夢百夜

大学時代に出会った、かわいそうな男の話。

彼とは文学の好みが合ったこともあり、大学の講義の合間や放課後に、よくお気に入りの小説について熱く議論を交わしていた。

ある日のことだ。いつものように大学近くの喫茶店で、中島敦の『山月記』について話をしていたとき、彼の様子が唐突におかしくなった。
それまで普通に論理的な日本語で喋っていた彼が、前触れもなく、聞いたこともない、妙に不気味な響きの奇妙な言語をペラペラと喋り始めたのだ。

私は、彼がマニアックな外国語の詩でも暗唱しているのだろうと思って、軽く受け流していた。

しかし、彼がそのわけの分からない言葉のまま、身振り手振りを交えて熱心にこちらに語りかけ続けてくるので、次第に気味が悪くなってきた。

「ちょっと、冗談はやめて」

私が少し不機嫌に遮っても、彼は全く言葉を改めようとしない。それどころか、なぜ私が怒っているのか分からないといった風な、酷く困惑した顔をしながら、相変わらず得体の知れない言語を滑らかに紡ぎ続けている。

あまりの噛み合わなさにすっかり呆れてしまった私は、伝票を掴んで席を立った。

翌日、大学のキャンパスで彼に会うと、彼はひどく神妙な、今にも消え入りそうな顔で私に近づいてきて、深く頭を下げた。

「本当にごめん。昨日のことなんだけど……。僕の家系ね、先祖代々、『キツネ』の呪いを受けているんだよ」

彼が真面目な顔で語るには、その呪いのせいで、時折本人の意識とは無関係に、奇妙な怪異が引き起こされるのだという。

「昨日もね、僕自身は最初から最後まで、君に対して完璧な日本語で『山月記』の話をしていたつもりだったんだ。それなのに、脳から口に信号が伝わる瞬間に、キツネの呪いがその言葉を全部、人間には理解できない狐の言葉に書き換えてしまっていたみたいで……」

後から自分のスマートノートの文字起こしデータ(彼は議論を記録する癖があった)を確認して、初めて自分が異言語を喚いていたことに気づき、血の気が引いたのだと彼は震えていた。

本人は普通に喋っているつもりなのに、他人に届くときには狐の言葉になっているなんて。世の中には、随分と難儀な呪いもあるものだ。