僕は背中から床に倒れ込み、その上に彼女の体が重なった。
「痛たた……」
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」
慌てて僕の胸元から顔を上げた彼女の瞳と、至近距離で視線がぶつかった。
春の終わりの柔らかな光が、彼女の少し茶色い髪を透かしている。絵の具の匂いと、甘い柑橘系の香りが、僕の鼻腔をくすぐった。
「あ……あの、動けますか?」
彼女の言葉にハッとして、自分が彼女の体を抱きすくめるような形になっていることに気づいた。僕は慌てて手を離し、顔を真っ赤にしながら体を起こした。
「だ、大丈夫。君こそ、怪我はない?」
「私は平気です! 本当にすみません、ドジっちゃって……。あ、私は三年の春野葵(はるの あき)って言います」
彼女は床にペコリと頭を下げた。
春野葵。その名前を聞いた瞬間、なぜか僕の頭の中に、一面に広がる青空のイメージが浮かんだ。
「僕は秋月蓮。……これ、先生に頼まれて持ってきた画集」
廊下に散らばった本を拾い集めながら言うと、葵は「あ!」と声を声を弾ませた。
「それ、私が先生に頼んでたやつだ! わあ、わざわざありがとう、秋月くん!」
葵は僕から画集を受け取ると、宝物を受け取るように愛おしそうに胸に抱えた。その時の笑顔が、あまりにも眩しかった。まるで、曇り空の教室で縮こまっていた僕の目に、突然、鮮烈な「黄色」が飛び込んできたかのような感覚だった。
「お礼に、これあげる!」
葵がポケットから取り出したのは、小さなアルミホイルの包みだった。
「手作りのレモンマドレーヌ。ちょっと焦げちゃったんだけどね」
手渡されたマドレーヌは、まだほんのりと温かかった。
美術室の窓から差し込む夕日を浴びながら、彼女は嬉しそうに笑っている。
モノクロームだった僕の高校生活に、春野葵という名の、圧倒的な色彩が混ざり合った瞬間だった。この時の僕はまだ、この出会いが僕の人生をどれほど深く、切なく塗り替えていくことになるのか、知る由もなかった。
