契約花嫁は半吸血鬼伯爵に溺愛される。

 小春とロイは椎原邸に向かっていた。
 ガタガタと揺れる馬車の中から見える町の様子は、見たこともないほど荒れていた。数週間前まで人間にもあやかしにも活気があったが、今は人通りが少なく、逆にあやかし達は好き勝手している。

ーー何この状況?

たった数週間でここまで荒れるなんて思ってもいなかった。あやかしが見えない町の人々は勝手に物が動く様子に怯え、逃げるか、家の中の引きこもっているかのどちらかだ。

「酷いな」

ロイも同じ意見だったようだ。

「本当に。何でこんな事になったんでしょう。これも吸血鬼の影響ですか?」
「いや。吸血鬼は関係ないだろうな」

ロイは小春をじっと見つめた。あやかし達は小春を慕っていた。その小春は椎原家を出る前にあやかし達に挨拶して回ったと報告を受けている。そこで小春の事情を知ったあやかし達が何を思ったのかはすぐに想像がつく。テオバルトが報告した通り、あやかし達は復讐し始めたようだった。

ーーしかしここまで酷い有様とはな。

だがそれを御せない椎原家にも問題があるのは間違いない。見るからに低級のあやかしだと言うのに大した事ないと放置しておくから塵が積もって山となり、手の施しようがなくなるのだ。

ーー自業自得だな。陰陽庁に報告しておくか。

ロイはまた仕事が増えたと、ため息をついた。
 そうしていると懐かしい椎原邸が見えてきた。町の中で一番見晴らしの良い立地にどっしりと構える椎原邸だったが、以前のような威厳は見えない。
 小春は複雑な気持ちで屋敷を見つめた。

ーー帰ってくるなんて、思ってなかったな。

この町のように、両親や秋穂も目に見えて変わっているのだろうか、と考えたが首を横に振った。
 きっと変わっていない。
 期待しても無駄だろう、と。

◆◆◆

「あの子が妖怪姫……ふ。報告通り美味しそうだ」

椎原邸の片隅の薄暗い部屋に、一人の美男子がいた。かつて妖怪姫と蔑まれた小春を閉じ込めていた部屋は、当然小春がいなくなった後も誰もよ寄り付かなかった。
 それが逆に美男子には好都合だった。
 着物を着崩して気怠そうに頬杖をついている姿は何とも艶めかしかった。寝起きのような姿で髪の毛も寝癖が付いているのに何故かそれさえも美しい絵画のように見えた。病的な程に白い肌も、澄んだ青空のような碧眼も、何もかもが美しい。
 格子のはめられた窓から、美男子はロイと小春の姿を見つめていた。

「リカルド様、外ばっかり見ないでくださいな」
「ああ、ごめんね秋穂。安心して。一番綺麗なのは秋穂だよ」
「リカルド様ったら」

秋穂は頬を赤くして目を逸らした。そんな初心な反応をリカルドは微笑ましく思えた。

ーー愚かで操りやすい娘だな。

それはリカルドにとって都合のいい相手だった。だが今はまだこうやってご機嫌を取っておかねばならない。
 そうしてリカルドももう一度窓の外を見た。

ーー妖怪姫さえ手に入れば、秋穂も用済みだな。

リカルドは恍惚とした表情で小春に熱い視線を送った。

「リカルド様」

そう言っておずおずと秋穂はリカルドに寄り添ってきた。

「ねえ秋穂。あの小春って女の子が秋穂の敵?」
「小春?」

秋穂の顔が歪んだ。恋する乙女のような表情が一瞬にして消えたのを見て、リカルドもおや、と思った。

「聞きたくない名前ですわ」
「そっか」

これはかなり根深いな、とリカルドは思った。

「僕、小春と二人っきりで会えないかな」
「なっ!リカルド様!小春の方がいいと言うんですか!?」
「違うよ」

怒り狂う秋穂を、リカルドは優しく抱きしめた。

「秋穂を苦しめる相手なんでしょ?僕なら小春をどうにでもできるよ。秋穂なら分かるでしょ?」

秋穂ははっとした。秋穂が嫌いな使用人や疎ましく思った町民は全員リカルドがこの世から消してくれた。

ーー嗚呼、さすが私の王子様。

秋穂の願いを叶えてくれる理想的な美しい王子様。それがリカルドだった。秋穂はリカルドを甘えた目で見つめた。
 リカルドはそんな秋穂の頭をポンポンと撫でた。

「ね?」

秋穂はゆっくり頷いた。

ーーリカルド様に任せておけば大丈夫。全部上手くいく。

地位も、美貌の旦那様も、陰陽師としての力も、全部全部、リカルドがいれば手に入る。
 秋穂はリカルドの胸に抱きついた。そして甘えるように頬をすり寄せた。そんな秋穂を、リカルドは優しく撫でてやる。
 リカルドの表情は悪意に満ちて歪んでいた。

◆◆◆

「ようこそお越しくださいましたアアスター伯爵様」

家令は恭しく頭を下げて出迎えてくれた。そして頭を下げたまま、言葉を続けた。

「そしてお帰りなさいませ、小春様」

その言葉に、小春は胸の奥から込み上げてくるものがあった。しかしもう椎原家は小春の居場所ではない。どんなに頭を下げられても、小春の気持ちは動かなかった。

ーー別に帰ってきた訳じゃない。私の居場所はここにはもう無いのだから。

だから、小春は何も返事をしなかった。

「椎原家当主殿からの依頼で来た。当主殿はご在宅かな?」
「はい。ご案内いたします」

家令は顔をあげて余計なことを言わずに案内してくれた。
 見慣れた屋敷の中は、小春がいた頃と変わっていなかった。いつも通り慌ただしく使用人達が動いていて、そして小春を見つけると相変わらず目を逸らして避けていく。
 そんな使用人達も綺麗な着物に身を包み、美しいロイの隣に立つ小春を、遠巻きに見て、驚いたような表情をしている。

ーーちょっと視線が気になるわね。

ロイへの熱い視線も混じっているが、普段こんなにジロジロ見られる事がない小春にとってはとても居心地が悪かった。
 そうしていると、辰彦の執務室の前までたどり着いていた。

「御当主様、アスター伯爵様がいらっしゃいました」

家令が声をかけると、すぐに襖が開いた。
 数週間ぶりに見る辰彦の顔は、少しやつれたように見えた。辰彦はロイの顔を見ると、安心したかのように息を吐いた。

「お待ちしておりました。どうぞ中へ」

部屋の中に案内され、小春はロイの後について部屋に入った。

「さて。早速話してもらえますか?」

ロイは前置きもなくそう切り出した。

「もう何が何だか……」

辰彦は頭を抱えた。そしてポツリポツリと話し始めてくれた。
 干からびた遺体が見つかってから町民達が不安になり、日中も家に閉じ篭もるようになった事。
 干からびた遺体が毎日のように見つかった事でさすがに不審に思った椎原家が陰陽庁に報告したが、それはかなり遅い対応だった事。
 西洋あやかしに気を取られていたら魑魅魍魎が町中を跋扈するようになってしまった事。
 そんな魑魅魍魎をいくら退治してもキリがなく、ついには椎原家筆頭分家の当主が亡くなった事。
 そして今は辰彦が自ら毎晩妖怪退治に出向いている事。
 後処理や報告のために千代も陰陽庁に出向いており、当主一族自ら動かざるをえない状況である事。
 その話は小春の想像以上に酷いものだった。

ーー叔父様が亡くなった?そんなに強いあやかしがいたというの?

そんなに接点はなかったものの辰彦の次くらいに強い陰陽師だったと認識していた。しかし町で見かけたあやかし達はとてもそんなに強いものはいなかった。

「毎晩の退治で疲労も溜まっているのですが、任せられる人間がおらず……根本的な問題解決しない事には町は滅びてしまいます」

辰彦は俯いてそう話した。その声は少し涙ぐんでいるように聞こえた。

「それは我々には関係ありませんね。根本的な問題は椎原家にあるじゃないですか」

そんな辰彦の言葉をロイはあっさり切り捨てた。同情を誘うつもりだったのか、辰彦は一瞬体を強張らせた。

「我々は椎原家の人材不足の穴埋めのために来たわけではありませんよ。それともこの事実を陰陽庁に報告したら良いのでしょうか」
「いえ!決してそんなつもりではありません!つい愚痴をこぼしてしまっただけで……」

そう言いながらも本心では図星だったようだ。辰彦の視線が泳いでいる。
 また見え透いた嘘を、とロイは心の中でため息をついた。

「干からびた遺体というのは、西洋あやかし・吸血鬼の仕業で間違いないでしょう。そちらについてはこちらで対応を考えます。だが魑魅魍魎については椎原家が対処する事です」

ロイのはっきりとした主張に、辰彦は返す言葉もなかった。

「むしろこちらとしては吸血鬼退治のために人員を割いて欲しいくらいですよ。このような事態に備えるために天皇陛下に頼み込んで各陰陽師の家に出向いていたんですけどね」
「も、申し訳ありません……ですがそのために椎原家は小春を差し出したではなかったでしょうか」
「そうですね。本来なら対応が遅れた後始末をお願いしたいところですが」

そう言ってロイは辰彦を睨みつけた。対応が遅れた落ち度は辰彦も認めていた。だからこれ以上何か言おうものなら、ロイからことごとく反論されそうで口を閉ざすしかなかった。
 そもそもここまで酷い事態になったのは椎原家の落ち度だ。ロイとしては、それを忘れてもらっては困る。

「小春に免じて今回は不問としましょう。ただし魑魅魍魎は椎原家で何とかしてください」
「……っ。分かりました」

辰彦は始終ロイに圧倒されていた。小春は小さくなっていく辰彦に哀れみを感じていた。

ーー椎原家にいた頃はとても大きな存在に見えたのに。

小春がどれだけ狭い環境にいたのか、改めて思い知った。

「小春もいいかな」
「は、はいっ!」
「魑魅魍魎について小春は手を出してはならない。小春は吸血鬼退治に専念してもらうからね」

そう念を押されて、小春も頷くしかなかった。
 しかし小春の頭の中はそれよりもロイから「小春」と呼び捨てで呼ばれた事でいっぱいになっていた。

ーー呼び捨てにされちゃった。

妻のふりをするために人前では呼び捨てにしているのだろうが、初めて名前を呼ばれて、胸が高鳴った。

ーーまるで本当の奥様みたい。

なんて思って舞い上がるくらいには小春は嬉しかった。