契約花嫁は半吸血鬼伯爵に溺愛される。

リカルドの姿が完全になくなった時、小春は恐る恐る灰に近付いた。

「吸血鬼は最期は灰になってしまうんですか?」
「ああ、そうだ。吸血鬼が死ぬと灰になる」

ロイの表情は少し苦しそうだった。半吸血鬼のロイも最期は灰になってしまうのか、と小春は胸が苦しくなる。
 けれど。
 小春は顔を上げた。

「ロイ様、あの」

しかしその後の言葉が続かない。ロイは言い淀む小春を困ったように見て、頭を優しく撫でた。

「小春が気にすることはない。とにかく終わったんだ」

小春はもう一度灰を見た。

ーーそうだ、終わったんだ。

さっきまでの激闘が嘘の様に静かになった部屋で、小春はじわじわと勝ったんだ、と実感していった。

「小春」

ロイは小春を強く抱きしめた。
 あまりに突然のことで、小春はみるみる顔を赤くした。内心かなり慌てていたが、抵抗する気力なんて残っていない。小春はロイのなすがまま抱きしめられていた。

「ロ、ロイ様!?」
「もう絶対離さない。誰にも渡さない」

今までのロイからは考えられないような甘い言葉に小春は気を失いそうになった。
 披露宴が始まるまでギクシャクしていて、元に戻りたいとは思っていたが。元通りどころか、ロイの態度は恋人のように甘く優しくなっていた。
 あまりの変化に小春は口をぱくぱくさせるばかりで言葉が出てこない。

ーー何でこんなに甘いの!?

そう言えばリカルドが『運命の血』と言っていた。小春は気を落ち着かせて、ロイに問いかけた。

「あ、あの……」

ロイは小春を愛おしそうに見つめながら「何かな」と甘い声で問いかけた。

「『運命の血』とは、何ですか?」

ロイは「ああ」と言った。

「『運命の血』とは、吸血鬼にとって唯一無二の存在のことだ。『運命の血』と出会えた吸血鬼は、その血を飲めば強大な力を手に入れる事ができると言われている」
「でもロイ様、私は血を飲まれてませんけど」

あの時のことを思い出すが、小春は別に怪我していたわけではない。
 何故だろうと首を傾げる小春の頬を、ロイが優しく包んだ。

「小春の涙だ」
「涙ですか?」
「涙には血と同じ成分が含まれていると言うからな。おそらく小春の涙の力だろう」

言われてみるとあの時、小春はポロポロ涙をこぼしていた。その後くらいからロイは傷が癒えたり、素早さが増したりと、驚異的な力を発揮していた。

ーー私の涙が、ロイ様を救ったの?

そう思うとじんわり胸が熱くなる。嬉しさと戸惑いと、心の中が整理つかない。
 照れて慌てる小春を見て、ロイはぎゅっと力強く抱きしめた。

「ずっと……不思議だった。何で小春を前にすると落ち着かないんだろうって。でもようやく分かった」

ロイは小春を抱きしめたまま動かない。ロイのぬくもりを感じ、小春はどんどん鼓動が速くなる。

「小春、この前はすまなかった。忙しかったとは言え、俺は小春に酷い事をした」
「そんな……私も無神経なことを言ってしまいましたから」

ようやく謝れた、と小春は微笑みをこぼした。そんな小春にロイは心臓を鷲掴みされるような衝撃を受けた。

「小春、俺は」
「ごほん。ロイ様」

と、その時。
 扉の前にジェームズが立っていた。
 一瞬、何が起こっているのか分からず、小春はぽかんと口を開けてジェームズを見た。そしてみるみる顔が赤くなっていった。

「ジジジェッ、ジェームズ様!?」

小春は慌ててロイから離れようとしたが、ロイが許さなかった。力強く抱きしめられていて、小春は動けなかった。
 ロイは気まずそうな表情をしていたジェームズを、恨みがましく睨みつけた。

「何だジェームズ。いいところなんだ」
「まずは後始末が先です」

そう言われて部屋を見渡すと、確かに、と納得した。
 部屋の中には秋穂と母親がまだ気を失ってい倒れている。部屋の家具も散乱して壊れており、人に見られるわけにはいかない状況だった。ロイにも早々に片付けた方がいいことくらい、すぐ分かった。だが小春を手放し難く、小さく呻いている。
 しかしジェームズに睨まれてしまい、渋々小春から手を離した。

「仕方ない」

そう言ってジェームズと二人で秋穂と母親を縄で縛っていく。後から駆けつけたテオは、引き連れてきた使用人達に指示を出し、壊れた家具を片付けていく。
 そうして粗方部屋が片付いた頃、秋穂が目を覚ました。

「うっ……」

まだぼやける視界で秋穂は部屋の中を見渡した。そして部屋の中にリカルドの姿が見えないと、途端に暴れ出した。

「リカルド様!?リカルド様は!?」

狂ったように髪を振り乱し、近くにいた人たちを見境なく睨みつけている。そして「リカルド様」と叫び続けている。必死にリカルドを探す姿は、親においていかれた子どものような寂しさを感じた。
 そんな秋穂にロイが近寄った。

「半端者め!リカルド様はどこだ!」

ロイは何も言わずに灰を指差した。秋穂は小さな山となっている灰を見て、目を丸くした。

「え」

信じられない、と言いたげに、唇を震わせている。

「う、嘘」
「天皇陛下からいただいた破魔剣で葬った」
「お前が!」

秋穂はロイを睨みつけて襲い掛かろうとした。しかし縄できつく縛られているので動けない。それが歯痒くてふうふうと鼻息荒くロイを威嚇していた。

「お前がリカルド様をあんな姿にしたのか!!」
「その通りだ」
「おのれ!」

ロイは淡々と答えていく。その度に秋穂は怒りを募らせていった。
 そんなロイの後ろに小春の姿をみつけた秋穂は、今度は小春を睨みつけた。

「小春ぅっ!」

ロイが小春を庇うように秋穂と小春の間に立った。しかし、秋穂は止まらなかった。

「お前がいるから!お前がいるから私は幸せになれないっ!美貌も地位も実力も!お前がいるから私の居場所は無くなるんだ!!」

きっとこれが秋穂の本音なのだろうと小春は思った。
 本家の小春は将来を期待されていた。そんな小春と比べられて育った分家の秋穂。陰陽師としての力を見込まれたはずなのに、小春ほどの実力はなかった。きっとあの椎原家のことだ。小春の知らないところで秋穂は何度も辛い思いをしてきたことだろう。
 その積み重なった嫉妬心から悪鬼を仕向け、小春を貶め、小春の立場を奪った。
 そこまでなら、まだ良かったのだろう。

「だからって陰陽師としての矜持まで忘れたの?」

小春の問いかけに、秋穂は答えられなかった。秋穂が陰陽師としてあの町で頑張ってくれるなら、それで良かった。けれど魑魅魍魎が跋扈し、人々が怯える日々を送るあの町は、陰陽師としてとても見過ごせる状況ではなかった。
 それは秋穂も分かっていた。
 俯いて悔しそうに奥歯を噛み締めている。

「陰陽師は人間とあやかしの仲介役。それなのに悪鬼の封印を解く手伝いをして町民の不安を煽り、吸血鬼を匿い、ついには死者まで出した」

挙句、吸血鬼に惚れ込んで、また事件を起こした。小春やロイが食い止めたからいいものの、もしもこの都心で吸血鬼が好き勝手していたら、被害はさらに酷いものになっていただろう。

「くっ」

秋穂だって最初はそんなつもり無かった。欲しかった地位を手に入れて、町の人の期待に応えようと思っていた。
 けれど小春から奪った地位には、小春の影が付き纏った。
 小春を追い出したと言うのに、小春には劣るが仕方ないと思われている事は、秋穂にも伝わっていた。だから小春の先生である笠木から学べば近づけると思ったのに、笠木は椎原家を離れた。
 結局秋穂が奪った地位は、秋穂の居場所では無かった。
 リカルドが秋穂を利用しているだけだと言う事も、本当は気付いていた。秋穂を置いて逃げられた日に結局リカルドも小春が目当てで秋穂のことは捨て駒にしか過ぎないと理解した。
 それでもリカルドを匿ってから、当然椎原家にもあの町にも居場所はなくなった。リカルドのそばにしか居場所がなかった。だから千代が隙を見て秋穂を椎原家から連れ出してくれた時、迷わずその手を取った。
 だと言うのに、今はそのリカルドさえも失った。
 その時、秋穂の手がサラサラと崩れ始めた。

「え、え!?」

水分を失って皺だらけになり干からびていく体に、秋穂は戸惑った。そうして全ての水分を失った箇所から灰となって崩れていく。

「吸血鬼のしもべになった人間は吸血鬼と同じ運命を辿る」

ロイは冷静にそう告げた。
 だが秋穂は驚かなかった。
 これが自分が受けた罰なのだ、と静かに項垂れた。涙を流したくても、もうその水分さえ干からびて流れてこない。

「あの世で自分の行いを悔いろ」

ロイの残酷な言葉に、秋穂は返事をする気力も残っていなかった。

ーー私は間違ってない。居場所が欲しかっただけ。愛してくれる人が欲しかっただけなのよ。

そう言いたくても、もう誰の耳にも届かない。ただ一人寂しく朽ち果てるのを待つだけ。
 どうして、と秋穂は思った。
 この世に生を受け、当たり前のように親に愛されて友人と仲良くして、そうして好きな人と結ばれて新しい命を授かる。そんな当たり前の人生を思い描いていたはずなのに。

ーー私は、そんな当たり前のことも望んじゃいけなかったの?

秋穂の人生はそんな当たり前とは程遠い道を辿ってしまった。椎原家に生まれたゆえなのか。
 しがらみに囚われて、嫉妬して、奪って奪われて。でも、誰かを陥れて奪った居場所はとても脆かった。そんな脆いものに執着していた自分が馬鹿らしく思えた。

ーー私、なんて醜いの……。

最後の力を振り絞って顔を上げると、堂々とした小春の顔が見えた。変わり果てた秋穂の最期をしっかりと見届けてくれている。

「小春様」

パサパサになった唇を動かして、小春の名前を呼んだ。

ーー嗚呼、私。謝りたい。

秋穂はそう思った。けれど、結局「ごめんなさい」とは言えなかった。
 ただただ後悔の言葉だけが溢れ出そうになる。
 そうして泣きそうな笑顔で小春に問いかけた。

「私はどこで間違えてしまったのでしょうね」

けれどその答えは聞けないまま、秋穂は灰になって消えた。