五月。
桜が散って、街が緑になった。
三年生の最初の一か月は、思ったより穏やかだった。
紗奈は毎朝登校していた。授業を受けていた。昼は四人で食べていた。
波はあった。でも紗奈はそれを、以前より早く悠真に伝えられるようになっていた。
「今日しんどい」という短いメッセージが来る朝があった。
悠真は「分かった、無理しなくていい」と返した。
それだけで、紗奈は登校できる日が多かった。
でも五月の連休明け、空気が変わった。
連休中、紗奈はほとんど外に出なかった。
悠真が誘っても「今日はいいや」と返ってきた。
一日二日は気にしなかった。でも五日間、同じ返事が続いた。
連休最終日の夜、悠真はメッセージを送った。
「明日、一緒に登校できそう?」
しばらくして返ってきた。
「……分からない」
連休明けの月曜日。
紗奈は来なかった。
悠真は朝、校門の前で少し待った。
来ないと分かってから、教室へ向かった。
昼休み、恒一が隣に来た。
「紗奈、休み?」
「うん」
「連絡は?」
「朝に少し。しんどいって」
恒一は何も言わなかった。
ただ弁当を開けて、黙って隣にいた。
その日の放課後、悠真は紗奈に電話した。
三回目で繋がった。
「もしもし」
声が、冬に戻っていた。薄い、水に溶かしたような声。
「今日しんどかったか」
「……うん」
「今、どんな感じ?」
「なんか、全部が遠い。また膜が戻ってきた感じ」
「先生には連絡した?」
「お母さんが今日、電話してくれた。今週中に診てもらえることになった」
「そっか、良かった」
少しの沈黙。
「悠真」
「うん」
「また戻ってきた。せっかく春になったのに」
悠真は息を吸った。
「波があるって、知ってたろ」
「……知ってたけど」
「しんどいよな、それでも」
紗奈は黙った。
「うん」とだけ言った。
「一個だけ聞いていい」
悠真が言った。
「消えたいとか、そっちの気持ちはある?」
少しの間。
「……今は、ない。ただ、しんどい」
「分かった。教えてくれてありがとう」
「こんなこと聞かせてごめん」
「謝らなくていい。聞きたいから聞いてる」
紗奈はしばらく黙っていた。
「悠真は、疲れてない?」
「疲れてないとは言わない」
「……ごめん」
「でも嫌じゃない。それは本当だから」
電話を切った後、悠真はしばらく部屋の床に座っていた。
疲れていた。
嘘はつかなかった。本当に疲れていた。
でも、離れたいとは思わなかった。
その二つが同時にある。
それが今の自分だと、悠真は思った。
翌日、悠真は放課後に恒一を捕まえた。
「少し話せるか」
「いつでも」
二人で屋上に上がった。
風が強かった。
「俺、疲れてる」
悠真が言った。
「うん」
「紗奈のことが心配で。でも自分がどんどん削れてる感じもして。でも離れたくない。全部が本当で、どれが正しいのか分からない」
恒一は空を見ながら聞いていた。
「全部正しいんじゃないの」
「え」
「疲れてて、心配で、離れたくない。全部同時にあっていいだろ」
悠真は何も言えなかった。
「お前、自分の気持ちに正解を求めすぎ」
「……そうかもしれない」
「紗奈にも言ってるだろ、感情に正解はないって」
「言ってない、そんなに上手く」
「でも伝わってるだろ」
風が屋上を吹き抜けた。
恒一が続けた。
「お前も、誰かに支えてもらっていい。俺でよければ、ここにいるから」
悠真は空を見た。
青かった。薄い雲が流れていた。
「……ありがとう」
それだけ言えた。
夜、紗奈からメッセージが来た。
「今日は少し眠れそう」
悠真は「良かった」と返した。
「明日、来られそうだったら来て。来られなくてもいい」
「うん」
少し経って届いた。
「悠真も、ちゃんと寝て」
悠真は画面を見て、小さく笑った。
しんどい夜でも、紗奈は悠真のことを気にしていた。
「お互いな」と返した。
桜が散って、街が緑になった。
三年生の最初の一か月は、思ったより穏やかだった。
紗奈は毎朝登校していた。授業を受けていた。昼は四人で食べていた。
波はあった。でも紗奈はそれを、以前より早く悠真に伝えられるようになっていた。
「今日しんどい」という短いメッセージが来る朝があった。
悠真は「分かった、無理しなくていい」と返した。
それだけで、紗奈は登校できる日が多かった。
でも五月の連休明け、空気が変わった。
連休中、紗奈はほとんど外に出なかった。
悠真が誘っても「今日はいいや」と返ってきた。
一日二日は気にしなかった。でも五日間、同じ返事が続いた。
連休最終日の夜、悠真はメッセージを送った。
「明日、一緒に登校できそう?」
しばらくして返ってきた。
「……分からない」
連休明けの月曜日。
紗奈は来なかった。
悠真は朝、校門の前で少し待った。
来ないと分かってから、教室へ向かった。
昼休み、恒一が隣に来た。
「紗奈、休み?」
「うん」
「連絡は?」
「朝に少し。しんどいって」
恒一は何も言わなかった。
ただ弁当を開けて、黙って隣にいた。
その日の放課後、悠真は紗奈に電話した。
三回目で繋がった。
「もしもし」
声が、冬に戻っていた。薄い、水に溶かしたような声。
「今日しんどかったか」
「……うん」
「今、どんな感じ?」
「なんか、全部が遠い。また膜が戻ってきた感じ」
「先生には連絡した?」
「お母さんが今日、電話してくれた。今週中に診てもらえることになった」
「そっか、良かった」
少しの沈黙。
「悠真」
「うん」
「また戻ってきた。せっかく春になったのに」
悠真は息を吸った。
「波があるって、知ってたろ」
「……知ってたけど」
「しんどいよな、それでも」
紗奈は黙った。
「うん」とだけ言った。
「一個だけ聞いていい」
悠真が言った。
「消えたいとか、そっちの気持ちはある?」
少しの間。
「……今は、ない。ただ、しんどい」
「分かった。教えてくれてありがとう」
「こんなこと聞かせてごめん」
「謝らなくていい。聞きたいから聞いてる」
紗奈はしばらく黙っていた。
「悠真は、疲れてない?」
「疲れてないとは言わない」
「……ごめん」
「でも嫌じゃない。それは本当だから」
電話を切った後、悠真はしばらく部屋の床に座っていた。
疲れていた。
嘘はつかなかった。本当に疲れていた。
でも、離れたいとは思わなかった。
その二つが同時にある。
それが今の自分だと、悠真は思った。
翌日、悠真は放課後に恒一を捕まえた。
「少し話せるか」
「いつでも」
二人で屋上に上がった。
風が強かった。
「俺、疲れてる」
悠真が言った。
「うん」
「紗奈のことが心配で。でも自分がどんどん削れてる感じもして。でも離れたくない。全部が本当で、どれが正しいのか分からない」
恒一は空を見ながら聞いていた。
「全部正しいんじゃないの」
「え」
「疲れてて、心配で、離れたくない。全部同時にあっていいだろ」
悠真は何も言えなかった。
「お前、自分の気持ちに正解を求めすぎ」
「……そうかもしれない」
「紗奈にも言ってるだろ、感情に正解はないって」
「言ってない、そんなに上手く」
「でも伝わってるだろ」
風が屋上を吹き抜けた。
恒一が続けた。
「お前も、誰かに支えてもらっていい。俺でよければ、ここにいるから」
悠真は空を見た。
青かった。薄い雲が流れていた。
「……ありがとう」
それだけ言えた。
夜、紗奈からメッセージが来た。
「今日は少し眠れそう」
悠真は「良かった」と返した。
「明日、来られそうだったら来て。来られなくてもいい」
「うん」
少し経って届いた。
「悠真も、ちゃんと寝て」
悠真は画面を見て、小さく笑った。
しんどい夜でも、紗奈は悠真のことを気にしていた。
「お互いな」と返した。



