一月の中旬。
紗奈の母親から悠真に連絡が来たのは、土曜日の午後だった。
「紗奈が、悠真くんに会いたいって言っているの。来てもらえる?」
柊家のリビングに通された悠真は、初めてそこで紗奈の母・由美子と正面から話した。
紗奈は隣の部屋にいた。
「最近のこと、紗奈から聞いた?」
由美子が聞いた。
「少し。電話で」
「そう」由美子は手元のカップを両手で包むように持った。「あの子、悠真くんにしか話せないことがあるみたいで。それはありがたいんだけど……」
「……俺だけじゃ、足りないですよね」
由美子は少し驚いた顔をした。
「そういうわけじゃないのよ。あなたがいてくれて、本当に助かってる。ただ……専門の人に相談することも考えていて。それを紗奈に話したら、悠真くんに会ってから決めたいって」
「分かりました」
悠真は頷いた。
紗奈の部屋は、カーテンが少しだけ開いていた。
以前来た時より、部屋が薄暗く感じた。
紗奈はベッドの縁に腰かけていた。
「来てくれたんだ」
「来るよ」
悠真は床に腰を下ろして、紗奈と同じくらいの高さに目線を合わせた。
「お母さんから聞いた」
「うん」
「専門の人に相談する話」
紗奈は膝の上で手を組んだ。
「……怖い」
「何が怖い?」
「ちゃんと話せるか分からない。あと、そこまで重くないのに大げさかなって」
悠真は少し考えてから言った。
「重さで決めるもんじゃないと思う」
「でも」
「骨折してる人だけが病院行くわけじゃないだろ。捻挫でも頭痛でも行く。心も同じじゃないのかな」
紗奈は黙った。
「俺には分からないことが、たぶんたくさんある。電話で話してくれること、全部受け取りたいと思ってる。でも俺が全部分かってあげられるかって言ったら、そうじゃない」
「……分かってる」
「紗奈が話しやすいかどうかは、行ってみないと分からないけど。もし合わなかったら変えてもいいし、一回で全部話さなくていい」
紗奈は窓の外を見た。
「一緒に来てくれる?」
「来ていいなら、行く」
「待合室だけでも」
「いるよ」
紗奈はゆっくり息を吐いた。
「……うん」
その帰り道。
悠真は一人で川沿いを歩いた。
寒かった。
手をポケットに突っ込んで、白い息を吐きながら歩いた。
怖かった。
紗奈の部屋の薄暗さが、頭から離れなかった。あのカーテン。膝の上で組まれた手。「怖い」という声の細さ。
でも今日、紗奈は「行く」と言った。
それだけが、今夜の灯りだった。
家に帰ってから、悠真は恒一に電話した。
呼び出し音が二回で繋がった。
「どした」
「……俺、大丈夫かな」
少しの間があった。
「何があった」
「紗奈のこと。心配で。でも心配しすぎて、自分がどういう状態か分からなくなってきた」
恒一は何も言わなかった。
しばらく電話越しに沈黙が続いて、それから恒一が言った。
「明日、飯行こ」
「え」
「お前の話、聞く。紗奈の話じゃなくて、お前の話」
悠真は少しだけ、息が楽になった。
「……うん」
「で、紗奈は?」
「専門の人に相談することになりそう」
「そっか。よかった」
「よかった?」
「一人で抱えさせないってことだろ。それはいいことだよ」
悠真は「そうだな」と言った。
口に出してみると、少しだけ本当になる気がした。
夜、紗奈からメッセージが届いた。
「今日来てくれてありがとう。お母さんと、来週予約してみる」
悠真は画面を見て、一度深呼吸した。
「よかった。待合室、絶対いるから」
「うん」
少し経って、もう一つ届いた。
「悠真も、ちゃんと寝てね」
悠真は笑った。
しんどいはずなのに、紗奈はまだ悠真のことを気にしていた。
「お互いな」と返した。
既読がついて、終わった。
それだけの夜だったけれど、悠真には十分だった。
紗奈の母親から悠真に連絡が来たのは、土曜日の午後だった。
「紗奈が、悠真くんに会いたいって言っているの。来てもらえる?」
柊家のリビングに通された悠真は、初めてそこで紗奈の母・由美子と正面から話した。
紗奈は隣の部屋にいた。
「最近のこと、紗奈から聞いた?」
由美子が聞いた。
「少し。電話で」
「そう」由美子は手元のカップを両手で包むように持った。「あの子、悠真くんにしか話せないことがあるみたいで。それはありがたいんだけど……」
「……俺だけじゃ、足りないですよね」
由美子は少し驚いた顔をした。
「そういうわけじゃないのよ。あなたがいてくれて、本当に助かってる。ただ……専門の人に相談することも考えていて。それを紗奈に話したら、悠真くんに会ってから決めたいって」
「分かりました」
悠真は頷いた。
紗奈の部屋は、カーテンが少しだけ開いていた。
以前来た時より、部屋が薄暗く感じた。
紗奈はベッドの縁に腰かけていた。
「来てくれたんだ」
「来るよ」
悠真は床に腰を下ろして、紗奈と同じくらいの高さに目線を合わせた。
「お母さんから聞いた」
「うん」
「専門の人に相談する話」
紗奈は膝の上で手を組んだ。
「……怖い」
「何が怖い?」
「ちゃんと話せるか分からない。あと、そこまで重くないのに大げさかなって」
悠真は少し考えてから言った。
「重さで決めるもんじゃないと思う」
「でも」
「骨折してる人だけが病院行くわけじゃないだろ。捻挫でも頭痛でも行く。心も同じじゃないのかな」
紗奈は黙った。
「俺には分からないことが、たぶんたくさんある。電話で話してくれること、全部受け取りたいと思ってる。でも俺が全部分かってあげられるかって言ったら、そうじゃない」
「……分かってる」
「紗奈が話しやすいかどうかは、行ってみないと分からないけど。もし合わなかったら変えてもいいし、一回で全部話さなくていい」
紗奈は窓の外を見た。
「一緒に来てくれる?」
「来ていいなら、行く」
「待合室だけでも」
「いるよ」
紗奈はゆっくり息を吐いた。
「……うん」
その帰り道。
悠真は一人で川沿いを歩いた。
寒かった。
手をポケットに突っ込んで、白い息を吐きながら歩いた。
怖かった。
紗奈の部屋の薄暗さが、頭から離れなかった。あのカーテン。膝の上で組まれた手。「怖い」という声の細さ。
でも今日、紗奈は「行く」と言った。
それだけが、今夜の灯りだった。
家に帰ってから、悠真は恒一に電話した。
呼び出し音が二回で繋がった。
「どした」
「……俺、大丈夫かな」
少しの間があった。
「何があった」
「紗奈のこと。心配で。でも心配しすぎて、自分がどういう状態か分からなくなってきた」
恒一は何も言わなかった。
しばらく電話越しに沈黙が続いて、それから恒一が言った。
「明日、飯行こ」
「え」
「お前の話、聞く。紗奈の話じゃなくて、お前の話」
悠真は少しだけ、息が楽になった。
「……うん」
「で、紗奈は?」
「専門の人に相談することになりそう」
「そっか。よかった」
「よかった?」
「一人で抱えさせないってことだろ。それはいいことだよ」
悠真は「そうだな」と言った。
口に出してみると、少しだけ本当になる気がした。
夜、紗奈からメッセージが届いた。
「今日来てくれてありがとう。お母さんと、来週予約してみる」
悠真は画面を見て、一度深呼吸した。
「よかった。待合室、絶対いるから」
「うん」
少し経って、もう一つ届いた。
「悠真も、ちゃんと寝てね」
悠真は笑った。
しんどいはずなのに、紗奈はまだ悠真のことを気にしていた。
「お互いな」と返した。
既読がついて、終わった。
それだけの夜だったけれど、悠真には十分だった。



