ベストフレンズ

 二次試験前日、紗奈は珍しく早い時間に机から離れていた。

「今さらジタバタしても変わらないから」

 そう言って、リビングのソファに座り込む娘を見て、母親は少し驚いた顔をした。以前の紗奈なら、前日まで机にしがみついていたはずだった。

「明日、何時に出るの?」

「始発より一本後の電車。余裕持って着くように」

 淡々とした受け答えだったが、そこには追い詰められた響きはなかった。

 夜、紗奈は悠真にメッセージを送った。

《明日、行ってくる》

《緊張してる?》

《してる。でも、去年の自分よりはマシだと思う》

 悠真はその一文を何度か読み返した。「マシ」という言葉が、この一年の重みをそのまま表しているようだった。

《先月の共通テスト前、紗奈が言ってくれた言葉、覚えてる?》

《結果より、ここまでやってきたことを信じよう、って》

《それ、今もそのまま返すよ》

 しばらく既読がつかなかった。悠真は待った。急かさないことも、この一年で覚えたことのひとつだった。

 やがて返信が届いた。

《ありがとう》

《明日、行ってくる》

 同じ言葉が、少し違う強さで繰り返されていた。



 その夜、悠真は自分の部屋で、文化祭の展示に使った写真データを整理していた。実技試験は終わったが、まだ結果は出ていない。何かをしていないと落ち着かない気持ちを、写真の整理という形に変えていた。

 ふと、河川敷で撮った紗奈の写真に手が止まる。一年前のあの写真と、今の紗奈は、確かに違っていた。あの頃は隣にいることしかできなかった。今は、言葉を交わせるようになっていた。

 恒一から電話がかかってきたのは、日付が変わる少し前だった。

「明日、紗奈だろ」

「うん」

「お前は何もできないけどな、明日は」

「分かってる」

「分かってるならいい。……お前、去年より落ち着いてるな」

 悠真は少し笑った。「そうかな」

「そうだよ。前のお前だったら、今頃紗奈の家の前で待ち伏せしてそうだった」

「してないだろ、さすがに」

「したかもしれないだろ、一年前のお前なら」

 軽口を交わしながらも、恒一の声には確かな安心が滲んでいた。二人とも、それぞれの形で、この一年を見てきた仲間だった。

 電話を切った後、悠真は紗奈に短いメッセージを送った。

《おやすみ。明日、応援してる》

 返信はなかった。もう眠っているのかもしれない。それでよかった。

 二月の冷たい空気の中、それぞれの一夜が静かに更けていった。