妖怪姫は悪魔伯爵に食べられたい

「は、はい?」

小春は何を言われたのか分からず、素っ頓狂な声を出してしまった。辰彦も千代も口を開けて驚いている。そんな中でいち早く反応したのは秋穂だった。

「ちょ、ちょっと!何故こんな見すぼらしい女なんですか!?実力なら私の方がありますわっ!」

顔を真っ赤にして秋穂はそう叫んだ。秋穂の無礼な態度に伯爵は眉を顰めた。

「おや、そうですか?私には小春様の方が素質があるように見えますけど」
「なっ!そんっな……事…」

そんな事ない、と言いたかった。しかしロイに睨まれて秋穂は言い淀んだ。
 嘘をつくのは許さない。
 と言われているような視線に、秋穂は言葉が出てこなくなる。けれどまだ何か言いたそうに口をもごもごさせていた。

「秋穂、落ち着きなさい」

そんな秋穂を母親が睨みつけて黙らせた。秋穂は口をぱくぱくさせながらも、大人しく俯いた。
 伯爵は気を取り直すように咳払いした。

「見たところ小春様はあやかしに好かれる体質のようですね」
「っ!!」

辰彦は驚きを隠せなかった。何か言い訳をしようと口をもごもごさせたが、何の言葉も思いつかず、ゆっくり頷いた。

「おっしゃる通りです。ただ……彼女は二年前に自分の力を制御できないのに過信して問題を起こしているのです。今もまだあやかしと繋がっていると言うのですから気味が悪いでしょう?いつ妖怪に取り込まれて我々を襲うか分かったものではありませんよ」
「はは。それはないでしょう」

伯爵は笑ってすぐに否定した。
 ロイの反応は椎原家の人間にはかなり意外なものだった。椎原家一同みんな目を丸くして言葉を失っている。特に秋穂は気に食わない様子だ。
 小春も驚いた。
 長年疑われ虐げられてきたが、それにも耐えて過ごしてきた事が報われたような気持ちになった。

「椎原家の人間なら、彼女がどれだけ優秀で分別のある人間か分かるのでは?」

伯爵の挑発的な言葉に辰彦は顔を赤くする。千代も顔色が良くない。そんな二人の様子などお構い無しに伯爵は話を進めていく。

「さて。ご当主殿、小春様との結婚を認めてくれますか?」

辰彦は忌々しそうに小春を睨みつけた。そんなに睨まれても、小春だって訳がわからないというのに。

「し、しかし小春に実力があったとしても、何故結婚などと?」

ロイは少し考えた後、真剣な眼差しで答えた。

「小春様のあやかしに好かれる体質が必要なのです」

伯爵の思いもよらない返事に辰彦は首を傾げた。

「小春様には辛いかもしれませんが、西洋あやかしを誘き寄せるのを手伝ってもらいたいのです。この国では女性と二人で行動するのは不審に思われるでしょう。それならば結婚した方が自然でしょう?」
「そういうことですか」
「小春様が協力してくだされば、私からも天皇陛下には椎原家が快く協力してくれたと報告いたします」

辰彦は何故か安心したようにほっと一息ついた。

「それならば仕方ありませんな」

父親は納得したように頷いた。そんな調子の良い辰彦に小春は呆れ果てた。

ーー私を物みたいに扱うのね。

そして当然のように小春の意思など聞いてはくれない。椎原家の厄介者と言って忌み嫌っておきながら、都合よく利用しようとする辰彦の姿に小春は嫌悪感が湧いてくる。
 そして綺麗な顔で微笑むロイは天使のように見えるが、言っている事は結構残酷だ。

ーーアスター伯爵様。天使のような見た目だけど油断ならない相手だわ。

結局のところ、囮にしたいと言っているのだ。結婚だってかりそめで、小春の経歴に傷がつこうと構わないと思っているのだろう。
 小春は二年前の事件を思い出した。
 今度こそ死ぬかもしれない、と思うとゾッとした。

ーー怖い……。

けれど小春に逃げ場なんて無かった。後ろに控える椎原家一族は皆安堵の表情を浮かべているし、両親も喜びを隠せていない。秋穂だけは微妙な表情をしているが、誰一人として小春を囮にすることに反対しない。

ーーアスター伯爵様も椎原家の人間も皆怖い……。

 それから話は何事もなく進み、あまり時間をおかずにロイは次の用事があるからと帰る準備を始めた。そしてロイが馬車に乗って帰って行くのを椎原家全員で見送りを終えると、皆「上手くまとまって良かった」と喜び合いながら帰って行った。

ーー上手くまとまった?よく言うわ。

犠牲一人で済んだのだから上手くまとまった方かもしれない。けど犠牲にされた方はたまったものではない。

ーーせめて私の前で言わないくらいの配慮が欲しかったわ。

小春はそう思ってこっそりため息をついた。
 そんな小春にこっそり耳打ちする人が現れた。

「小春様」

嫌味たっぷり含んだ声が耳に響く。小春は聞き慣れた声にうんざりした。

「どうしたの?秋穂」
「さすが優秀な小春様ですね。囮作戦なんて、私にはとても出来ませんわ」

秋穂は嫌味たっぷりに言ってきた。

「そういえばアスター伯爵様には異名があるのですって」
「異名?」
「ええ」

秋穂はニヤニヤ笑って焦らしてくる。小春はもう秋穂の言葉を聞かずに去ろうかと思った。相手にするのも疲れる。

「あら。旦那様のことなんて興味ありませんか?」
「噂はあくまで噂だから」

素っ気ない対応すると、秋穂はすぐに答えた。

「イギリスでは悪魔伯爵と呼ばれていたそうですよ?」

小春は思わず動きを止めた。

ーー悪魔伯爵?

確かに初対面の相手に囮のために結婚しようって言い出すなんて、充分悪魔みたいな人だ。

「可哀想」
「え?」
「悪魔のかりそめの嫁なんて可哀想って言ったんです。でも妖怪姫なんて呼ばれる小春様にはお似合いかもしれませんわね」

秋穂は言いたい事を言い終えると高笑いしながら去って行った。そんな秋穂の背中を見ながら、小春はため息をついた。

ーーどうでもいい。

夫が誰であろうと、何者であろうと、小春にはどうでも良かった。諦めているのだと思う。

ーーでも。目が合った時の全身の血が沸き立つような感覚は何だったんだろう……。

小春は自分をぎゅっと抱きしめた。

ーーもう、この町には戻って来ないかもしれないわね。

そう思うと少し寂しくなった。そして真っ先に頭に浮かんだのは人間ではなく、あやかし達だった。小春に会いに椎原家の屋敷にこっそり入り込んで、いつも慰めてくれた彼らにお別れくらい言いたい。
 そう思った。

 それから夜が更けて、小春はこっそり屋敷の外に出た。

ーー抜け出すには絶好ね。

今日はロイの来訪で皆疲れて早く寝ているらしい。いつもなら灯りがついていてもおかしく無いのだが、今日は真っ暗だった。小春が抜け出すには絶好の夜だ。
 小春が屋敷の外に出ると、そろそろとあやかし達が近寄ってきた。

「小春ダ」
「小春ガ来ルナンテ、珍シイ」
「ドウシタノ?」

あやかし達は嬉しそうに小春の足元ではしゃいでいる。そんなあやかし達の頭を撫でながら、小春は眉根を下げて口を開いた。

「あのね。私、この町から出ることになったの。だから、お別れ言いにきたの」
「エ。小春、出テイク?」
「イヤダー」

あやかし達は小春にぎゅっと抱きついてくる。その姿に小春も胸が締め付けられた。この町で最後まで小春に優しくしてくれたのは、町民でも家族でもなく、あやかし達だった。

「ごめんなさい。でもどうしようもないの」
「ジャア、僕モ行ク」
「僕モ」
「え?ついて来てくれるの?」

小春は目をぱちくりとさせた。まさかついて来てくれるなんて思わなかったので、驚いた。
 しかしあやかし達の中には土地に縛られていたり、根付いているあやかしもいる。そういったあやかしは寂しそうに首を横に振った。

「僕ハ無理。コノ土地ジャナイト、駄目ダカラ」
「僕モムリ。残念」

この土地を離れられないあやかしは、これが今生の別れになるかもしれないのだ。慰めようとしても言葉が出て来ない。
 しんみりとした雰囲気の中、一匹のあやかしがおずおずと近寄ってきた。

「アノネー、小春」
「なあに?どうしたの?」

あやかしは少し言いにくそうに困った顔を見せた。

「怖イ妖怪ガ、来タノ」
「怖い妖怪?」
「見タ事無イアヤカシナノ。鋭イ歯シテル妖怪」
「僕モ知ッテル」
「知ッテル。西洋カラ来タ、モンスターダヨ」

薄透明の羽を羽ばたかせて一人の妖精がそう言った。

ーーこれは、もしかしてロイ様が言っていた西洋あやかしのことかしら。

すると他のあやかし達も怖がり始めた。

「怖イ妖怪、嫌ダー」
「僕モ小春二、付イテイクー」
「来チャ駄目?」
「そんな事ないわ。来てもいいわよ」
「ヤッター」

西洋あやかしが怖いという他の妖怪達も小春についていこうとしてくる。それほどまでに恐ろしいあやかしなのか、と小春は身震いした。

ーー椎原家に対処できるのかしら。

そんな不安がよぎった。しかし、もうこの町を去る小春には何も出来る事はない。むしろ付いて来ようとしているあやかしが沢山いる方が問題だ。
 使役妖怪だと言えばアスター伯爵も許してくれるだろうが……。

ーーこれは結構な大所帯になるかもしれないわね。

ついていくと言ってくれたあやかし達を見渡してみると、なかなかの数になる。心強くもあるが、こんな大所帯で行ってもいいものか少し悩んだ。

ーーまあいいか。

小春は考えるのをやめた。
 そして小春は町中のあやかし達にもお別れを言って、椎原邸にすぐ戻った。
 すると行く時は真っ暗だったはずの屋敷の一室に、ほんのりと灯りがともっていた。

ーーあら。灯りがついてる?

その部屋は小春の両親の部屋だった。