冬休みに入って十日が経っていた。
悠真は毎日、紗奈にメッセージを送っていた。
「今日どうだった?」「外、寒いな」「さっきコンビニで紗奈が好きそうなの見つけた」
他愛もない内容ばかりだった。返ってくる言葉は短くなっていたが、それでも返ってきていた。それだけが、今の悠真にとっての「確認」だった。
二十八日の夜。
電話が鳴ったのは十一時を過ぎた頃だった。
画面に「紗奈」の文字が光る。
「もしもし」
「……悠真」
声が、いつもと違った。
低い、というより、薄い。水に溶かしたみたいに。
「どうした」
「ごめん、こんな時間に」
「いいって。どこにいる?」
少し間があった。
「部屋」
「そっか」
悠真は起き上がり、部屋の電気をつけた。
「何かあった?」
「何もない、から、電話した」
紗奈の言葉の意味が、すぐには飲み込めなかった。
何もないから、電話した。
「……そっか」
悠真はもう一度、同じ言葉を繰り返した。今度は少し違う温度で。
「声聞きたかった?」
また、間。
「……うん」
その「うん」がどれほど重かったか。紗奈がそれを言うためにどれだけ時間がかかったか。悠真には分かった。
「じゃあ話そう。何でもいい」
「何でも?」
「うん。俺が今日食べたもんでも、昨日見た夢でも」
小さな、笑う息の音がした。
「聞かせてよ。夢」
悠真は話した。
特に意味もない夢の話。中学の校舎が出てきて、なぜか昼食がうどんだった話。恒一が教室の窓から飛び出してどこかへ消えた話。
紗奈は「何それ」と言いながら、少しずつ声が戻ってきた。薄かったものが、少しずつ厚みを持ちはじめる感じがした。
「紗奈は?」
「私は……夢、最近あんまり見ない気がする」
「眠れてる?」
「……寝てはいる。でも起きた気がしない」
悠真は何も言わなかった。
返事をしなかったのではなく、今は何かを言う場面じゃないと思ったから。
「ご飯は」
「昨日、少し食べた」
「今日は?」
少し間があった。
「……分からない」
「食べてないか」
「うん」
悠真は時計を見た。十一時半。コンビニは開いている。
「何か食べられそうなもの、ある?」
「何も食べたくない感じがする」
「そっか」
「……ごめん」
「謝らなくていい」
「でも」
「謝らなくていい、ほんとに」
紗奈は黙った。
悠真も黙った。
電話越しに、互いの呼吸だけがあった。
しばらくして、紗奈が言った。
「悠真」
「うん」
「消えたいとは、まだ思ってない」
「……うん」
「でも、何もしたくない。起きていたくない。でも眠れない。どっちでもない場所にずっといる感じ」
悠真は息を吐いた。
「それ、ちゃんと教えてくれてありがとう」
「怖くなったら言う、約束したから」
「怖くなる前でもいい。今日みたいに」
また少しの沈黙。
「……今日、電話してよかった?」
「よかった」
迷わず、答えた。
「俺、電話来て良かった。声聞けて良かった」
紗奈は何も言わなかったが、電話が切れなかった。それで十分だった。
「一個だけ聞いていい?」
悠真が言った。
「うん」
「今、部屋に誰かいる?」
「お母さんがいる。下に」
「そっか」
悠真は少し安堵した。
「一人じゃないな」
「うん。……悠真がいるし」
その言葉に、悠真は返事をしなかった。返事をすると、何か大事なものを壊してしまう気がした。
ただ「いる」と、もう一度だけ言った。
電話は一時間以上続いた。
途中から二人ともほとんど話さなくなって、ただ電話を繋いだまま、それぞれの部屋にいた。
最後に紗奈が言った。
「寝てみる」
「うん」
「ありがとう」
「また明日な」
「……うん」
電話が切れた。
悠真はしばらく、スマホを握ったまま動けなかった。
怖かった。
今日の紗奈の声が怖かった。
でも、電話してきてくれた。「消えたいとはまだ思っていない」と、ちゃんと言ってくれた。
それだけを、今夜は信じることにした。
翌朝、紗奈からメッセージが届いた。
「昨日ありがとう。少し眠れた」
悠真は画面を見つめて、それから返信した。
「良かった。今日も連絡して」
既読がついた。
返信はなかったが、それでも既読がついた。
それだけで、今日も続いていると分かった。
悠真は毎日、紗奈にメッセージを送っていた。
「今日どうだった?」「外、寒いな」「さっきコンビニで紗奈が好きそうなの見つけた」
他愛もない内容ばかりだった。返ってくる言葉は短くなっていたが、それでも返ってきていた。それだけが、今の悠真にとっての「確認」だった。
二十八日の夜。
電話が鳴ったのは十一時を過ぎた頃だった。
画面に「紗奈」の文字が光る。
「もしもし」
「……悠真」
声が、いつもと違った。
低い、というより、薄い。水に溶かしたみたいに。
「どうした」
「ごめん、こんな時間に」
「いいって。どこにいる?」
少し間があった。
「部屋」
「そっか」
悠真は起き上がり、部屋の電気をつけた。
「何かあった?」
「何もない、から、電話した」
紗奈の言葉の意味が、すぐには飲み込めなかった。
何もないから、電話した。
「……そっか」
悠真はもう一度、同じ言葉を繰り返した。今度は少し違う温度で。
「声聞きたかった?」
また、間。
「……うん」
その「うん」がどれほど重かったか。紗奈がそれを言うためにどれだけ時間がかかったか。悠真には分かった。
「じゃあ話そう。何でもいい」
「何でも?」
「うん。俺が今日食べたもんでも、昨日見た夢でも」
小さな、笑う息の音がした。
「聞かせてよ。夢」
悠真は話した。
特に意味もない夢の話。中学の校舎が出てきて、なぜか昼食がうどんだった話。恒一が教室の窓から飛び出してどこかへ消えた話。
紗奈は「何それ」と言いながら、少しずつ声が戻ってきた。薄かったものが、少しずつ厚みを持ちはじめる感じがした。
「紗奈は?」
「私は……夢、最近あんまり見ない気がする」
「眠れてる?」
「……寝てはいる。でも起きた気がしない」
悠真は何も言わなかった。
返事をしなかったのではなく、今は何かを言う場面じゃないと思ったから。
「ご飯は」
「昨日、少し食べた」
「今日は?」
少し間があった。
「……分からない」
「食べてないか」
「うん」
悠真は時計を見た。十一時半。コンビニは開いている。
「何か食べられそうなもの、ある?」
「何も食べたくない感じがする」
「そっか」
「……ごめん」
「謝らなくていい」
「でも」
「謝らなくていい、ほんとに」
紗奈は黙った。
悠真も黙った。
電話越しに、互いの呼吸だけがあった。
しばらくして、紗奈が言った。
「悠真」
「うん」
「消えたいとは、まだ思ってない」
「……うん」
「でも、何もしたくない。起きていたくない。でも眠れない。どっちでもない場所にずっといる感じ」
悠真は息を吐いた。
「それ、ちゃんと教えてくれてありがとう」
「怖くなったら言う、約束したから」
「怖くなる前でもいい。今日みたいに」
また少しの沈黙。
「……今日、電話してよかった?」
「よかった」
迷わず、答えた。
「俺、電話来て良かった。声聞けて良かった」
紗奈は何も言わなかったが、電話が切れなかった。それで十分だった。
「一個だけ聞いていい?」
悠真が言った。
「うん」
「今、部屋に誰かいる?」
「お母さんがいる。下に」
「そっか」
悠真は少し安堵した。
「一人じゃないな」
「うん。……悠真がいるし」
その言葉に、悠真は返事をしなかった。返事をすると、何か大事なものを壊してしまう気がした。
ただ「いる」と、もう一度だけ言った。
電話は一時間以上続いた。
途中から二人ともほとんど話さなくなって、ただ電話を繋いだまま、それぞれの部屋にいた。
最後に紗奈が言った。
「寝てみる」
「うん」
「ありがとう」
「また明日な」
「……うん」
電話が切れた。
悠真はしばらく、スマホを握ったまま動けなかった。
怖かった。
今日の紗奈の声が怖かった。
でも、電話してきてくれた。「消えたいとはまだ思っていない」と、ちゃんと言ってくれた。
それだけを、今夜は信じることにした。
翌朝、紗奈からメッセージが届いた。
「昨日ありがとう。少し眠れた」
悠真は画面を見つめて、それから返信した。
「良かった。今日も連絡して」
既読がついた。
返信はなかったが、それでも既読がついた。
それだけで、今日も続いていると分かった。



