ベストフレンズ

 十月中旬、 珍しく紗奈から連絡が来た。

『佐伯さん、 今度会える?』

 悠真は少し驚いたが、 すぐに佐伯へ伝えた。



 数日後、 佐伯が紗奈の家を訪れる。

 玄関先で、 二人は少しぎこちなく向き合った。

「……久しぶり」

 紗奈が、 小さな声で言う。

「うん、 久しぶり」

 佐伯も、 いつもより控えめな声で答えた。



 縁側に並んで座る二人。

 しばらく、 沈黙が続いた。

 先に口を開いたのは、 紗奈だった。

「あのとき、 ちゃんとお礼、 言えてなかった」

「廊下で、 泣いてるとき、 隣にいてくれて」



 佐伯は少し驚いた顔をする。

「別に、 大したことしてないよ」

「ただ、 隣にいただけ」

「それが、 良かったんだと思う」

 紗奈は静かに答える。



「あのとき、 何も聞かずにいてくれたから、 泣けた気がする」

「聞かれてたら、 きっと、 『大丈夫』って言ってた」

 紗奈の言葉に、 佐伯は頷いた。

「なんとなく、 分かってた」

「深く知らないからこそ、 踏み込めなかったけど」

「それで、 良かったのかもしれない」



 二人はしばらく、 他愛のない話をする。

 ゼミの近況。 サークルの話。 大学の食堂の新メニュー。

 紗奈は、 静かにそれを聞いていた。

「……大学、 変わらない?」

 紗奈が尋ねる。



「変わらないよ」

 佐伯が答える。

「でも、 紗奈がいないの、 やっぱり寂しい」

「ゼミの発表、 紗奈の視点、 面白かったから」

 その言葉に、 紗奈は少し目を伏せる。



「私、 ちゃんとしてるように見えて、 全然だった」

「ゼミでも、 いつも、 『大丈夫』って言い続けてた」

「本当は、 全然大丈夫じゃなかったのに」



 佐伯は、 静かに紗奈の言葉を受け止める。

「今は?」

「今は──」

 紗奈は少し考えてから、 答える。

「『大丈夫じゃない』って、 言えるようになった、 かな」

「まだ、 うまく言葉にできないことも多いけど」



「それで、 いいと思う」

 佐伯が言う。

「無理に言葉にしなくていいし、 焦らなくていいから」

「戻ってきたいと思ったときに、 戻ってくればいい」


 その言葉に、 紗奈は小さく笑う。

「……悠真と、 同じこと言うね」

「そう?」

「うん。 『ゆっくりでいい』って、 二人とも言う」



「まあ、 それが一番だと思うよ」

 佐伯も微笑む。

「急かされるより、 待っててもらえる方が、 楽だもんね」



 紗奈は頷き、 少し間を置いてから、 尋ねる。

「……ゼミの先生、 私のこと、 何か言ってた?」

 佐伯は少し考えてから、 答える。

「『いつでも戻ってきてください』って、 言ってたよ」

「休学、 焦らなくていいって」


 その言葉に、 紗奈は安堵したような表情を見せる。

「……そっか」

「良かった」

 自分の居場所が、 まだそこにあることを確認できた。

 それだけで、 少し気持ちが軽くなった気がした。


 佐伯が帰る間際、 紗奈が言う。

「また、 来てくれる?」

「もちろん」

「今度は、 ゼミの資料とか、 持ってきてもいい?」

「見るだけでも、 いいから」


 紗奈は少し迷ってから、 頷く。

「……うん。 見るだけなら」

 大きな一歩ではなかった。

 だが、 確かに紗奈の中で、 何かが動き始めていた。



 佐伯が帰った後、 紗奈はノートを開く。

『佐伯さんに会えた』

『ゼミの先生の言葉、 嬉しかった』

『"戻る場所がある"って、 思えた』


 夜、 紗奈は久しぶりに、 大学の教科書を開いてみる。

 読めたのは、 ほんの数ページだった。

 それでも、 開いてみようと思えたこと自体が、 一つの変化だった。



 窓の外、 秋の夜風が、 カーテンを揺らす。

 紗奈は教科書を閉じ、 小さく息を吐く。

「……もう少し、 かな」

 誰に言うでもない呟きだったが、 その声には、 わずかな前向きさが滲んでいた。