ベストフレンズ

 七月中旬、前期試験の一週間が始まった。

 紗奈は毎日図書館に通い、試験対策を進めていた。母からの手紙をきっかけに、何かが少し軽くなったような感覚があった。完璧を目指さなくていい、そう思えることが、勉強にも良い形で表れ始めていた。

「調子どう?」

 試験の合間、佐伯が声をかけてきた。

「思ったより、集中できてる。手紙のこと、話したっけ」

「ちらっと聞いた。お母さんから?」

「うん。……なんか、いろいろ楽になった」

 佐伯は小さく頷いた。

「紗奈、最近顔つき変わったよ。去年より、ずっと」

「そう?」

「うん。前は、頑張ってる感じが痛々しかった。今は、頑張ってるけど、無理してない感じがする」

 紗奈はその言葉を、静かに受け取った。自分では気づけない変化を、誰かが見てくれている。それだけで、また少し力が湧いてくる気がした。



 同じ頃、悠真の大学でも前期の課題提出が重なっていた。企画展を終えたばかりだったが、休む間もなく次の制作に追われていた。

「大丈夫? 最近全然会えてないけど」

 紗奈からの電話に、悠真は少し疲れた声で答えた。

「うん、大丈夫。……でも正直、ちょっと余裕なくなってきてるかも」

「無理しないでね」

「してないつもり。でも、去年の紗奈のこと思い出すと、自分がちゃんと“大丈夫じゃない”って言えてるか、たまに不安になる」

 紗奈は少し驚いた。悠真がそんな風に、自分自身の状態を気にしていたことに。

「悠真も、無理しないで。私にちゃんと言っていいんだよ」

「うん。……今日はちょっと、疲れてる。それだけ言っておく」

「聞いてるよ」

 短いやり取りだったが、紗奈はそこに一年前とは違う何かを感じた。支える側と支えられる側が、はっきり分かれていた頃とは違う。今は、互いが互いの「疲れてる」を、素直に受け止め合えるようになっていた。


 試験期間の終わり、恒一からも連絡が来た。地元の職業訓練校に通い始めていた恒一は、初めての専門的な勉強に苦戦しているようだった。

〈お前らの方が大変だと思うけど、俺も普通にしんどい〉
〈資格試験、想像以上に覚えること多くて泣きそう〉

 紗奈は思わず笑って返信した。

〈恒一が泣きそうって、レアだね〉

〈うるせえ。でも、お前らが乗り越えてきたの見てるから、俺も頑張れる気がしてる〉

 その一言に、紗奈は胸が温かくなるのを感じた。支え合う関係は、いつの間にか四人全員に広がっていた。誰か一人が支える側、誰かが支えられる側という構図ではなく、それぞれが、それぞれの形で、互いを励まし合っている。


 試験最終日、紗奈は最後の答案を提出し、教室を出た。夏の日差しが、キャンパスの並木道に強く差し込んでいた。

「終わったー!」

 佐伯が大きく伸びをしながら叫んだ。紗奈もつられて、久しぶりに大きく息を吐いた。

「打ち上げ行く?」

「行く」

 即答した紗奈に、佐伯は少し驚いた顔をした。

「あれ、珍しい。前は誘っても、大体渋ってたのに」

「今日は、行きたい気分」

 紗奈は素直にそう答えた。誰かと一緒にいたいと思う気持ちを、迷わず言葉にできる。それもまた、一年前にはできなかったことだった。


 その夜、居酒屋の喧騒の中で、紗奈はスマホを取り出し、悠真にメッセージを送った。

〈試験終わった。今、ゼミの子たちと打ち上げ中〉

〈お疲れ! 楽しんでな〉

〈悠真も、課題終わったら休んでね〉

〈うん。……ありがとう〉

 短いやり取りを終え、紗奈はスマホをしまった。テーブルでは佐伯たちが夏休みの予定について盛り上がっていた。紗奈もその輪の中で、自然に笑っていた。

 窓の外、夏の夜空に、遠くの花火の音がかすかに聞こえていた。去年の花火大会、途中で帰ってもいいという選択肢を持ちながら、最後まで残れたあの夜を、紗奈はふと思い出す。

(今年の夏は、どんな夏になるんだろう)

 不安がないわけではなかった。でも今は、その先に、確かな何かがあると信じられた。