契約花嫁は半吸血鬼伯爵に溺愛される。

捨て駒にされ、取り残された秋穂に、小春は何と声をかければいいのか分からなかった。しかし項垂れる秋穂の背中はとても放っておかなかった。

「秋穂」
「何よ」

元気はないものの、小春に対する態度は相変わらずだった。

「秋穂はリカルドが吸血鬼だと知っていたの?」
「小春様に話すことなんてありません」

そう言って取りつく島もなかった。このまま小春が何を聞いても、秋穂は答えないだろう。小春は肩を落としてロイの方を見た。
 ロイは冷たい目をしていて、秋穂への同情など一切感じさせなかった。

「椎原秋穂」

ロイに名前を呼ばれ、秋穂はピクリと反応した。

「これは大罪だ。死人も出ている。これ以上足掻こうなんて考えるなよ」

そう言い切った。
 確かにロイが天皇陛下の勅命を受けて西洋あやかしの忠告をして回ったというのに、その吸血鬼による被害を出しただけでなく匿っていたのだ。椎原家からの追放だけなんて生優しいものではないはずだ。
 しかし秋穂は自信満々に反論した。

「きっとリカルド様が助けに来てくれるわ」

秋穂はそう呟いて、挑発的にロイを睨みつけた。

「リカルド様がいれば悪魔伯爵なんてすぐ殺されてしまいますわ!」
「頭の中お花畑か?お前は捨てられたんだよ」
「そんなことない!」

秋穂は大声で叫んだ。その叫びは秋穂が自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。

「私はリカルド様に愛されているんですわ。助けに来ない訳ないっ!」

ぶつぶつと呟く秋穂の姿は惨めにしか見えなかった。そんな同情の気持ちが伝わってしまったのか、秋穂は小春を睨みつけた。

「小春様には分からないでしょうね」

小春は何も言わなかった。
 ただ、秋穂も自分と同じように居場所を探していたのではないだろうか、と思ってしまったのだった。
 愛されたくて。
 ここに居たいと思える場所が欲しくて。
 それが例えかりそめだったとしても、すがってしまったのではないかと、思ったのだ。
 秋穂の惨めな姿が、未来の自分の姿のようにも見えて、小春は何も言えなかった。

◆◆◆

 とある薄暗い部屋の中。
 淑女の嗜みとして刺繍をしていた女性は、自分の影が蠢いているのを感じた。女性は立ち上がり、少し広い人気のない部屋に移動した。
 すると女性の影の中からリカルドが姿を現した。

「おかえりなさいませ、ご主人様」
「ただいま」

頭を下げる女性に対して、リカルドは微笑んだ。そして近くの椅子に座って、うっとりした表情を見せた。

「いいね。あの子……小春、欲しいな」

女性は少し驚いた様子を見せたが、すぐに無表情に戻った。

「気に入ってもらえて光栄です」
「うん。とっても気に入ったよ」

何としてでも手に入れたい。小春の血はそれほどまでに魅力的だった。
 リカルドがこの日本に来たのはただの気まぐれだった。たまたま乗った船が日本行きで、気まぐれに日本を散策しようと思った、ただそれだけだった。けれど来て正解だっと心の底から思う。
 まさかこんな掘り出し物を見つけられるなんて。

「邪魔さえ入らなきゃ手に入ったと思うのにな」

あの時は色んな邪魔が入った。力の弱い魑魅魍魎共があそこまで抵抗するとは思わなかったし、秋穂が嫉妬で口を挟んでくるとも思っていなかった。
 そうしているうちにロイがやってきてしまったのだ。

「うーん。昼間じゃなければいけたんだけどね」

けれどリカルドは楽しそうにクスクスと笑った。

ーー秋穂は使い勝手良かったんだけど。今回ばかりは使い所を間違えたかな。

秋穂の小春への執着心が事を急かしてしまったのかもしれない。秋穂にちゃんと夜に誘き出すよう言えばよかった。だがそれも今更だ。悔やんでもしょうがない。

「まあ次の機会を狙うとするよ」

そうしてリカルドは女性をじっと見つめた。

「それにしても、君は心が傷まないのかな?」
「貴方のしもべになったあの夜から、身も心も全て貴方の物ですから」

その答えをリカルドは笑い飛ばした。

「よく言うよ。実の娘を殺すために僕に近付いたくせに。封印されていた悪鬼だって君が秋穂を唆して解き放たれるよう仕組んだんだろう?」
「まあ。そんな事ありませんわ」
「椎原家当主夫人の座では満足出来なかったの?」

女ーー小春の母親・椎原千代は答えない。

「ねえ、君の目的を教えてよ」

しかしリカルドから命令されると答えざるを得ない。千代はしぶしぶ口を開いた。

「あやかしに好かれる穢らわしい血が、私の腹から生まれたなんて、人生最大の汚点ですから」
「へえ」
「陰陽師はあやかしを従えるもの。あやかしと仲良くするなんて穢らわしい」

リカルドは心の中で嘲笑った。

ーーそこまで嫌うあやかしに操られている今の気持ちはどんなものだろう。

自分の子を嫌うあまり悪鬼を仕向けた母親。リカルドが千代を見つけた時、利用できると思った。そしてその見込み通り話しかければ、千代はすぐに血を飲ませてくれて、しもべにすることができた。
 愚かな女だ、とリカルドは心の中で嘲笑った。
 けれど小春を、小春の血を手に入れるためならば、こんな愚かな千代も、哀れな秋穂も、利用することは厭わない。
 要らなくなったら捨てればいいのだから。
 だからそれまでは大切にするフリをしなくては。

「今後ともよろしくね、椎原家当主夫人さま」


◆◆◆

 一方。
 秋穂を捕らえ、辰彦に事情を説明した後、ロイと小春はすぐに椎原邸を後にして都心のアスター伯爵邸に戻ってきていた。
 二人を出迎えたジェームズは執務室にお茶を用意してくれた。執務室の机に向かい、証拠写真や必要書類を無造作に投げるように置くと、荒々しく座った。

「くそっ!」

そしてロイは悔しそうに机を叩いた。荒れたロイの様子に小春はビクッと体を震わせた。

「す、すみません。私、お役に立てなくて」

命を賭ける覚悟をしたつもりだった。だがあの時、あやかし達が来てくれなければ小春は何も出来ずにリカルドに血を吸われていたに違いない。

ーー私、力不足だった。

あの時の自分が歯痒くて仕方ない。
 悔しくて震える小春を見て、ロイははっとした。

「そんな事ない!」

ロイは自分のせいで怖がらせてしまったと思ったらしい。慌てて小春に近寄り、優しく肩に手を乗せた。

「すまない。俺も焦っていた」

そう言ってロイは項垂れた。ロイ自身も吸血鬼を見て理性を失いかけた。小春に腕を掴まれなければ、理性なんて捨てて、リカルドも秋穂も殺しにかかっていたに違いない。
 二人して落ち込んでいると、あやかし達が心配そうに近寄ってきた。

「小春大丈夫ゥー?」
「ええ。私は大丈夫よ」
「アノネー」
「吸血鬼、ドコイッタカ調ベタノー」
「え?!」
「アノネー小春ト同ジ町イルノー」
「ソウ。コノ町ニイルヨー」

それを聞いて小春とロイは顔を見合わせた。てっきりしばらくは尻尾を出さないだろうと踏んでいたので、何という朗報だろうか。
 しかしだからと言って喜べる状況でもなかった。この広い都心で見つけるのは一苦労なのに、もしも秋穂のような協力者がいたら、見つけるのは困難を極めるだろう。そして吸血鬼による被害も比べ物にならない。

「早く見つけないと大きな被害が出てしまいますね」
「ああ。頭が痛いな」

秋穂のことや椎原家のこともまだ残っているというのに。やらなければいけない事がどんどん山積みになっていく。
 ロイは頭を抱えながら、一つの決意をした。

「小春、後で話したい事がある」

真剣な目で小春を見据えると、小春もロイの言おうとしている事を悟ったらしい。

「分かりました」

小春は何も聞かずゆっくり頷いた。

「では私は着替えて参りますね」
「ああ。日帰りとは言え長旅だったからな。少し休むと良い」
「ありがとうございます」

そう言って小春は執務室を出て行った。するとジェームズが入れ替わりで執務室に入ってきた。

「ジェームズか」
「お話するのですね」

どうやら全て聞いていたらしい。ジェームズが心配そうな表情をしていた。ロイはそんなジェームズに力無く笑ってみせた。

「吸血鬼が言ってしまったからな」
「なんて事を」

ジェームズは深いため息をついた。ロイもこんなタイミングで言うつもりは無かった。だがもう小春に知られてしまった以上、言うならば早い方が良い。

「それとジェームズ。吸血鬼は小春の血のことを知っていたらしい」
「何ですって?情報が何処からか漏れているという事ですか?」
「おそらくな」

最初は秋穂から「小春は特別な血」という事が漏れたのかと考えたが、どうやらそうではない様子だった。リカルドに惚れ込んでいた秋穂が恋敵になりそうな小春のことをわざわざ言うとは思えない。
 ロイは重いため息を吐いた。

「その様子ですと、もう協力者に目星はついているようですね」
「ああ」

小春の血について知っている人間はそこまで多くない。小春があやかしに好かれ、あやかしと仲の良い変わった娘という事は知れ渡っていたが、それが小春の血に理由がある事は、椎原家の中でも意外と知られていない。椎原家本家が頑なに隠そうとしていた事からもそれは知っていた。
 それに悪鬼の件も気になる事はあった。悪鬼の封印は小春や秋穂に解けるような簡単な物ではなかったのだ。それが簡単に解けてしまったという事は事前に細工されており、秋穂は唆されたという事になる。
 こうなると協力者は椎原家のごく一部の人間に限られてくる。
 そして今日椎原家を訪れてはっきりと分かった。
 ロイは再び深いため息を吐いた。

「小春の実の母親が黒幕だったなんて……思いたくないんだがな」