契約花嫁は半吸血鬼伯爵に溺愛される。

 早いもので、あの披露宴からすでに数日経っていた。さすがの小春も力を使いすぎた事もあり、昨日まで寝込んでいた。
 そしてようやく起き上がって歩けるようになった頃、小春はロイの執務室を訪ねていた。小春の姿を見たロイは少し驚いたが、すぐに小春を席に案内し座るよう促した。ロイは始終小春を心配して狼狽えていた。何枚も膝掛けを用意して小春を雪だるまのように包み込んでいた。
 もう大丈夫なのに、と苦笑した小春だったが、そんなロイの優しさがとても嬉しかった。

「小春、体調はどうだ?」
「はい。だいぶ良くなりました」

あの時、ロイがそばにいてくれなかったらきっと小春は壊れていたに違いない。
 ロイと出会って、ロイに支えてもらって、今の小春がいるのだ。

「ロイ様のおかげです」
「そそそ、そうか」

小春がロイに笑いかけると、ロイは顔を真っ赤にして不自然にカタコト喋りになった。まともに小春の顔を見る事もできず、緊張して手汗もひどいことになっている。
 そんなロイの姿を小春は首を傾げて見ていた。

ーーどこか具合でも悪いのかな。

小春はそんな心配をしていた。ロイは小春の血のおかげかすぐに仕事が出来るようになったと聞いていた。しかし、リカルドとの戦いはかなりの激戦だった。もしかしたら無理しているだけかもしれない。そう思うと小春は心配でたまらなかった。

 と、そんな二人の様子を見ていた人達は呆れたように呟いた。

「何あれ?」

二人のやり取りを静かに部屋で見守っていたジェームズの隣に、げんなりした表情のテオバルトが立っていた。いつの間に、と思うが、いつものことなのでジェームズは笑顔を作っていつも通り対応した。

「ああ、テオバルト様。お出迎えできずすみません」
「いやいや。それより何あれ?」

見た事もないロイの姿に、テオバルトも動揺を隠せない。悪魔と呼ばれ、どんな女性から言い寄られようとも素っ気ない態度を貫いてきたあのロイが。
 一人の女性の笑顔に翻弄されているではないか。大切にしようとして、から回っている様子が何とも滑稽だ。
 長年ロイに仕えてきたジェームズも驚いていた。幼い頃から見てきた主人の、あまりの変貌ぶりに何と言って良いのか分からない。ただ見たままをテオバルトに告げるしか出来なかった。

「小春様大好きなロイ様です」

それは見れば分かる、と言いかけて、テオバルトは再びロイと小春へ視線を移した。

「ロイってあんな感じだったっけ?」

百戦錬磨の麗しの伯爵みたいな見た目して本命には初心とか知らなかった。確かに浮いた話なんて聞いた事もなかったし、そんな暇がなかった事もわかっている。それでもあんなに奥手な態度を取れるものなのだろうか。

「おもしろ」
「揶揄わないであげてください。あれでも初恋なんですから」
「え?そうなの?」
「十歳で両親を亡くしてから修行と伯爵業務で必死な毎日でしたから。十九年目の初恋です。しかも相手があやかしに好かれる特異な血であり、ロイ様の『運命の血』でもあるんです」

確かにそれだけのスペックを持つ相手なら心配にもなるだろう。だが、だからと言って照れて挙動不審になるのはどうかと思う。
 自分が女性だったらあんな男に言い寄られるのは嫌だ。

「えー……と。あんな態度じゃ小春殿が離れていくんじゃないか?」

テオバルトは何とかあの気持ち悪い態度を改めさせようとジェームズに提案した。しかしジェームズは首を横に振った。

「ロイ様はすでに手を打っておられます」
「え……ああ。だから椎原家は」

テオバルトはあの披露宴の後の情報を届けにアスター伯爵邸を訪ねていた。
 今回の吸血鬼事件は、椎原家に責任があると判断された。当主の妻・千代と次期当主候補・秋穂が吸血鬼と深く関わっていたのだから当然だろう。
 当主・辰彦は全ての責任を負って投獄。
 椎原家は取り潰しが決定した。
 残された分家の陰陽師達は力も弱かったため、アスター伯爵の下で下働きすることになった。勿論反対した者もいた。「自分達は由緒ある陰陽師だ。下働きなどできない」と。しかし反対した者は家も金も地位もない状況で放り出され、自分の力で仕事を探す事になる。その事実を突き付けた時、反対していた者は皆顔を真っ青にして、下働きを受け入れたらしい。
 あの豪華な椎原邸も取り壊されることになった。もうあの町に悪鬼はいないため陰陽師の常駐は不要と判断されたのだ。突出したこともない小さな町なので大きな屋敷の買い取り手がいるわけでもなく、すんなりと取り壊しが決まった。
 こうして小春の忌まわしい過去と共に、椎原家は幕を閉じた。
 あの町に住む魑魅魍魎については定期的に陰陽師を派遣する事で様子を見ることになった。常駐の陰陽師はいないのに町にはまだ魑魅魍魎が跋扈する状況が変わらないとなると、町民はしだいに平穏な町へと移住していくことにだろう。
 あの小さな町も、おそらく長くはない。
 披露宴の後、ロイは大急ぎで後始末をした。このまま椎原家を野放しにしておけない。小春を手に入れるためにも、椎原家より早く動く必要があった。もし椎原家が契約が終わったからと小春を取り戻したら、小春は再び椎原家に縛られることになる。
 ロイはそれを何としても阻止したかった。ジェームズはあの時のロイの手際の良さには感服したものだ。

「それと、天皇陛下からの書状を持ってきた」

ジェームズがテオバルトから書状を受け取ると、ため息をつきつつ、ロイへと近寄って行った。
 ジェームズに声をかけられたロイはあからさまに不機嫌になった。小春はというと今まで見られていたのが恥ずかしかったらしく、顔を真っ赤にしていた。そして二人はようやくテオバルトの存在に気がついてくれた。
 小春は慌てて立ち上がり、笑顔を作った。その顔はまだほんのりと赤い。

「エッシャーマン男爵様、お久しぶりです」

そんな小春とは対照的にロイは嫌そうな顔をしていた。「さっさと帰れ」と雄弁に語る視線がおもしろおかしくて仕方ない。
 それならば、とテオバルトはあえて小春と世間話を始めた。

「披露宴でのご活躍聞きましたよ。鬼に妖狐、そして女郎蜘蛛まで呼び出したとか。なかなかそこまで出来る陰陽師はいないと、陰陽庁では大変評判を呼んでいます」
「そんな」

あの時は必死だったので、自分でもどうしてあんなに呼べたのか分からない。

「でも力不足で倒れてしまいました。私もまだまだです」
「そんなことありませんよ。自信を持ってください」

テオバルトの言葉が嬉しくて、小春は照れた。その笑顔はこのアスター伯爵邸に来たばかりの頃からは考えられないほど晴れ晴れとしていた。

「それで天皇陛下がぜひ祝勝会を開きたいと仰ったそうだよ」
「祝勝会だと?」

ロイも初耳だったらしい。少し驚いた様子だった。テオバルトは肩をすくめた。

「イギリスと日本の今後の協力関係を強固なものにしたいんだろう」
「まあ……確かに今回で終わりとは限らないからな」

吸血鬼事件は解決した。しかし今後イギリスと日本が交流を深めていくならば、必ずまたこのような事件は起こる。そもそもイギリスでは吸血鬼が蔓延っていて、一匹だけが来ているとも限らないのだ。

「ロイはどうするんだ、これから」

小春はドキッとした。
 それは小春も知りたかった。今回の吸血鬼事件は解決した。ならばロイはイギリスに帰ってしまうのではないだろうか、と不安だった。
 そうしたら小春はどうなるのか。
 そばにいられるならば、イギリスについて行きたい。小春はじっとロイの答えを待った。

「俺は、残るつもりだ」

そう言って執務机の上に置かれていた手紙をテオバルトに渡した。

「女王陛下からも今回のような事件が起きないようしばらく日本に滞在してほしいと言われてな。新しく担当が派遣されてくるまで、俺は日本で待機することになった。アスター伯爵領は叔父上に任せてあるから心配はしていないし」
「そうか」

テオバルトは予想通りだったようで、とくに驚いた様子はなかった。
 しかし小春は心の底から安堵した。

ーーまだ、ロイ様と一緒にいられるのね。

もしイギリスに行くと言われたら、何としてでもついて行くつもりだった。だがその必要はないようだ。

「テオバルトはどうするんだ?」
「俺は一度イギリスに帰るよ。一年も戻ってないからな。そろそろ親に顔を見せないと」

テオバルトはエッシャーマン男爵としてやる事があるらしい。少し解放感のある表情をしていた。

「一年仕事してたんだ。ちょっとゆっくりさせてもらうよ」

そう言ってテオバルトはアスター伯爵邸を後にした。
 テオバルトを見送った後、ロイは嫌そうに天皇からの書状を見つめた。

「祝勝会か……欠席したいな」
「何馬鹿なこと言ってるんですか!」

ロイの呟きに、ジェームズは過敏に反応した。さすがに一国の王が主催する宴を欠席するわけにはいかない。
 それでもロイには不満があるようで、口をへの字に曲げて文句を呟いた。

「小春を誰にも見せたくない」
「馬鹿な事言わないでください」
「小春の実力が知られた以上、小春を狙う野郎も出てくるんだぞ?」
「どうせロイ様が近付けさせないのでしょう」
「当然だ!!」
「なら何の問題もありませんね」
「問題しかない。そんな野郎は小春を見るだけで大罪だ」

ジェームズはもう何を言っても無駄だと深い深いため息をついた。しかしジェームズもここで折れるわけにはいかない。

「何を申しても駄目なものは駄目です。伯爵ともあろう方が我が儘言わないでください」

はっきりと言い切った。取りつく島もないジェームズに、ロイは口を閉ざした。
 そして隣にいた小春へと視線を移した。

「小春……小春も嫌だろう?」
「えっと」

急に話題を振られた小春は戸惑った。確かに天皇主催の宴を欠席なんて出来ない。だがロイの甘えるような視線に見つめられると、ついつい甘やかしたくなってしまう。
 小春は心の中で葛藤しつつ、ポツリと呟くように答えた。

「ド、ドレスは着てみたいです」
「よし。すぐに用意しよう。ドレスと和装のどちらも着よう。宴の途中で着替えよう」