龍棲宮の主

『対象の消滅を確認。周囲に妖怪の反応なし』
 無機質なAI音声が左腕に装着された端末から淡々と告げる。

 二〇五五年、六月下旬。龍棲(りゅうせい)市のとある公園。
 澄み渡る空の下の遊び場は、本来なら子供達の笑い声で満ちているはずだった。
 けれど今、この場にあるのは静寂だけだ。

 目の前で崩れていくそれを見下ろす。
 さっきまで獣のような姿で暴れていた妖怪が、灰のような粒子へと変わっていく。風にさらわれた塵は空気へ溶け、その存在を完全に消し去った。

「……ふぅ」
 小さく息をつき肩の力を抜く。今回は少し手こずった。
 けれど外傷はなし。装備の損耗も軽微。

「及第点、かな」
 自分に言い聞かせるように呟き、私は端末の画面を操作する。
 任務コードを入力し、討伐完了のログを送信。
 数秒後、画面に『受理』の文字が浮かび上がった。

 これで一件落着だ。
 警棒を左脚のホルスターへ戻していると、背後から規則正しい足音が近付いてくる。

辰巳(たつみ)

 聞き慣れた声に振り返る。
 そこに立っていたのは一人の背が高い男性。
 がっしりとした身体の上に、私と同じ黒いジャケットに黒いスラックス、黒いネクタイを身につけている。
 黒髪は短く整えられており、切れ長の瞳が優しくこちらに笑いかけていた。
 彼は中條(なかじょう)(じん)、私の義兄だ。

「そっちも片付いたみたいだな」
「うん。そっちは?」
「問題なし。逃げた個体も全部処理した」

 淡々と答えながら陣はスマホへ視線を落とす。
 画面を確認した後、小さく息をついた。

「これで午前の分は終わりだな」
「やった……」
 本音が溢れる。
 今日は朝から連続任務だったせいで、さすがに疲れた。
 そんな私を見て、陣が僅かに口元を緩めた。

「腹減ってるだろ? コンビニ寄ってから戻るか」
 その一言だけで、沈みかけていた気力が少し回復する。
「うん」
 即答すると陣はフハ、とおかしそうに笑った。

 並んで公園を出る。
 少し冷たい風が火照った身体に心地良い。

 路肩へ停めてあった車へ乗り込み、シートベルトを締める。
 エンジン音が響き、車がゆっくりと動き出した。

「何食う?」
 ハンドルを握ったまま、陣が訊いてくる。
「チキン」
「またか」
 呆れた声に、私からは小さく笑ってシートへ背中を預けた。

 これが私の最近の日常。
 私は中條(なかじょう)辰巳(たつみ)
 妖怪退治を担う専門機関、退魔師協会に入社したばかりのひよっこだ。



 住宅地を抜け、車は幹線道路へ出た。
 低層の家並みはいつしかガラス張りのビル群へ変わり、街の空気まで一段階引き締まったように感じる。
 陽射しを反射した高層ビルが、窓の外を流れていった。

 道路の上空では自動運転の配送ドローンが規則正しく飛行している。
 ビルの壁面には巨大な立体広告が投影され、季節限定商品の映像が空中に浮かび上がっていた。

 コンビニの駐車場に車が停まる。
 陣が店内へ入っている間、私は助手席でスマホを眺めていた。
 学生時代の友人から届いていたメッセージに、短く返信を打ち込む。

 送信を押したところで、運転席のドアが開いた。
「お待たせ。ほら、お前の分」
 乗り込みながら、陣が紙包装を差し出してくる。

「ありがとー」
 私はスマホを置き、受け取った包みを早速開けた。
 ふわりと立ち上る香ばしい匂い。
 一口かじれば、衣のサクッとした食感の後に、熱々の肉汁がじゅわっと広がった。

「おいしい」
 思わず頬が緩む。
 スパイスは控えめで食べやすく、それでいてしっかり旨味がある。疲れた身体に染みる味だった。

 隣では、陣がコロッケを食べている。
 こんがり狐色に揚がった衣は薄く繊細で、噛むたびにサクサクと小気味いい音を立てていた。
 割れた断面からは、ほくほくのじゃがいもと玉ねぎが覗いていて、湯気と一緒に食欲をそそる香りが漂ってくる。

 ……駄目だ。
 見てたら食べたくなってきた。
「コロッケって、まだあった?」
「残念。最後の一個だ」

 言いながら陣は追い打ちのようにもう一口かじる。
 わざとじゃないのは分かってる。
 分かってるけど、なんか悔しい。
 私は数秒悩み、それからにっこり笑ってチキンを差し出した。

「ねぇ兄さん。チキンも食べたくならない? 少し分けてあげようか?」
「いや、いい。今そういう気分じゃないし」
「うっ……」
 思惑が綺麗に外れ、言葉に詰まる。
 すると陣がふっと小さく笑った。

「そんな回りくどいことしなくても、食べたいなら普通に言えよ。ほら」
 今度は陣がコロッケをこちらに向けてくる。
 一瞬目を丸くしてから、私はぱっと顔を輝かせた。

「いただきます」
 大きな口を開けてかぶりつく。
 サクサクの衣の内側から、滑らかなじゃがいもの甘みが広がった。
 肉の旨味と玉ねぎの甘さも絶妙だ。

「ん〜美味しい」
「そりゃ良かった」
 ほっぺたに手を当てて味を噛み締めている私に微笑んだ後、陣は残ったコロッケをあっという間に平らげた。

「——そういえば、身体のほうはどうだ?」
「へ……?」
 突然話を振られ、一瞬なんのことか分からず瞬きを返す。
 陣は前を向いたまま淡々と続けた。
「身体に違和感があるって、この前言ってただろ」
「ああ……」

 昨日のことを思い出す。
 突然、全身が謎の痒みに襲われたのだ。
 熱があるわけでも、痛みがあるわけでもない。
 ただ皮膚の下を何かが這い回っているような、不快で落ち着かない感覚。
 けれどそれも数時間ほどで自然に収まり、今はもうなんともない。

「うん。もう大丈夫だよ」
 私が答えると、陣は安心したような、それでいて完全には納得していないような微妙な表情を浮かべた。
「少しでも異変を感じたらすぐ言え。無理はするな」
「大丈夫だって、心配しないで。この通りちゃんと仕事も出来てるし」

 私は軽く手を振ってみせる。
 陣はしばらく黙ったまま私を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……ならいい」
 納得したというより、今は引き下がってやる――そんな声音だった。

 陣が私に対して過保護なのは、今に始まった話じゃない。小さい頃からずっとこんな調子だ。
 もちろん心配してくれているのは分かるけど、私ももう二十二歳だ。
 さすがにいつまでも子供扱いされるのは少しむかつく。

 そんなことを思っていると、突如左腕の端末がけたたましい警報音を鳴らした。
『緊急事態、緊急事態。捕獲した妖怪が龍棲宮(りゅうせいぐう)に侵入。実動部隊は速やかに——』

 車内の空気が一瞬で張り詰める。
 さっきまでの穏やかな雰囲気が嘘みたいに消え去った。
 陣の目つきが鋭く変わる。
「行くぞ」
「はい」

 短いやり取りと同時に、陣がアクセルを踏み込む。
 エンジン音が唸りを上げ、車は昼間の道路へ滑り出した。