ベストフレンズ

 一月中旬、悠真の大学は後期の講評会を終え、束の間の休みに入っていた。

 久しぶりにできた平日の午後、悠真は紗奈の家を訪ねた。縁側で日向ぼっこをしていた紗奈は、悠真の持つ大きな紙袋に目を留める。

「何それ」

「講評会で出したやつ、全部持ってきた。見る?」

 紗奈が頷くと、悠真は縁側にプリントを並べ始めた。何十枚もの写真。夜の教室、誰もいない駅のホーム、雨に濡れた自転車置き場──どれも、紗奈が知らない悠真の日常だった。

「これ、いつの間に撮ってたの」

「講評の前の三日間、ほぼ寝ないで撮ってた」

「バカじゃないの」

 紗奈が思わず笑うと、悠真も笑った。

「先生に、“お前は説明が下手すぎる”って言われた。写真はいいのに、なんでこんな喋れないんだって」

「悠真らしいね」

「だろ」

 紗奈は一枚ずつ、ゆっくりと写真を眺めていった。どの写真にも、悠真がその場に立って、何かを見つめていた時間が写り込んでいるような気がした。

「羨ましい」

 紗奈がぽつりと言った。

「何が」

「悠真の生活。大学の匂いがする」

 悠真は少し困ったような顔をした。

「無理に羨ましがらなくていいよ」

「無理じゃない。本当に、羨ましいの」

 紗奈は写真の一枚──雨上がりの校舎を写したものを手に取った。

「私も、こういう景色の中に、また立ちたいって思う。それが今日、分かった」



 その夜、紗奈はノートに向かった。

悠真の写真を見て、「羨ましい」と思えた。
前は、誰かの日常を見るのが怖かった。自分と比べて、苦しくなるだけだった。
でも今日は、苦しさより先に、「戻りたい」が来た。

 書きながら、紗奈は自分の変化に気づいていた。以前なら、悠真の充実した大学生活を見るたびに、置いていかれるような焦りだけが募った。でも今は、その焦りの中に、小さな希望のようなものが混じっている。


 二月に入り、紗奈は復学に向けて、ゼミの担当教授にメールを送ることにした。何度も書き直した末の、短い文面。

〈ご無沙汰しております。療養しておりました柊です。来年度からの復学を考えており、一度お話を伺えればと思いご連絡いたしました〉

 送信ボタンを押すのに、思ったより時間がかかった。指が震えるほどではなかったが、心臓は確かに早く打っていた。

 三日後、返信が届いた。

〈連絡ありがとう。元気そうで何よりです。復学の件、大歓迎です。無理のないペースで、また一緒に頑張りましょう〉

 短い文面だったが、紗奈はそれを何度も読み返した。

(大歓迎、って書いてくれた)

 自分がいなくなっても、誰も困らない。そう思っていた頃の自分を思い出す。でも今、ここに「戻ってきてほしい」と言ってくれる場所がある。


 その週末、佐伯からも連絡が来た。

〈聞いたよ、復学するかもって。ゼミの席、ちゃんと空けとくから〉
〈焦らなくていいから、無理しないでね〉

 紗奈は返信を打った。

〈ありがとう。まだ、途中だけど。少しずつ〉

〈途中でいいんだよ。私だって、途中だし〉

 その言葉に、紗奈は少し泣きそうになった。誰もが、何かの途中にいる。自分だけが取り残されているわけではない。当たり前のようで、忘れがちなことを、佐伯の一言が思い出させてくれた。


 二月の終わり、紗奈は正式に、四月からの復学を決めた。

 母にその報告をすると、母は静かに、でも確かな安堵の表情を見せた。

「無理しないでね」

「うん。無理はしない。……たぶん、しないと思う」

 紗奈は少し笑って言った。完璧な自信ではなかったけれど、それでよかった。

 窓の外では、まだ寒さの残る空の下、木々の枝先にわずかな膨らみが見え始めていた。