入院から一週間が過ぎた。
紗奈の容体は安定していたが、医師からは「もう少し様子を見ましょう」と言われていた。大学は休学することが決まり、退院後は実家で療養することになった。
悠真は、大学の授業の合間を縫って、できる限り病院に通った。だが、行くたびに、何を話せばいいのか分からなくなった。
その日も、悠真は病室の椅子に座り、紗奈の様子を見ていた。紗奈はベッドの上で、窓の外をぼんやりと眺めていた。会話はほとんどなかった。
(何か、話した方がいいのかな)
悠真は、そう思いながらも、言葉が見つからなかった。近況を話せば、紗奈の知らない日常を押し付けているようで気が引けた。かといって、紗奈の状態について聞けば、それが負担になる気がした。
結局、悠真は持ってきたカメラの写真データを、タブレットで見せることにした。何も言わず、ただ画面を差し出す。
紗奈は、少し驚いた顔をしてから、画面に目を落とした。悠真が最近撮った写真だった。空、電線、誰もいない駅のホーム。特別なものは何もない、日常の一コマだった。
「……これ、どこ?」
紗奈が、ぽつりと聞いた。久しぶりに聞く、紗奈からの質問らしい質問だった。
「大学の帰りに寄った駅。何もないところだけど、光がきれいだったから」
紗奈は、画面をスクロールしながら、写真を一枚一枚見ていった。何も言わなかったが、時々、指の動きが止まった。悠真は、それを急かさなかった。
しばらくして、紗奈がぽつりと言った。
「悠真の写真、変わらないね」
「そう?」
「うん。……何もないところを、ちゃんと見てる感じ」
悠真は、その言葉に少し驚いた。褒め言葉なのか、そうでないのか、すぐには分からなかった。だが、紗奈が何かを感じ取って、それを言葉にしてくれたこと自体が、悠真には嬉しかった。
「紗奈も、前は色んなもの、よく見てたよな」
言ってから、悠真は少し後悔した。「前は」という言葉が、今の紗奈を否定しているように聞こえたかもしれない。
だが、紗奈は特に気にした様子もなく、小さく頷いた。
「今は、あんまり、見えてない気がする」
「見えてない?」
「なんか……全部、同じに見える。前は好きだったものも、今は、なんとも思わない」
紗奈は、それだけ言うと、また窓の外に視線を戻した。悠真は、その言葉をどう受け止めればいいのか分からなかった。だが、少なくとも、紗奈が自分の状態を、少しだけ言葉にしてくれたことは確かだった。
「無理に、見なくていいと思う」
悠真は、しばらく考えてから、そう言った。
「今は、見えなくても。そのうち、また見えるようになるかもしれないし。ならなくても、それはそれで」
紗奈は何も答えなかった。ただ、悠真の方を、少しだけ見た。その視線に、何かが宿っていたのか、悠真には分からなかった。
面会の終わりが近づき、悠真は帰り支度を始めた。
「また来るよ」
「うん」
紗奈の返事は短かった。だが、以前のような、義務的な相槌ではないような気がした。悠真には、その違いをうまく説明できなかったが、確かに何かが違っていた。
病室を出て、廊下を歩きながら、悠真は思った。
(言葉じゃなくても、伝わることもあるのかもしれない)
写真を見せただけの、たった数十分。特別なことは何もしていない。それでも、紗奈の口から出た「変わらないね」という一言が、悠真の中に、小さな灯りのように残っていた。
すぐに何かが変わるわけではない。悠真にも、それは分かっていた。だが、この小さな時間の積み重ねが、いつか何かに繋がるかもしれない──そう信じることだけが、今の悠真にできることだった。
紗奈の容体は安定していたが、医師からは「もう少し様子を見ましょう」と言われていた。大学は休学することが決まり、退院後は実家で療養することになった。
悠真は、大学の授業の合間を縫って、できる限り病院に通った。だが、行くたびに、何を話せばいいのか分からなくなった。
その日も、悠真は病室の椅子に座り、紗奈の様子を見ていた。紗奈はベッドの上で、窓の外をぼんやりと眺めていた。会話はほとんどなかった。
(何か、話した方がいいのかな)
悠真は、そう思いながらも、言葉が見つからなかった。近況を話せば、紗奈の知らない日常を押し付けているようで気が引けた。かといって、紗奈の状態について聞けば、それが負担になる気がした。
結局、悠真は持ってきたカメラの写真データを、タブレットで見せることにした。何も言わず、ただ画面を差し出す。
紗奈は、少し驚いた顔をしてから、画面に目を落とした。悠真が最近撮った写真だった。空、電線、誰もいない駅のホーム。特別なものは何もない、日常の一コマだった。
「……これ、どこ?」
紗奈が、ぽつりと聞いた。久しぶりに聞く、紗奈からの質問らしい質問だった。
「大学の帰りに寄った駅。何もないところだけど、光がきれいだったから」
紗奈は、画面をスクロールしながら、写真を一枚一枚見ていった。何も言わなかったが、時々、指の動きが止まった。悠真は、それを急かさなかった。
しばらくして、紗奈がぽつりと言った。
「悠真の写真、変わらないね」
「そう?」
「うん。……何もないところを、ちゃんと見てる感じ」
悠真は、その言葉に少し驚いた。褒め言葉なのか、そうでないのか、すぐには分からなかった。だが、紗奈が何かを感じ取って、それを言葉にしてくれたこと自体が、悠真には嬉しかった。
「紗奈も、前は色んなもの、よく見てたよな」
言ってから、悠真は少し後悔した。「前は」という言葉が、今の紗奈を否定しているように聞こえたかもしれない。
だが、紗奈は特に気にした様子もなく、小さく頷いた。
「今は、あんまり、見えてない気がする」
「見えてない?」
「なんか……全部、同じに見える。前は好きだったものも、今は、なんとも思わない」
紗奈は、それだけ言うと、また窓の外に視線を戻した。悠真は、その言葉をどう受け止めればいいのか分からなかった。だが、少なくとも、紗奈が自分の状態を、少しだけ言葉にしてくれたことは確かだった。
「無理に、見なくていいと思う」
悠真は、しばらく考えてから、そう言った。
「今は、見えなくても。そのうち、また見えるようになるかもしれないし。ならなくても、それはそれで」
紗奈は何も答えなかった。ただ、悠真の方を、少しだけ見た。その視線に、何かが宿っていたのか、悠真には分からなかった。
面会の終わりが近づき、悠真は帰り支度を始めた。
「また来るよ」
「うん」
紗奈の返事は短かった。だが、以前のような、義務的な相槌ではないような気がした。悠真には、その違いをうまく説明できなかったが、確かに何かが違っていた。
病室を出て、廊下を歩きながら、悠真は思った。
(言葉じゃなくても、伝わることもあるのかもしれない)
写真を見せただけの、たった数十分。特別なことは何もしていない。それでも、紗奈の口から出た「変わらないね」という一言が、悠真の中に、小さな灯りのように残っていた。
すぐに何かが変わるわけではない。悠真にも、それは分かっていた。だが、この小さな時間の積み重ねが、いつか何かに繋がるかもしれない──そう信じることだけが、今の悠真にできることだった。



