妖怪姫は悪魔伯爵に食べられたい

バシンっ!と痛々しい音が響いた。その後聞こえてきたのは、大きな怒声だった。

「なんと馬鹿な事をしてくれたんだ!」

悪鬼が去った後、椎原家には少し落ち着きが戻ってきた。しかし事件の渦中にいた小春は辰彦の部屋に呼び出され、事情を聞かれた。
 いや、小春の話なんて辰彦は聞いてはいなかった。怒りで我を忘れ顔を真っ赤にしている。
 そんな辰彦のそばには、さめざめと泣く秋穂がいた。

「秋穂から事情は聞いた。全く。自分の力を奢って鬼の封印を解くなどと!それでも椎原家の人間か!」

小春は頭が真っ白になった。

ーーどういうこと?秋穂は何を話したの?

今回の事件は小春のせいで封印が解かれたとは言え、秋穂にも原因がある。それを一方的に責められては小春も納得いかない。

「あの、お父様。秋穂から事情を聞いたとは、何を聞いたのですか?」
「お前が自分の力試しのために封印した祠に向かったという話だ!そこで鬼の封印を解いたせいで、あの悪鬼が襲ってきたのだろう!」
「ち、違います!」

小春は必死に首を横に振った。しかし辰彦は聞く耳を持たなかった。

「黙れ!」

いつも「小春は椎原家の誇りだ」と褒めてくれる辰彦から聞いた事もない怒声が飛んできて、小春は声が出なくなった。

「お前のせいではないと言うなら、何故悪鬼はお前を追いかけてきたんだ!」
「そ、それは……」

確かに悪鬼は小春を狙って追いかけてきた。小春の血を求めていたことは小春にも分かる。しかしそもそも小春は祠の封印の中に入れなかった。
 秋穂が押し倒した拍子に封印の中に入ったのだ。
 小春は秋穂の方を見た。
 秋穂は小春と目が合うと、きゅっと結んでいた口を開いた。

「あの!御当主様!」
「何だ。秋穂」

秋穂は小春の方をチラリと見た。そんな秋穂に小春は悪寒がした。

ーー何を、言うつもりなの?

小春の鼓動は次第に早くなっていく。小春も何か言わねばどんどん立場が悪くなる。
 けれど先程の辰彦の怒号を思い出すと上手く言葉が出てこなかった。

「その……悪鬼は小春様の血が特別だと言っていました」
「小春の血が特別?」
「悪鬼が去る前、小春様にお前の血は特別だと言っていたのが聞こえたのです」
「なるほど。小春の血があやかしを呼び寄せているのか……」

辰彦は小春の怪我した腕を力強く引っ張った。そして流れる血を見て、忌々しそうに眉を顰めた。

「封印しなくては」

小春は何を言われたのか分からなかった。

「え?お、お父様?」

悪鬼を封印すると言う事だろうか。しかしあんな強大な力を持った悪鬼だ。辰彦もただでは済まないだろう。そう思うと小春は恐ろしくなった。
 しかし、それは違った。
 辰彦は小春を睨みつけた。
 辰彦の視線はまるであやかしと対峙した時のような冷たいものだった。

「お前を封印する」

何を言われたか理解できなかった。
 しかし小春が理解するよりも早く辰彦は小春の腕を引っ張って使用人に突き出した。

「小春を部屋に閉じ込めろ。そしてその部屋に結界を張るんだ。勿論この屋敷の結界も強化する!千代を呼べ!千代に一番強力な結界を張るよう伝えるんだ!」
「いや!やめて!お父様!」
「うるさいっ!」

聞き慣れない辰彦の怒号に体が震える。辰彦は見たこともないような嫌悪たっぷりの表情で小春を睨んでいた。

「お前のせいで人が一人大怪我しているんだぞ!?お前のような厄病神を放っておけるか!」

小春は否定できなかった。
 けれど、冷たい辰彦の視線と秋穂の裏切りに小春の頭はもう追い付いていなかった。言葉も出ず、ただ引っ張られるまま屋敷の片隅の薄暗い部屋に連れて行かれた。

 その日から二年間、小春は閉じ込められ続けた。
 ただ食事の時間だけは家族でとることになっていた。表向きは小春は悪鬼の襲来で塞ぎ込んでいる、という事になっているらしい。小春が原因だと周囲や町人に知られないため小春を適度に外に出すことになったのだ。

ーー茶番だわ。

使用人達もほとんどが小春の事情に気付いている。小春の血が原因だとは知らなくても、小春が悪鬼に狙われている事くらい、あの事件を知る者ならば分かってしまう。当然人の口に戸は建てられず、自然と屋敷の中では知らない者の方がいない状況になっていた。
 だから小春があやかしと話していると使用人達から恐れられるし、小春が部屋の外に出ると誰も近寄らない。
 小春はぎゅっと拳を握りしめて前を向いた。

「夕食に行かなくちゃ」
「エー!小春行ッチャウノ?」
「うん。これだけは絶対行かなくちゃ。遅れる訳にもいかないし」

そう言って小春は鏡の前で、着物が着崩れていないか確認したり髪をといたりした。その様子を見て一匹、また一匹とあやかし達が「バイバイ」「マタネ」と言って消えていった。
 静かになった部屋に微笑みかけて、小春は歩き出した。
 当然、廊下には誰もいない。
 いつもなら掃除や仕事で慌ただしく多くの使用人が行き交うはずなのに、誰もが小春を避けていた。
 それに慣れた小春はもう何も思わなくなっていた。ただいつも通り静かな廊下を歩いて、いつも通り食卓の戸を開ける。

「失礼します」

いつも通り誰からの返事もない。
 小春は一礼して、ゆっくりと末席に座った。小春より先に食事を始めていた両親と秋穂は目の前に出された豪華な食事をほとんど食べ終わっている。
 これもいつも通りだ。
 小春と一緒に食べると言っておきながら、彼らは少しでも小春といる時間を少なくするために時間をずらしているのだ。早めに食べてしまえば「お先に」と言って席を立てる。
 だから小春は結局いつも一人で食べていた。

「秋穂、今日の修行はどうでした?」
「はい奥様。順調です。今日は狐のあやかしを使役できるようになったんです。先生からも褒めていただきましたわ」
「まあ!優秀なのね。その調子で励んでちょうだい」
「勿論です!」
「ああ秋穂。今度陰陽師の家系の集会がある。ぜひ秋穂にも参加してもらいたい」
「まあ!楽しみですわ!」
「貴方、そろそろ秋穂の婿も探しませんと」
「分かっている。今度の集会で見つけたいと考えているんだ」

小春を除け者にして三人の会話は弾んでいく。食事のデザートを楽しみながら話に花を咲かせる三人は本当の家族のようだ。
 小春の前には食事さえまだ出てきていない。

ーー私はこの中では空気と同じね。

わかりきっていたことだ。
 だが毎日のことながら心は傷つく。小春は三人を見ないよう俯いて過ごした。そうしていると使用人からようやく料理が運ばれてきた。
 しかし出された料理は三人と比べるとあまりにも質素だった。白米と味噌汁と冷奴。当然デザートもない。こんな食事もいつもの事だ。そう思って味噌汁のお椀を手に取り、口を近付けると酸っぱい匂いがした。

ーー傷んでる匂いがする……?

小春は両親を見たが、二人は小春の方を見向きもしない。当然、小春付きの使用人などいないので、食事が腐っている事を誰にも言えず、小春は小さくため息をついた。
 同じ空間にいるというのに、温かい家族の輪に小春は入ることはできない。それどころか屋敷の誰にも認められていない。

ーーこの食事で食中毒でもおこして死ねばいいと思われていそうだわ。

あんな事件があったのだから疎まれる事は仕方ないと思う。けれどそれも時間が経てばきっと元に戻ってくれる、と思う。

ーーでも。もし、もう元に戻れないとしたら……。

小春はそんな考えはやめようと目を伏せた。そしてゆっくり立ち上がった。
 その時、ようやく千代から睨まれた。

「気分が優れませんので食欲もないのです。私はこれで失礼します」
「そうか」
「まあ。小春様お大事になさって」

素っ気ない辰彦に、睨むだけの千代、そして心配するフリをする秋穂。

ーーもう、限界かもしれない。

小春は一礼してすぐに食卓を後にした。
 そんな小春の背中が見えなくなると、千代は大きくため息をついた。

「全くあの子ときたら」
「そう言うな。反省しているのだろう」
「けど今日も部屋にあやかしを呼んでいたんですよ?本当厄介なこと」
「私、町の人から小春様は妖怪姫だって噂されるのを聞いてしまいましたわ」
「まあ!穢らわしい!妖怪姫なんて!」

あやかしと関わりがあったと知った辰彦は頭を抱えた。しかも妙な渾名まであるなんて。
 辰彦は眉間に皺を寄せて小春の今後について考え始めた。
 すると家令から声を掛けられた。

「旦那様。食事中すみません。天皇陛下から至急の手紙が届きました」

その言葉で食卓に緊張した空気が走った。
 辰彦が家令から手紙を受け取り、内容を確認すると、眉間にぎゅっと皺を寄せた。

「何と面倒な」

そして忌々しそうな顔を歪めた。

「そんなに大変な要件でしたの?」
「西洋からのあやかしが流入してきているという話だ。西洋との貿易が始まってからその西洋あやかしも問題を起こしているという噂は聞いていたが。この時期に問題が増えるのは頭が痛い」

封印されていた悪鬼が解き放たれただけでも難題だというのに、次から次へと問題は起こるものだ。

「しかもイギリス王家から指令を受けロイ・アスター伯爵が来日しているらしい。そのアスター伯爵が陰陽師の一族を訪問して回っていて、椎原家にも近々やって来るらしい」
「この時期にですか!?」
「ああ」
「それでは天皇陛下に悪鬼のことが知られてしまいますわ!」
「分かってる!!」

悪鬼の封印が解けて二年。何度も封印しようと試みたが失敗してきた。悪鬼の封印を守る事が椎原家の仕事だ。それを全うできなかったと知られれば椎原家の今の地位が危うくなる。辰彦は政府に報告する事も出来ず隠し続けてきた。町の中だけなら何とか隠し通せる、と思っていた。
 だと言うのに、そこに政府の使者がやってくる。
 辰彦は奥歯を噛み締めた。

「あの厄病神め」

そしてその矛先は小春へと向いた。