契約花嫁は半吸血鬼伯爵に溺愛される。

「では小春、行こうか」
「はい」

差し出された手を取り、小春はロイの腕に手を置く。見た目は細くスラリとした体型をしているロイだが、触れてみると逞しい。しなやかで鍛えられた筋肉質の腕に、小春はついドキドキしてしまった。

ーー今は作戦に集中しなくちゃ。

浮ついた気持ちを心の奥に閉じ込めて、小春気を引き締める。ジェームズの淑女教育で身につけた笑顔を貼り付けて、堂々と披露宴会場を歩いて行く。
 今日の披露宴の主役ということもあり、二人は注目の的だった。多くの女性は麗しいロイの姿に見惚れている。
 そんな中でロイに声をかけてくるのは、イギリスからの知り合いがほとんどだった。

「アスター伯爵、おめでとうございます」
「イギリスと日本の架け橋になるなんてさすがですなあ」

そんな言葉をかけられて、ロイは優しい笑みで対応していく。

「ありがとうございます。これからは妻と二人力を合わせて二つの国を支えていきたいところです」

小春もロイに合わせて笑顔で相槌を打つ。ジェームズに叩き込まれた招待客リストを思い出しながら、相手に話しかけられてもいいよう身構えていた。

「私は小春、妻に出会えて本当に幸運ですよ」

小春は思わずロイを見上げた。そこには極上の笑みを浮かべ、甘い言葉を口にするロイがいた。
 まばゆい程のロイの笑顔に、小春は顔を真っ赤にしてそっぽ向いた。

「ご冗談を……」

そう言って赤くなった顔を隠そうと、俯いてしまう。顔を上げなければと思うが、恥ずかしくてたまらない。
 しかしそんな二人の姿は周囲には好意的に見えたらしい。

「ははは!まさか伯爵のそんな顔が見られる日が来ようとは!」
「奥方が照れるのも分かります。こちらまで照れてしまいそうな笑顔ですな」

そう言ってくれた。
 ロイのおかげでつつがなく招待客への挨拶がすんでいく。たまにロイが甘い言葉をささやくたび、小春の心臓は止まってしまうのではないかと思ったが、何とかひと段落したようだ。
 息を整え飲み物を一口飲んで、自分の気持ちを落ち着かせた。

「大丈夫か?」
「は、はい」

今ロイに話しかけられると、小春はすぐに鼓動が激しくなる。しかし今のロイはいつも通りのロイだった。

「最初からあまり気負いすぎなくていいぞ。本番はこれからだからな」
「気を引き締めていきますっ」

意気込む小春を見て、ロイも笑顔をこぼした。
 しかしその顔をすぐに引き締まった。

「来たな」

ロイと同じ方向を向くと、体躯の良い男性、テオバルトが近付いてきていた。テオバルトは気さくにロイに手を振って近付いて来る。

「やあ。結婚おめでとう、アスター伯爵」
「ありがとうエッシャーマン男爵。きみも元気そうで何よりだ」

二人はかなり親しげな様子だった。確かロイと同じバンパイヤハンターの家系で、ロイとは昔からの顔馴染みだった。と、ジェームズから教えてもらったことを思い出していた。

「ところでそちらがアスター伯爵の奥方ですか?」
「ああ紹介しよう。彼女は椎原小春、私の妻だ」
「椎原小春です」

テオバルトは人懐っこい笑顔を小春に見せた。

「貴方が噂の奥様でしたか。いやあアスター伯爵邸の人達から二人の仲睦まじい様子を聞いてどんな女性か楽しみにしていたんですよ」
「へ!?」
「エッシャーマン男爵!」

カラカラと笑うテオバルトだったが、二人は顔を真っ赤にしていた。その反応さえもテオバルトにとっては面白かったらしく「おやおや」と言いながら揶揄うように笑っている。

「私も何度かアスター伯爵邸にお邪魔したことがあるのですが、嫉妬深い伯爵がなかなか会わせてくれなくてね。こんなに可愛らしく魅力的な女性でしたら納得ですね」
「妻は恥ずかしがり屋ですから」

ロイは必死に笑顔を取り繕って答えている。しかし小春には耐えられなかった。社交辞令と分かっていながらも、可愛いとか魅力的とか言われると照れてしまう。
 それに、使用人達が小春達のことを微笑ましく見守ってくれている事は知っていたが、まさかテオバルトとロイの間でそんなやり取りがあっていたなんて知らなかった。
 それが偽装のために必要な嘘だったとしても、小春にはとても嬉しかった。

「それでは。お二人ともお幸せに」

テオバルトは言いたい事を言って去って行った。残されたロイは口をへの字に曲げていた。

ーー落ち着け、私。作戦ではあのエッシャーマン男爵とぶつかって怪我をするのよね。

小春も作戦に集中しようと心を落ち着かせた。

「大丈夫か?」
「は、はい。ちょっと驚きましたけど」

まさか作戦の協力者があんな方だったとは思っていなかった。いい人なのだろうとは思う。

「そうか……。その、頑張れるか?」
「はい。頑張ります」

小春は力強く頷いた。そんな小春を見て、ロイも笑みをこぼした。

「小春は壁際で少し休憩しているといい。私は挨拶をしてくるから」
「分かりました」

そう言って二人は別れた。これも作戦のうちだ。
 こうやって小春が一人になったところでテオバルトとぶつかる予定なのだ。とは言え、しばらくは飲み物でも飲んで落ち着こうと壁に寄りかかった。
 その時。
 百人規模の大きな披露宴会場の片隅に見覚えのある女性を見た気がした。

ーーえ?

見間違いかと思った。招待客リストには名前がなかったはずなのに、と困惑する。
 茶髪の髪を結い上げて、綺麗な着物を着ていつもとは違った雰囲気をしているが、間違いない。多くの人で賑わう会場で、じっと小春を見つめてくる。

ーー秋穂!?

小春は目を丸くした。秋穂は自分の存在に気付いた小春に、微笑みかけた。そして真っ直ぐ小春の方へと歩み寄って来る。小春は驚きすぎて呆然としていた。

「あら、小春様」

まるで何事もなかったかのように話しかけてくる。そんな異常な秋穂に小春は鳥肌が立った。

「秋穂。どうしてここに?」
「ふふ。何故かしら」
「貴方は犯罪者として椎原家からの外出を禁止されているはずでしょ」
「椎原家程度どうにでもなりますわ」

秋穂は飄々とそう答えた。

ーー椎原家に何をしたの!?

小春はゾッとした。今の秋穂なら椎原家を根絶やしにしてしまいかねない。

「ねえ小春様」

秋穂は不気味に笑みを浮かべて尋ねた。

「リカルド様素敵だったでしょう?」
「けど吸血鬼だわ」
「だから何だって言うんですの?小春様があやかしと共存しているように、私も吸血鬼と共存して何が悪いと言うのですか?」

秋穂は訳が分からないと首を傾げた。小春は秋穂の問いかけにすぐ答えられなかった。
 共存は確かに理想だ。だが、秋穂とリカルドの関係はとても共存とは言えない。二人の関係はどう見ても秋穂の依存で成り立っている。
 しかしそれを今の秋穂に言っても伝わるとは思えなかった。

「ねえ答えてくださいな、小春様」

しかし秋穂は諦めずに小春に迫ってきた。

「奥様もおっしゃってましたわ。陰陽師はあやかしを従えるべきであって、仲良くするべきじゃないと。でも私には分かりませんの。愛する人があやかしだったと言うだけではありませんか」

じりじりと迫って来る秋穂に、小春は気迫負けしないよう睨みつけた。しかし秋穂がとまることはなく、一歩また一歩と近づいてくる。

「奥様ったらあんなにあやかしを嫌ってらっしゃるのに、リカルド様に気に入られてるんですよ?信じられないわ」
「え?お母様?」

小春は耳を疑った。何故ここで母親の名前が出てくるのか不思議に思った。
 しかし秋穂の口ぶりからすると、リカルドの協力者とは小春の母親ということになる。

「秋穂、どういう事?お母様は吸血鬼の協力者なの?」

小春が問いかけると、秋穂は口をニヤリと歪めた。
 そして小春が持っていたグラスを握りつぶした。あまりの力強さにグラスの破片は飛び散り、小春の手に幾つかの切り傷を作った。
 パリーンッ!という音が会場の片隅で響いた。周囲にいた人々は振り返ったが、会場はざわざわと騒がしく、遠くにいるロイの耳まで届く事はなかった。

「まあ小春様、怪我してますわ」

秋穂はわざとらしく小春の手を取り、心配そうに見つめた。

「私が付き添いますから、さあ手当しに行きましょう?」

秋穂は小春の手を掴んで離さない。心配そうな表情をしていながら腹の中で何を考えているのかさっぱり読めない。

「秋穂、何を考えてるの?」
「あら。これがお望みだったのでしょう?」

小春は鳥肌が立った。

ーー計画がバレているの!?

顔色を悪くした小春の手を引いて、秋穂はゆっくりと会場から出て行ったのだった。