ベストフレンズ

 四月一日。紗奈は半年ぶりに、アパートの鍵を回した。

 部屋の中は、休学前とほとんど変わっていなかった。埃を被った教科書、閉じたままのカーテン、机の上に置きっぱなしだったマグカップ。時間が止まっていた場所に、自分だけが戻ってきたような不思議な感覚があった。

 窓を開けると、外の空気が流れ込んでくる。四月の匂いがした。

(ここから、また始まるんだ)

 紗奈はしばらく部屋の真ん中に立ち尽くしていたが、やがて荷解きを始めた。一つ一つ、ゆっくりと。急がなくていい、と自分に言い聞かせながら。


 夕方、悠真から連絡が来た。

〈引っ越し終わった?〉

〈うん、今片付けてる〉

〈手伝いに行こうか?〉

 紗奈は少し考えてから、返信した。

〈今日は一人でやりたい。でも、ありがとう〉

〈了解。無理すんなよ〉

 送信してから、紗奈は自分の返信を見返した。以前の自分なら、悠真の申し出を断ることに罪悪感を覚えていたかもしれない。でも今は、「一人でやりたい」という気持ちを、そのまま伝えることができた。

(これも、変わったことの一つなのかな)

 そう思いながら、紗奈は段ボールを開け続けた。


 窓の外、同じ空の下に、悠真がいる。恒一がいる。玲奈がいる。母がいる。

 離れていても、隣にいる。

 その感覚が、今の紗奈を支えていた。


 夜、荷解きを終えた紗奈は、ベランダに出て空を見上げた。半年前、実家の縁側から見ていたのと同じ空。でも、見ている場所が違うだけで、少し違って見える気がした。

 スマホを取り出し、悠真に短いメッセージを送る。

〈今日、ちゃんと一人でできた。ちょっとだけ、誇らしい〉

 すぐに返信が来た。

〈それ、めちゃくちゃすごいことだと思う〉

 紗奈は笑った。大げさな悠真らしい返信に、少し安心した。

 明日から、大学が始まる。半年ぶりの教室、半年ぶりのゼミ、半年ぶりの日常。

 怖くないと言えば嘘になる。でも、去年のように「大丈夫」だけで塗り固めるのではなく、「怖い」と思っている自分を、そのまま連れていけばいい。

 紗奈はそう思いながら、部屋の明かりを消した。


 翌朝、目覚まし時計の音で目を覚ました紗奈は、しばらくベッドの中で天井を見つめていた。

(行ける、かな)

 不安はまだ、消えていない。でも今は、その不安を一人で抱え込まなくていいことを、紗奈は知っていた。

 紗奈はゆっくりと起き上がり、カーテンを開けた。

 新しい朝が、始まっていた。