彼女は笑っていたけれど、その瞳からは今にも一滴の涙がこぼれ落ちそうだった。
あの花火大会の日、彼女は「恋愛なんかしない」と言った。
だけど、今この瞬間、僕を見つめる彼女の瞳に宿っている強い光と切なさは、どう見ても恋を隠している人間のそれだった。
(ああ、君も僕と同じ気持ちだったのか。僕を想って、あの嘘をついたのか)
言葉にはしない。
してはいけない。
僕たちは、お互いの未来を邪魔しないという、静かな、あまりにも残酷なルールを共有していた。
もしここで僕がカメラを置いて彼女を抱きしめてしまったら、彼女の決意は鈍ってしまうかもしれない。
彼女の綺麗な翼を、僕の身勝手な寂しさで捥(も)ぐわけにはいかなかった。
僕は、ただ指先に力を込め、シャッターを切った。
——カシャ。
世界の痛みをすべて吸い込むような、静かな駆動音が響いた。
「……あ」
葵が小さく声を漏らすと同時に、彼女の目から一滴の涙が、ぽろりと頬を伝って床に落ちた。夕日の光を浴びて、それは一瞬だけ金色に輝いた。
「変な顔、撮っちゃった?」
葵は慌てて袖で目を拭い、無理に笑おうとする。
「ううん。世界で一番、綺麗な顔だよ」
僕はファインダーから目を離し、彼女に最高の笑顔を返した。
窓の外からは、夏の終わりを告げる法師蝉の声が、寂しげに響いていた。
僕たちの夏が、そして二人だけの放課後が、今、静かに終わりを告げようとしていた。
