ベストフレンズ

 十二月に入り、 空気は一段と冷たくなっていた。

 紗奈の中の波は、 少しずつ落ち着きを取り戻していた。

 その日、 紗奈は自分から、 母親に声をかける。

「お母さん、 少し、 話したいことがあるんだけど」

 母親は、 少し驚いた顔をしながらも、 紗奈の隣に座る。


「大学のこと、 考えてる」

 紗奈が、 ゆっくりと切り出す。

「まだ、 いつとは言えないけど」

「戻りたい、 って気持ちが、 前より強くなってる気がする」


 母親は、 静かに耳を傾けていた。

「そう」

「焦らなくていいからね」

「うん。 分かってる」

 紗奈は頷く。

「でも、 焦ってるわけじゃなくて。 ただ、 そう思える自分がいることが、 嬉しくて」


 母親は、 少し目を潤ませる。

「紗奈が、 そう言えるようになったこと、 お母さん、 本当に嬉しい」

「あの頃は、 何を言っても、 届いてる気がしなくて」


「届いてなかったわけじゃないよ」

 紗奈が、 母親の言葉を遮る。

「届いてたけど、 受け取る余裕が、 私になかっただけ」

 その言葉に、 母親はしばらく黙っていた。

「……そっか」

「うん」

「じゃあ、 これからは、 ちゃんと受け取れる?」

「分からない。 でも、 受け取ろうとは、 できると思う」

 母娘の会話は、 これまでになく、 素直なものだった。

 以前は、 互いに「大丈夫」の仮面をかぶりながら、 本音を隠していた関係。

 それが今、 少しずつ、 変わり始めていた。


 数日後、 クリニックでの診察。

 医師は、 紗奈の言葉に、 静かに頷いていた。

「大学に戻りたい、 という気持ちが出てきたんですね」

「はい」

「それは、 良い兆候だと思います」

「ただ──」

 医師は、 少し間を置いて続ける。

「焦らないでくださいね。 戻ることが、 ゴールじゃないので」


紗奈は、 その言葉を、 心に刻む。

「戻ること」を目標にしてしまうと、 また同じ苦しさを繰り返すかもしれない。

 大切なのは、 戻った後も、 自分のペースを保てること。

 その日の帰り道、 紗奈は悠真に電話をかける。

珍しいことだった。

「もしもし?」

「うん、 ちょっと、 話したくて」


「大学、 戻りたいって、 思い始めてる」

 紗奈が伝えると、 電話越しに、 悠真の少し驚いたような気配が伝わる。

「……そうなんだ」

「うん。 まだ、 いつとは言えないけど」

「焦らなくていいよ」

「うん、 分かってる」

「でも、 その気持ち、 聞けて嬉しい」

 悠真の声には、 素直な喜びが滲んでいた。

「悠真は、 大学、 楽しい?」

 紗奈が尋ねる。

「うん、 楽しいよ」

「今度、 サークルの展示があるんだ」

「見に来られたら、 嬉しいけど」

「無理にとは言わない」

 紗奈は少し考えてから、 答える。

「行けるかどうか、 分からないけど」

「行きたい、 とは思う」

「それで、 十分だよ」


 電話を切った後、 紗奈は縁側に座り、 冬の澄んだ空を見上げる。

 息が白く、 空へと溶けていく。



『大学に戻りたいって、 初めて自分から言えた』

『まだ怖いけど、 戻ることがゴールじゃないって、 先生が言ってくれた』

『焦らずに、 でも、 前を向いていたい』


 夜、 家族三人での夕食。

 父親も、 最近は、 静かに紗奈を見守っていた。

「紗奈、 顔色いいな」

 父親が、 ぽつりと言う。

「うん、 最近、 ちょっとずつ」



「無理しなくていいからな」

「分かってる」

「でも──」

 紗奈は、 少し微笑む。

「ちゃんと、 前を向けてる気がする」


 家族の食卓に、 久しぶりに、 穏やかな空気が流れていた。

 完璧ではなくても、 確かな回復の途中にいることを、 誰もが感じ取っていた。


 窓の外、 冬の初めの星が、 静かに瞬いていた。

 紗奈は、 その光を見つめながら、 小さく呟く。

「……来年は、 きっと」

 言葉は途中で止まったが、 その先に続く希望を、 紗奈自身が、 一番強く感じていた。