ベストフレンズ

 紗奈が悠真の実技試験合格を知った日から、二人の関係は少しずつ、でも確かに形を変えていった。

 三月下旬、入学式までの短い期間、二人はできるだけ一緒に過ごした。悠真の家、紗奈の家、河川敷、駅前のカフェ。特別なことをするわけではなかったが、「恋人」という言葉がつくだけで、同じ時間が少し違う色を帯びて見えた。

「なんか、照れるね」

 紗奈が言うと、悠真も苦笑した。

「十年以上一緒にいたのに、今さらな」

「今さらだからこそ、じゃない?」

 そんな他愛のない会話の中にも、これまでとは違う柔らかさがあった。



 四月、入学式。

 悠真は都内の芸術大学、紗奈はT大文学部。電車で四十分ほどの距離だったが、これまでのように毎日顔を合わせることはできなくなった。

 新生活が始まると、それぞれの時間割やサークル、新しい友人関係で、日々は目まぐるしく過ぎていった。悠真は写真サークルに入り、紗奈は文学研究会に所属した。

 最初の一週間は、毎日のように連絡を取り合っていた。

《今日はどうだった?》

《新しいゼミの人たち、まだ緊張する》

《俺も。サークルの先輩、みんな上手すぎて焦る》

 たわいもないやり取りが、離れた場所にいる互いを繋いでいた。



 だが五月に入る頃、少しずつ、連絡の間隔が空くようになっていった。

 悠真はサークルの課題や新しい友人関係に忙しくなり、紗奈もゼミの予習やレポートに追われるようになった。悪気があるわけではなかった。ただ、それぞれの新しい日常が、少しずつ二人の間の時間を削っていった。

 ある夜、紗奈からメッセージが届いた。

《今日、連絡できなくてごめん》

《忙しかった?》

《うん、レポートに追われてた》

《大丈夫だよ、無理しないで》

 送ってから、悠真は少し違和感を覚えた。「大丈夫だよ」という言葉が、以前とは違う軽さで出てしまった気がした。

 紗奈からの返信は、いつもより時間がかかった。

《うん。ありがとう》

 その一言だけだった。悠真はスマホを見つめながら、何か引っかかるものを感じたが、それが何なのか、まだ言葉にできなかった。



 紗奈の下宿先の部屋。

 一人暮らしを始めたばかりの部屋は、まだ物が少なく、どこか落ち着かない空気があった。

 紗奈はレポートに向かいながら、ふと手を止めた。窓の外はもう暗くなっていた。

 高校時代なら、この時間には悠真から連絡が来ていたはずだった。今は、お互いの生活が忙しくて、それが自然なことのはずだった。

 なのに、なぜだろう。

 胸の奥に、小さな不安の粒が生まれているのを、紗奈は気づかないふりをした。

「恋人になれば、もっと近づけると思ってた」

 誰にも聞こえない声で、紗奈はそう呟いた。

 窓の外では、五月の夜風が、まだ慣れない街の匂いを運んでいた。