ベストフレンズ

 河川敷からの帰り道、二人は言葉少なに、夜の住宅街を並んで歩いた。特別なことは何も話さなかったが、その沈黙は、以前とは違う質感を持っていた。

「お腹すいた」

紗奈がぽつりと言うと、悠真が笑った。

「あんだけ泣いたあとに、それ?」

「泣くと、お腹すくの。知らなかった?」

「知らない」

 二人は近くのラーメン屋に寄り、他愛のない話をしながら遅い夕食を取った。悠真の展示の話、紗奈のゼミの課題の話。特別なことは何もない、ただの日常の会話だった。

(これでいいんだ)

 紗奈は割り箸を割りながら、そう思った。大きな告白のあとに、劇的な何かが続く必要はない。むしろ、こうしてラーメンを啜りながら笑い合えることの方が、二人にとっては大切だった。


 その週末、紗奈は実家に電話をかけた。

「お母さん、河川敷で、悠真にちゃんと話せた」

「……そう」

 母はしばらく黙っていた。

「あの夏のこと、話したの?」

「うん。全部、じゃないけど。……言いたかったこと、言えた」

「そう」

 母の声は静かだったが、その静けさの中に、深い安堵が滲んでいた。

「紗奈がそうやって、ちゃんと言葉にできるようになったこと。お母さん、本当に嬉しい」

「うん」

「悠真くんにも、今度会ったらお礼言わないとね」

「お礼?」

「ずっと隣にいてくれたことへの、お礼」

 紗奈は電話を握りしめながら、小さく頷いた。母には見えないと分かっていても、頷かずにはいられなかった。


 翌週、恒一と玲奈にも、それとなく報告した。四人のグループチャットに、紗奈が短いメッセージを送った。

〈河川敷で、悠真とちゃんと話せた。ずっと言えなかったこと、言えた〉

 すぐに恒一から返信が来た。

〈おう。よかったな〉

 シンプルな一言だったが、その裏にある恒一なりの気遣いを、紗奈は感じ取った。

 玲奈からも、少し遅れてメッセージが届いた。

〈紗奈が言えたこと、すごく嬉しい。私も、いつか自分の弱いところ、ちゃんと言葉にできるようになりたい〉

 紗奈は少し驚いた。玲奈がそんな風に、自分の弱さについて考えていたことに。

〈玲奈も、いつでも聞くよ〉

〈ありがとう。……紗奈が、私にそう言ってくれる日が来るとは思わなかった〉

 その一言に、紗奈は二人の関係がここまで変わったことを、改めて実感した。かつて怖れ、嫉妬し、時に敵視していた相手が、今では互いの弱さを分かち合える友人になっていた。


 九月に入り、大学は後期に向けて動き出していた。紗奈は佐伯と並んで、久しぶりに構内のベンチでお昼を食べていた。

「最近、なんか安定してるね」

 佐伯がふと言った。

「そう?」

「うん。無理してる感じもないし、かといって塞ぎ込んでる感じもない。ちょうどいい感じ」

 紗奈は少し考えてから答えた。

「悠真と、ちゃんと話せたから、かもしれない」

「河川敷の?」

「うん」

「よかったじゃん」

 佐伯はそれ以上深く聞かず、ただそう言って笑った。詮索しすぎない距離感も、紗奈にとってはありがたいものだった。


 十月、悠真の大学の文化祭に、紗奈は恒一・玲奈と共に足を運んだ。悠真の写真がまた新しく展示されていたが、今回は特別なテーマではなく、日常のスナップを集めたシンプルな展示だった。

「今回は、隣にいることとか、そういう重いテーマじゃないんだ」

 紗奈が言うと、悠真は照れくさそうに笑った。

「たまには、何も考えずに撮った写真も、見せたくなって」

 紗奈はその言葉に、悠真の中の何かが軽くなったことを感じた。重いテーマを背負い続けることだけが、誠実さの証明ではない。ただの日常も、大切にしていい。

 四人は写真を眺めながら、たわいのない話で笑い合った。特別な事件も、劇的な展開もない、ただの秋の一日だった。


 その夜、紗奈は久しぶりにノートを開いた。

 河川敷で全部を話したあと、何か大きく変わるかと思っていた。

 でも実際は、大きく変わったというより、日常が少しだけ、軽くなった。

 ラーメンを食べて、友達と笑って、母に電話して。

 特別じゃない毎日の中に、確かに変化がある。

 それでいいんだと思う。劇的な救いじゃなくても。

 ただ、隣にいる日々が、少しずつ積み重なっていくこと。

 それが、私たちの答えなのかもしれない。

 窓の外、秋の虫の声が静かに響いていた。紗奈はノートを閉じ、明日の授業の準備を始めた。

 何も特別でない、でも確かに続いていく日々が、そこにあった。