絵。
 今回応募したコンテストは、このモールへ展示する作品を募集するものだった。
 私の絵は、大きな木製フレームに入れられて飾られている。

 描いたのは夜明け前の海だ。
 群青色の空、水平線から差し込む淡い朝焼け。静かな水面へ、金色の光が細く伸びている。波間には無数の光粒が散っていて、幻想的な雰囲気の絵に仕上げた。

 通り過ぎる人々の中には、ちらりと視線を向ける人もいれば、足を止めてしばらく見入っている人もいる。
 その光景を見て、少しむず痒くなった。

 私達も絵の前で立ち止まる。
 陣はしばらく無言で絵を眺めた後、小さく笑った。
「やっぱり、お前の描く光って綺麗だな」
「ふふん、でしょ?」
 得意げに胸を張る。
 絵で賞を取るのは今回が初めてじゃない。子供の頃から何度も入賞してきた。
 でもこうして陣に直接褒められるのが、やっぱり一番嬉しい。

「——これだけ何度も入賞して、こうして人目につく場所へ飾ってくれるならさ」
 絵を見上げながら呟く。
「もし協会の仕事を辞めることになっても、きっと画家として食べていけるよね」
 口にした途端に、胸が少しだけ痛んだ。

「……どうしたんだよ急に」
 陣が怪訝そうにこちらを見る。
「あんなに収入が安定しない職業は嫌って言ってたのに」
「別にぃ?」
 私は視線を逸らしながら手を後ろで組んだ。
「ただ、なんとなくそう思っただけ」

 本当は、龍棲宮へ行った後のことを考えていた。
 衣食住は国が保障する、と説明は受けている。
 だけど全部与えられるだけの生活なんて、なんだか嫌だ。自力で稼げる方法があるなら積極的にやっていきたい。

 陣は数秒間こちらの真意を推し量るように見つめていたが、不意にふっと意地の悪い笑みを浮かべた。
「――そうだなぁ。未来の画家さんは最近お仕事が忙しくて、全然描いてないからな。もしかしたら腕が鈍ってるかも」
 からかい混じりの声にむぅ、と唇を尖らせる。

 そんな私を見て、陣は楽しそうに笑んだ。
「今度また描いてくれよ。お前の新作、結構楽しみにしてるんだ」
 柔らかい声音に私は一瞬きょとんとして、その後小さく笑った。

「——うん。描いたら一番最初に見せてあげるね」
「そりゃ光栄だ」
 幸せそうに目を細める陣。
 そんなやりとりの後、私達はモールの中をのんびり回った。

 ◇

 買い物を終えて立体駐車場へ戻ってきた。
 車に乗り込んだところで、陣が不意に紙袋の中を漁る。
「ほら」
 そう言って差し出されたのは、小さな箱だった。

「?」
 首を傾げながら受け取り、蓋を開く。
 中に入っていたのは、深い赤黒の鉱石だった。
「これって、ガーネット?」
「ああ、鉱石店で買ってきたんだ。顔料にどうかと思ってな」

 私はやれやれといった感じで苦笑した。
 陣は昔からこうだ。綺麗な石を見つけると、絵に使えるかもしれないと買ってきてくれる。
 子供の頃はそれが嬉しくて仕方なかった。
 今だって嬉しいことに変わりはないけれど。

「私も仕事に就いたんだから、もうこんなことしなくていいのに」
 鉱石なんて決して安い買い物ではないから、あんまりこういうことをされると恐縮してしまう。

「気にするなよ、俺が好きでやってることだからさ」
 そんな私の気持ちをおそらく陣は分かっていないのだろう。こんなことをあまりにも自然に言うものだから、それ以上は何も返せない。

 私は箱の中のガーネットを見つめた。
 陽の光を受けた石は、まるで燃える火種みたいに赤く輝いている。

「……ありがと」
「どういたしまして」
 満足そうに笑う彼の横顔を見ながら、私はガーネットの入った箱をそっと胸元へ抱えた。