妖怪姫は悪魔伯爵に食べられたい

 その頃、小春はせっかく着た着物を脱ぎ捨てて、いつもの格好に戻っていた。結い上げた髪も下ろして、大の字になって寝転んでいる。

ーー私、これからどうしよう。

そうしてぼんやりとそんな事を考えていた。先程の両親や親族の態度を見て、小春はこの屋敷に、椎原家にい続ける意味を見失い始めていた。

「小春、悩ンデル?」
「そうねえ」

話しかけてきたのは薄い羽の人型のあやかしだ。黒髪だが緑の目と彫りの深い顔立ちから西洋からやってきたあやかしなのだろうと思っていた。しかしこのあやかしは日本のあやかし達とかなり馴染んでいる。

「アノネ、僕ノ国ノ御伽話、聞イテ」
「御伽話?どんなお話なの?」
「シンデレラッテ言ウノ」
「シンデレラ?」
「ソウ。家族ニ意地悪サレテタ女ノ子ガ、王子様ト出会ッテ幸セニナル話」
「素敵なお話ね」
「デモネ、本当ハ王子様ハ吸血鬼ナノ。女ノ子ハ吸血鬼ノ王子様ニトッテ運命ノ血ダッタノ」
「運命の血?」
「吸血鬼ノ伝説。運命ノ血、吸血鬼ヲ強クスル。吸血鬼ハ、運命ノ血ヲ、トッテモ愛スルノ」
「そんな御伽話があるのね」
「ウン。吸血鬼ノ王子様、女ノ子ノタメニ頑張ルノ。二人ハ幸セニナルノ」
「ふふ。夢みたいだわ」
「小春モ幸セニナレルヨ」
「そうね……そうだといいわね」

クスクスと小春が笑うと、西洋あやかしは嬉しそうに空中でくるんと飛び回った。
 でも現実はそう上手くいかないと、小春もよくわかっている。

ーー物語みたいに王子様に出会えたら。

小春も思わず考えてしまった。こんな家から連れ出してくれるならすぐに惚れてしまうかもしれない。

ーーなんてね。王子様なんてそんないないわ。

その時、スパンッと音を立てて勢いよく襖が開いた。小春は驚いて飛び起きた。西洋あやかしは姿を消す暇がなかったらしく、慌てて物陰に隠れた。
 しかし突然入ってきた使用人達にそんな余裕はなかった。皆焦った表情をしている。しかも何人もの使用人達が立っていた。
 これまでこの部屋に閉じ込められてから、こんな事一度もなかった。小春も今の状況が飲み込めない。そんな小春などお構いなしに先頭の使用人が声をかけた。

「小春様、急いでくださいませ」
「え?」
「こちらの着物にお召し替えしましょう」
「え、この着物は」

使用人が見せたのは、小春が以前着ていた着物だった。

「ささ。急いでくださいませ」
「ちょ、ちょっとどういうこと?私はお父様から出るなと言われて」
「事情が変わったのです」
「え?事情?」
「アスター伯爵様が小春様をお呼びなのです」

小春は目を丸くした。何が起こっているのか全く分からない。
 けれど使用人達はそんな小春に構う事なく手早く着替えさせていく。同時進行で髪も綺麗に結い上げられ、化粧も施されていく。

ーーアスター伯爵様って、さっき廊下ですれ違った方よね。

何か粗相でもしてしまったのだろうか、と一気に不安が押し寄せてきた。しかしそんな小春の気持ちなんて知らない使用人達は手早く着付けし終えて、部屋から押し出した。

「急いでください!」
「は、はい!」

そうして急かされてあっという間に応接室の襖の前にやってきた。使用人達は小春を応接室まで送るとすっと下がって行った。
 一人残された小春は、部屋の前で深呼吸をした。

ーーええい、女は度胸よ!

そう思って拳に力を入れた。

「失礼します」

作法を忘れず、ゆっくりと丁寧な所作を心がけて襖を開けた。
 その瞬間、伯爵と目が合った。
 廊下で目が合った時と同じように全身の血が騒ぐ感覚になった。ぞわぞわとした落ち着かない感覚なのに、嫌な感じはしない。
 愛しくて、でも何も出来なくてもどかしくて、鼓動がどんどん速くなっていく。
 どうやらそれはロイも同じだったようで驚いたような表情を一瞬見せた。
 しかしさすが伯爵。すぐに表情を取り繕った。

「初めまして。ロイ=アスターです」
「椎原小春でございます」

ロイは小春に手を差し出した。小春は引き寄せられるようにロイの手を握った。握手するとじんわりあたたかさを感じた。
 そのあたたかさが心地よい。

「やはり」

ロイはポツリとそう呟いた。

ーーえ?

ロイの呟きで小春は現実に引き戻された。どういう意味なのだろうと口を開きかけたその時、辰彦が険しい表情で声をかけた。

「小春、そこに座りなさい」

二人の雰囲気が気に入らなかったらしい。余計な事をするな、と辰彦の目が雄弁に語っていた。それだけでなく椎原家全員が、小春に厳しい目を向けている。
 小春は慌てて秋穂の隣に座った。しかしこの中で一番秋穂の睨みが鋭く恨みがこもっていて、居心地が悪い事この上なかった。

「改めて、私は日本政府の依頼でイギリスから来ましたロイ=アスターと言います。イギリスでは伯爵位を賜っています。これから度々お世話になると思いますが、よろしくお願いします」

ロイが笑顔で自己紹介すると椎原家一同大きな拍手を送った。
 しかしロイの興味はすぐに小春に移った。

「貴方の自己紹介がまだでしたね」
「し、失礼しました。椎原小春と申します」
「小春様、よろしくお願いします。それで小春様はどんな術が使えるのですか?」
「えっとあやかしを使役する術を得意としています」
「それは素晴らしい」
「いえ。椎原家代々の術なので」
「小春様はおいくつですか?」
「えっと十六です」
「私と三つ違いですか。お若いですね」
「そんなことはないです」
「いえいえ。十六で術が使えるのは素晴らしい才能ですよ」

これまでの椎原家の人間への対応の違いに、部屋の中は少しざわついた。しかしロイを止めることも出来ず、皆が戸惑ったように顔を見合わせている。
 そんな中、秋穂が大きな声で話しかけた。

「あ、あの!アスター伯爵様」
「……何かな」

しかし返ってきた態度は天使のような笑顔からは想像もつかないほど冷ややかなものだった。
 それにも秋穂は怯まず、声をかけ続けた。

「私も術が使えるのです」
「はあ、そうですか」
「アスター伯爵様はどのような術が使えますの?」
「守秘義務ですのでお答えできません」
「……失礼しました」

秋穂は顔を真っ赤にした。素っ気なくあしらわれた事が余程恥ずかしかったようである。
 しかしそんな秋穂に目もくれず、ロイはなおも小春に話しかけ続けた。

「小春様、休日は何を?」
「えっと、部屋でゆっくり過ごしています」
「そうでしたか。私と同じですね」

そんな他愛のない話でロイと小春は二人だけで盛り上がっていく。そんな二人を見て、秋穂は苛立ちを募らせていっていた。
 しかし秋穂が何か言おうとしても伯爵が鋭く睨みつけ黙らせてしまうので、何も言えない。
 そんな時間がしばらく続いた後、ロイはようやく本題に入った。

「ところで椎原家の皆さんは現在の日本がどのような状況かご存知ですか?」
「申し訳ございません。このような田舎には西洋あやかしが流入してきた、ということくらいしか」

辰彦が困ったように答えた。

「おっしゃる通り最近日本国は外国との交流を持つようになりました。その影響で我が国の妖精……この国でいう西洋あやかしも日本に入ってきている状況です」

小春はさっきまで一緒にいたあやかしのことをふと思い出した。

「あの」
「どうされましたか?小春様」

小春が口を出してきたことに辰彦は黙らせようと口を開いたが、それよりも先にロイが答えてしまった。辰彦は口惜しそうに小春を睨みつけた。
 しかし小春はそんな辰彦の視線に気付かないふりをした。

「西洋あやかしとは透明な羽の生えた人型のあやかしでしょうか?」
「よくご存知で。それは無害な妖精です。日本でいう力の弱い草木の神様、のような存在です」

小春が知っていたことに辰彦は目を剥いた。

「何故、知っている?」
「……その、たまに見かけたことがありましたので」

むしろ今も小春の部屋にいるかもしれない、なんて事は言えなかった。それを聞いた辰彦の表情が一瞬にして強張った。それは辰彦だけでなく千代も同じだった。それはまるで腫れ物、いや化け物を見るかのような目だった。

「小春様の会った西洋あやかしは無害ですよ」
「そうですか」

それを聞いて両親も少し落ち着いたようだが、小春に向けられる視線はまだ厳しかった。

「ですが、凶悪な西洋あやかしも日本に入ってきています」

これには椎原家全員がざわついた。「まさか」「どうしたら」と顔を見合わせ、皆動揺が隠せていない。辰彦は声を震わせて尋ねた。

「それは……まことですか?」
「はい事実です。我が国でもかなりの民衆が殺されるような力の強い西洋あやかしです」

ロイは整った金色の眉を下げて困ったように笑った。

「そこで天皇陛下からも許可をいただき、あやかしの専門家である陰陽師の皆様にも協力をお願いしているのです。当然椎原家の皆様にも協力をお願いしたく、本日訪問させていただきました」

ロイは丁寧な言い方をしていたが、その表情はとても迫力があり、椎原家の人間は反論できず動揺していた。

「それは勿論出来ることはしたいのですが、日本のあやかしと西洋あやかしは違う生き物ですし、どこまでお力になれるかどうか……」

辰彦も何とか断ろうとしているらしい。確かに椎原家は平安時代から続く由緒ある陰陽師の一族だが、年々陰陽師としての力は衰えていた。妖怪を使役する能力を持つ椎原家だが、当主である辰彦でさえ手のひらくらいの大きさの小鬼を使役するので精一杯だった。当然、他の椎原家の人間も似たり寄ったりの実力しかない。そんな状況で西洋あやかしを相手にするなんて、とても考えられない。
 しかも今は悪鬼の対応で精一杯の状況なのだ。
 ロイもそれを感じ取ったらしい。
 少し困ったような表情をした。

「そうですか」

ロイの諦めてくれそうな雰囲気に辰彦は「では」と口を開いた。
 が、その続きはロイの言葉にかき消された。

「では小春様を私の妻に迎えるというのはいかがでしょうか」