契約花嫁は半吸血鬼伯爵に溺愛される。

 秋穂の最期を見送った小春は泣かなかった。
 秋穂の苦労は何となく伝わっていた。それでも秋穂が小春にした事は許せるものではなかった。けれどそんな秋穂でも、最期くらいはしっかりと見送ろうと思った。
 それが小春にしてあげられる唯一の事だと思ったから。

「うっ……」

そうして秋穂を見送り終わると、今度は千代が目を覚ましたらしい。
 小さな呻き声が聞こえて、ロイと小春は視線をそちらに移した。
 ゆっくりと目を開けた千代は、まだぼんやりとしていた。
 小春は千代が何故こんな事をしたのか、理解出来なかった。

「お母様……」
「母と呼ぶなっ!!」

小春の声に千代は怒鳴りつけた。さっきまで意識が朦朧としているとは思えないほど、憎しみのこもった怒鳴り声だった。
 小春は驚いて声も出なかった。
 千代はそれでも続けて小春を怒鳴りつけた。

「私はお前なんか産んでいないっ!」

小春の目の前は真っ暗になった。何故、という気持ちが頭の中いっぱいになっていく。

「お前のようなあやかしに好かれる穢れた血が、この私から生まれるはずがないのよ!」
「何を言う。陰陽師としての立派な素質を備えている証拠だろ」
「五月蝿いっ!」

ロイがそう諭すが、千代は認めようとしなかった。

「椎原家は、陰陽師は人間のために在るべき存在よ。あやかしなんか駆逐して仕舞えばいいのよ!」
「お、お母様!それは違います!椎原家は使役妖怪を使うんですよ!あやかしとの共存を望むからこそ力を合わせて問題を解決するんです!」
「私にそんな力はないわ!!」

千代は、椎原家の遠い分家の生まれだった。遠い血筋のため陰陽師としての力が弱い者が多い分家だった。そんな中で千代は陰陽師の術の中でも結界術に優れた才能を持って生まれた。その力が見込まれて椎原家本家の辰彦と結婚した。
 だがあやかしを使役する術を伝統としてきた本家は千代の力を見下していた。悪鬼の封印も千代がいたから保てている状況だったにも関わらず、千代を馬鹿にして見下していた。挙句辰彦が親戚から「何であれを嫁にしたのか」と言われているのも何度か見聞きした。
 そんな千代の最後の砦は、結界術だった。
 あやかしの力を借りずに、自らの力で切り抜けられる術こそ結界術ーーそう思うことで、自分を守ってきた。
 そんな千代が授かったのはあやかしに好かれる血を持つ小春だった。

「どうせ結界術しか使えない私を、お前も見下すんでしょう?」
「え」
「私に使役妖怪はいない。それでも陰陽師になれたの。だから陰陽師があやかしと共存する必要はない。むしろ人間だけの社会を作るべきだわ」
「そんな……っ!」
「それなのにお前が生まれた!」

千代は射殺さんばかりに小春を睨みつけた。

「お前の存在は私を否定する!」

千代の殺意は小春に真っ直ぐ向けられている。陰陽師としての千代の矜持を、小春が奪ったのだと叫び続ける千代に、小春は言葉を失った。

ーー私が生まれて来なければ、椎原家はこんなにも拗れなかったのかな。

そう思ってしまう。
 秋穂も千代も、小春がいなければもっと違う人生を歩んでいただろう。それを考えると、小春はだんだん自分の存在意義を見失っていくような感覚だった。

「他人のせいにするな!」

その時、ロイが怒鳴った。

「他人の意見に振り回されておきながら、他人に責任をなすりつけて、悲劇のヒロインにでもなったつもりか?笑わせるなっ!」

まさかロイに反論されるとは思っていなかったのだろう。千代も思わず黙ってしまった。
 千代も被害者なのだ。
 周りに振り回されて、自分の居場所をずっと探し続けてきたのだ。小春が居なくなったところで、千代の居場所が出来るわけではない。千代だってそれが分からない訳ではなかった。
 分家出身でありながら必死に頑張る秋穂の姿が、昔の自分そっくりだった。だから余計に小春ではなく秋穂に当主になってもらおうと考えてしまった。それが悪鬼を唆した理由だ。

「お母様……何故」

小春は泣き出しそうな顔で千代に尋ねた。

「何故、吸血鬼のしもべになったんですか。あやかしを憎んでいるのに。どうして」

千代は考えた。

ーーどうして、ですって?

リカルドと出会った時、小春を本気で殺そうと考えた。そのためなら手段を選ばない覚悟を決めていた。
 それほどまでに千代は追い詰められていた。
 きっと小春を追い出したあの日から、ずっとずっと追い詰められていたのだ。
 小春がロイへ嫁いだあの日。ようやく平穏が訪れると思っていた。けれど小春を追い出したところで自分の境遇が何一つ変わっていないと気がついた。小春が居なくなっても千代は椎原家では結局見下されていた。親戚の態度は変わらなかったし、辰彦から陰陽師として信用されることもなかった。魑魅魍魎が蔓延ったと知ってもなお、辰彦は千代を陰陽師として使わず、いつだって家の結界を守れとしか命じなかった。それがどれだけ千代の矜持を傷つけたか、きっと誰も知らないだろう。
 それならば全部無かった事にして仕舞えばいい。
 そう思ってしまった。

ーー何も変わらないのに。

今となってはそのくらい分かる。けれど、今更認めるのも癪だった。
 千代は次第に醜い姿になっていた。干からびた手の皺を眺め、思わず嘲笑する。

ーー醜い姿ね。

いつ死んでもおかしくないような老婆の姿の自分。これが吸血鬼のしもべになった代償なのだと悟った。
 千代は醜く儚い姿になろうとも、小春にだけはそんな弱い自分を見せたく無かった。

「どうして、ですって?」

どうか、最後の強がりを許してほしい。
 皺だらけの顔で千代は、不敵な笑みを浮かべた。

「教えるもんですか」

そうして千代は灰になって消えていった。

 残された小春は灰になった千代を呆然と見ていた。ただ体がみるみる冷え切っていく。

「小春」

ロイが優しく小春を抱きしめた。その温もりに、小春は少しずつ目の前の現実を受け入れ始めた。

「ロイ様」

今は甘えさせてほしい。そう思って小春は遠慮なくロイの胸に抱きついた。涙を止めたいのに、なかなか止まらない。
 そんな小春をロイはただただ優しく包むように抱きしめてくれた。

「私が付いている」

その言葉が今は何よりも嬉しい。

「ありがとうございます」

小春はロイの背中に腕を回して抱きついた。

「私の居場所は、ロイ様のそばですから」
「ああ。絶対に離すものか」

小春の言葉に、ロイは抱きしめる力を強くした。

「小春が嫌と言っても離してやれそうにない」
「ロイ様」

どうすればよかったのだろう、と考える。きっと秋穂のことも、千代のことも、小春にはどうする事も出来なかった。自分の居場所は自分で見つけるしかないのだ。
 だからこそ小春はこの居場所を失いたくないと心から思った。

ーー今だけ。今だけ胸を貸してください。

明日からもう泣かないから。前を向いて頑張るから。
 どうか今だけは。
 小春は、心の中でそっと秋穂と母親を弔ったのだった。