冬休みに入って、四日目だった。
悠真は紗奈に連絡した。
「会えない?」とだけ送った。
返信が来たのは、三時間後だった。
明日ならいい。
短かった。
でも、来た。
翌日、二人はいつもの商店街で待ち合わせた。
紗奈は時間通りに来た。
コートを着て、マフラーを巻いて、いつもの紗奈に見えた。
「久しぶり」
「一週間ぶりだけど」
「冬休みだから、長く感じる」
「そう?」
紗奈は少し首を傾けて、歩き始めた。
悠真はその横顔を見た。
学校で見るより、少し顔色が白い気がした。
でも、気のせいかもしれなかった。
二人で商店街を歩いた。
本屋に寄って、文庫本を眺めた。
紗奈が一冊手に取って、少し読んでから棚に戻した。
「買わないの?」
「今は、本を読んでも頭に入らない気がして」
「そういうときあるよな」
「悠真は?」
「俺はもともと、あんまり頭に入らない」
紗奈は小さく笑った。
その笑い方が、先月より少し自然だった。
悠真は少しだけ、肩の力が抜けた。
喫茶店に入った。
窓際の席に座って、温かいものを注文した。
紗奈はホットチョコレートを頼んだ。
「甘いもの、好きだったっけ」
「最近、甘いものが飲みたくなる」
「なんで?」
「分からない。なんかそういう気分」
悠真はコーヒーを包むように両手を当てながら、紗奈を見た。
「冬休み、どうしてた?」
「家にいた」
「ずっと?」
「ほとんど」
「勉強?」
「最初はしてた。でも途中から、あんまりできなくて」
「できない、って?」
紗奈はカップを見ながら言った。
「机に向かっても、何もできないまま時間が経つ。気づいたら二時間、ただ座ってた、みたいな」
悠真は何も言わずに聞いた。
「それが、怠けてるのか疲れてるのか、自分でも分からなくて」
「怠けてないと思う」
「でも何もできてない」
「できない日があっても、いい」
紗奈は悠真を見た。
「悠真、それ、本当にそう思う?」
「思う」
「私には、できない日があっちゃいけない気がして」
その言葉が、静かに落ちた。
悠真は紗奈の顔を見た。
カップを両手で持ったまま、紗奈は視線を落としていた。
「誰かにそう言われた?」
「言われてない。ただ、そう思ってる」
「いつから?」
「……ずっと、かな」
窓の外で、雪がちらついていた。
この街で雪が降るのは珍しかった。
二人でしばらく、それを見た。
「ねえ、悠真」
「うん」
「私、なんで頑張ってるんだろって、最近考える」
悠真は紗奈を見た。
紗奈は雪を見たまま、続けた。
「誰かに認められたいのか、自分がそうしたいのか、よく分からなくなってきた」
「それ、どっちでもいいんじゃないか」
「どっちでもいい?」
「認められたくて頑張ることが、悪いわけじゃないと思う。自分のためだけじゃなくていい」
紗奈は少し考えてから、「そうかな」と言った。
「そうだよ」
「……悠真は、何のために頑張ってる?」
悠真は少し考えた。
「好きだから、かな。写真が好きで、それを続けたいから」
「それだけ?」
「紗奈に、いい写真だって言ってほしいのもある」
紗奈は悠真を見た。
「それは……認められたいってこと?」
「そう。でも、紗奈に言われたいっていう、もう少し個人的な気持ちもある」
紗奈はそれを聞いて、少しだけ表情が動いた。
「……ずるい言い方」
「ずるくない、本当のことだから」
紗奈はカップに視線を戻した。
その横顔が、さっきより少しだけ柔らかかった。
帰り際、商店街の出口で紗奈が立ち止まった。
「今日、来てくれてよかった」
悠真は紗奈を見た。
「来てよかった、じゃなくて?」
「どっちも」
紗奈はマフラーを少し直した。
「家に一人でいると、考えすぎる。外に出るのが、少し億劫になってて」
「億劫、って?」
紗奈は少し間を置いた。
「なんか、外に出る理由が見つからない感じがして。悠真に言われなかったら、今日も家にいたと思う」
悠真はその言葉を、慎重に受け取った。
「外に出る理由、俺でよければ、また言う」
「……それでいいの?」
「いい」
「悠真の冬休みが、潰れる」
「潰れない。一緒にいたいから言ってる」
紗奈はそれを聞いて、少し下を向いた。
雪がまだ、ちらついていた。
「……ありがとう」
その「ありがとう」が、今日一番、紗奈の声に聞こえた。
「また来週、会おう」
「うん」
「連絡する」
「うん」
紗奈は歩き始めた。
三歩ほど進んだところで、振り返った。
「悠真」
「うん」
紗奈は少し迷ってから、言った。
「最近、消えたいとまでは思わないけど、このまま止まっていたいって気持ちが、たまにある」
風が吹いた。
悠真はその言葉を、すぐに流せなかった。
「止まっていたい、って?」
「上手く言えない。ただ、前にも後ろにも動きたくない感じ」
悠真は紗奈の前に歩いた。
「紗奈」
「うん」
「それ、しんどいな」
紗奈は少し驚いた顔をした。
「大丈夫って言わないの?」
「言わない。しんどいよ、それは」
紗奈は悠真を見た。
目が、少し揺れていた。
「話してくれてよかった。もっと話せそうなら、聞く」
「……今は、これだけでいい」
「分かった」
「怒らない?」
「怒るわけない」
「心配かけてごめん」
「謝らなくていい」
悠真は紗奈の目を見て、言った。
「一人で抱えないで。全部じゃなくていいから、少しずつ、俺に渡して」
紗奈はしばらく、悠真の顔を見ていた。
それから、小さく頷いた。
泣かなかった。
でも、頷いた。
「あと、紗奈」
「うん」
「もし、止まりたいじゃなくて、消えたい気持ちになったら、すぐ連絡して。時間関係なく出る」
紗奈は少し間を置いた。
「……うん」
「約束して」
「約束する」
家に帰って、悠真はコートも脱がずに、しばらく玄関に立っていた。
止まっていたい。
その言葉が、ずっと頭に残っていた。
消えたいではない。
でも、前にも後ろにも動きたくない。
それは、紗奈が今、どれほど疲れているかを示していた。
悠真は恒一に電話しようとして、やめた。
玲奈に相談しようとして、やめた。
今夜は、ただ紗奈の言葉を、自分の中でちゃんと受け取っておきたかった。
スマートフォンに、一言だけ送った。
話してくれてありがとう。来週、また会おう。
既読がついた。
今度は、すぐに返信が来た。
うん。
たった三文字だった。
でも、今夜はそれで十分だった。
──紗奈は、消えたいとは言わなかった。
でも、止まっていたいと言った。
悠真はその言葉を、今夜だけは、一人で静かに持っていることにした。
隣にいるとは、こういうことかもしれないと、思いながら。
悠真は紗奈に連絡した。
「会えない?」とだけ送った。
返信が来たのは、三時間後だった。
明日ならいい。
短かった。
でも、来た。
翌日、二人はいつもの商店街で待ち合わせた。
紗奈は時間通りに来た。
コートを着て、マフラーを巻いて、いつもの紗奈に見えた。
「久しぶり」
「一週間ぶりだけど」
「冬休みだから、長く感じる」
「そう?」
紗奈は少し首を傾けて、歩き始めた。
悠真はその横顔を見た。
学校で見るより、少し顔色が白い気がした。
でも、気のせいかもしれなかった。
二人で商店街を歩いた。
本屋に寄って、文庫本を眺めた。
紗奈が一冊手に取って、少し読んでから棚に戻した。
「買わないの?」
「今は、本を読んでも頭に入らない気がして」
「そういうときあるよな」
「悠真は?」
「俺はもともと、あんまり頭に入らない」
紗奈は小さく笑った。
その笑い方が、先月より少し自然だった。
悠真は少しだけ、肩の力が抜けた。
喫茶店に入った。
窓際の席に座って、温かいものを注文した。
紗奈はホットチョコレートを頼んだ。
「甘いもの、好きだったっけ」
「最近、甘いものが飲みたくなる」
「なんで?」
「分からない。なんかそういう気分」
悠真はコーヒーを包むように両手を当てながら、紗奈を見た。
「冬休み、どうしてた?」
「家にいた」
「ずっと?」
「ほとんど」
「勉強?」
「最初はしてた。でも途中から、あんまりできなくて」
「できない、って?」
紗奈はカップを見ながら言った。
「机に向かっても、何もできないまま時間が経つ。気づいたら二時間、ただ座ってた、みたいな」
悠真は何も言わずに聞いた。
「それが、怠けてるのか疲れてるのか、自分でも分からなくて」
「怠けてないと思う」
「でも何もできてない」
「できない日があっても、いい」
紗奈は悠真を見た。
「悠真、それ、本当にそう思う?」
「思う」
「私には、できない日があっちゃいけない気がして」
その言葉が、静かに落ちた。
悠真は紗奈の顔を見た。
カップを両手で持ったまま、紗奈は視線を落としていた。
「誰かにそう言われた?」
「言われてない。ただ、そう思ってる」
「いつから?」
「……ずっと、かな」
窓の外で、雪がちらついていた。
この街で雪が降るのは珍しかった。
二人でしばらく、それを見た。
「ねえ、悠真」
「うん」
「私、なんで頑張ってるんだろって、最近考える」
悠真は紗奈を見た。
紗奈は雪を見たまま、続けた。
「誰かに認められたいのか、自分がそうしたいのか、よく分からなくなってきた」
「それ、どっちでもいいんじゃないか」
「どっちでもいい?」
「認められたくて頑張ることが、悪いわけじゃないと思う。自分のためだけじゃなくていい」
紗奈は少し考えてから、「そうかな」と言った。
「そうだよ」
「……悠真は、何のために頑張ってる?」
悠真は少し考えた。
「好きだから、かな。写真が好きで、それを続けたいから」
「それだけ?」
「紗奈に、いい写真だって言ってほしいのもある」
紗奈は悠真を見た。
「それは……認められたいってこと?」
「そう。でも、紗奈に言われたいっていう、もう少し個人的な気持ちもある」
紗奈はそれを聞いて、少しだけ表情が動いた。
「……ずるい言い方」
「ずるくない、本当のことだから」
紗奈はカップに視線を戻した。
その横顔が、さっきより少しだけ柔らかかった。
帰り際、商店街の出口で紗奈が立ち止まった。
「今日、来てくれてよかった」
悠真は紗奈を見た。
「来てよかった、じゃなくて?」
「どっちも」
紗奈はマフラーを少し直した。
「家に一人でいると、考えすぎる。外に出るのが、少し億劫になってて」
「億劫、って?」
紗奈は少し間を置いた。
「なんか、外に出る理由が見つからない感じがして。悠真に言われなかったら、今日も家にいたと思う」
悠真はその言葉を、慎重に受け取った。
「外に出る理由、俺でよければ、また言う」
「……それでいいの?」
「いい」
「悠真の冬休みが、潰れる」
「潰れない。一緒にいたいから言ってる」
紗奈はそれを聞いて、少し下を向いた。
雪がまだ、ちらついていた。
「……ありがとう」
その「ありがとう」が、今日一番、紗奈の声に聞こえた。
「また来週、会おう」
「うん」
「連絡する」
「うん」
紗奈は歩き始めた。
三歩ほど進んだところで、振り返った。
「悠真」
「うん」
紗奈は少し迷ってから、言った。
「最近、消えたいとまでは思わないけど、このまま止まっていたいって気持ちが、たまにある」
風が吹いた。
悠真はその言葉を、すぐに流せなかった。
「止まっていたい、って?」
「上手く言えない。ただ、前にも後ろにも動きたくない感じ」
悠真は紗奈の前に歩いた。
「紗奈」
「うん」
「それ、しんどいな」
紗奈は少し驚いた顔をした。
「大丈夫って言わないの?」
「言わない。しんどいよ、それは」
紗奈は悠真を見た。
目が、少し揺れていた。
「話してくれてよかった。もっと話せそうなら、聞く」
「……今は、これだけでいい」
「分かった」
「怒らない?」
「怒るわけない」
「心配かけてごめん」
「謝らなくていい」
悠真は紗奈の目を見て、言った。
「一人で抱えないで。全部じゃなくていいから、少しずつ、俺に渡して」
紗奈はしばらく、悠真の顔を見ていた。
それから、小さく頷いた。
泣かなかった。
でも、頷いた。
「あと、紗奈」
「うん」
「もし、止まりたいじゃなくて、消えたい気持ちになったら、すぐ連絡して。時間関係なく出る」
紗奈は少し間を置いた。
「……うん」
「約束して」
「約束する」
家に帰って、悠真はコートも脱がずに、しばらく玄関に立っていた。
止まっていたい。
その言葉が、ずっと頭に残っていた。
消えたいではない。
でも、前にも後ろにも動きたくない。
それは、紗奈が今、どれほど疲れているかを示していた。
悠真は恒一に電話しようとして、やめた。
玲奈に相談しようとして、やめた。
今夜は、ただ紗奈の言葉を、自分の中でちゃんと受け取っておきたかった。
スマートフォンに、一言だけ送った。
話してくれてありがとう。来週、また会おう。
既読がついた。
今度は、すぐに返信が来た。
うん。
たった三文字だった。
でも、今夜はそれで十分だった。
──紗奈は、消えたいとは言わなかった。
でも、止まっていたいと言った。
悠真はその言葉を、今夜だけは、一人で静かに持っていることにした。
隣にいるとは、こういうことかもしれないと、思いながら。



