「ロイ様、本当に勘弁してくださいよ」
ジェームズがため息をついた。
ロイも悪いとは思っている。
しかし、そうはいっても小春が気になるのだ。
その理由はロイにも分からない。
ーーこの気持ちは、何なんだ……?
自分でも抑えが効かない。こんな風に感情を持て余す事なんてなかったロイは自分でも戸惑っていた。
ジェームズに指摘されたように小春をかりそめの妻にする必要もないし、こうやって毎日小春の様子を見に行く必要もない。それでもロイはいつも小春のことを考えてしまうのだ。
悪鬼が小春を襲おうとした時のことを今でもロイは思い出す。悪鬼が小春を襲おうとしているあの時のことを思い出すとロイは今でも胸が締め付けられる。悪鬼の鋭い牙が小春に向けられた時、ロイは全身の血が沸騰するかと思うくらい怒り狂った。その時のことを思い出すと今すぐにでも小春のそばにいたいという衝動に駆られてしまう。
ロイは艶めく金髪をくしゃくしゃとかきむしった。
ーー全く。らしくないな。
自分でも分かっている。でもどうしようもないのだ。ロイは深い深いため息をついた。
そうして執務室に向かっていると、執務室の前に使用人が一人立っていた。
「ロイ様、ジェームズ様」
ロイ達の顔を見た使用人は安心したような表情をしていた。
「何かあったのですか?」
「エッシャーマン男爵がいらっしゃったので執務室にお通ししたのですが、その……お二人ともいらっしゃらなかったので」
そう言えば約束していたのだったと今思い出した。この使用人もいつも通り仕事していると思っていたらいないのだから、さぞ驚いたことだろう。ロイはさすがに申し訳ない気持ちになった。
「すまなかった」
「いえ。ちょうど今、エッシャーマン男爵にお茶をお出ししたところです」
使用人は優しく笑ってくれた。
ジェームズの責めるような視線が少し痛いが、ロイは気にしないことにした。
部屋に入ると黒髪短髪のしっかりした体躯の男性テオバルト=エッシャーマンが座っていた。年齢はロイと変わらないように見えるが、細身のロイと並ぶとかなりがっしりした体型だ。
「やあロイ。元気そうだな」
「まあまあだな」
「日本に来て半年くらいか?もう慣れたか?」
「まあな。テオバルトほどではないがな」
「ははは!俺は一年も前から日本に来ているからな」
豪快に笑うテオバルトを見ると、ロイも母国イギリスに戻ったような感覚になる。しかしテオバルトがロイのもとを訪ねるという事はその用事は決まっている。
「ここに来たと言うことは吸血鬼の情報が入ったんだろう」
「ああ。まあな」
エッシャーマン家もアスター家同様バンパイヤハンターの一族だった。そのためテオバルトとロイは昔からの顔馴染みだった。
テオバルトは吸血鬼の情報を集めるため、ロイより早く日本にやって来ていた。その情報共有のため今日やってきたと言う事である。テオバルトはロイに書類を渡した。
「これは……」
ロイは思わず眉間に皺を寄せた。
「入れ替わりだったようだな」
「タイミングが悪かったのか。それさえも読まれたのか」
ロイはため息をついた。その書類には吸血鬼の出没情報が載っていた。
吸血鬼は椎原家が守るあの小さな町に潜伏しているらしい。しかも椎原家の何者かによって椎原邸に匿われているらしいという事まで書かれている。
ーーというか、忠告は聞いていなかったのか?
ロイは怒りで手が震えた。
「ここ数日、毎日干からびた遺体が町で見つかっているらしい。そこで椎原家が陰陽庁に報告したみたいだな」
「腰が重すぎる。俺はわざわざ椎原家に行って一族全員に忠告したんだぞ!」
「落ち着けよ。椎原家はもともと保守的、というか閉鎖的な家柄だったろう?」
それによって小春も不遇な目に遭っていた。
ーーつくづく忌々しい。
テオバルトに言われてロイはさらに怒りを募らせた。
ーーいっそあの一族を根絶やしにしてやろうか。
そんな仄暗い感情が湧き上がってくる。
「まあ今回は報告しただけ上々だよ。先日の悪鬼の件は知らぬ存ぜぬという態度を貫いているみたいだしね」
悪鬼のことはロイから陰陽庁に報告していた。椎原家が封印していたはずの悪鬼がアスター伯爵邸に襲いかかってきたこと、悪鬼の封印が解かれていた事実を椎原家が隠蔽していたこと、その全てを報告していたのだ。椎原家は上手く隠せていると思っているらしいが、実はそうではない。
ロイは再びため息をついた。
「とにかく椎原家にまた行く必要があるな」
「そうでしょうねえ」
テオバルトはちらっとロイの様子を見た。
「例の奥方は連れて行くのか?」
ロイは一瞬動きを止めた。しかし答えはすぐに出た。
「連れて行く」
小春の血は吸血鬼にとってご褒美だ。潜伏する吸血鬼を見つけ出すためには椎原家に連れていくのが最善だ。
ロイの返事にテオバルトは安堵した。
「俺もそれがいいと思う。奥方には酷かもしれないがな」
「問題ない。小春に始めからそういう目的だと伝えてある」
「そうか……さすが悪魔伯爵だな」
ロイはお茶を一口飲んだ。
ーー悪魔伯爵、か……。
そう呼ばれ始めたのはいつ頃だっただろうか、とロイは思い返していた。
あれはまだロイが十歳の頃だった。
イギリスではすでに吸血鬼が蔓延り、問題になっていた。アスター伯爵家は古くから続くバンパイヤハンターの家系だ。しかし勿論吸血鬼の全員が悪事を働く訳ではなかった。中には人間との共存を望む者たちもいた。
ロイの母親もそうだった。
そんな吸血鬼の母親とバンパイヤハンターの父親が意気投合し、結ばれた。それから二人は人間と吸血鬼の共存のために奮闘していた。
頑張る両親の背中を見て育ったロイも、二人の理想の世界がやって来る事を心待ちにしていた。早く二人の手助けがしたくて、バンパイヤハンターとしての修行も頑張っていた。
そんなある日。
普段昼間は屋敷の中にいる母親が外出すると聞いた。人間と吸血鬼の共存のための重要な会議があると言うのだ。
それは喜ばしいことだ。
だが、日の光が致命的な母まで参加しなければならない事が、ロイはとても不安だった。
「本当に母上まで行ってしまうのですか?」
「ええ。ロイ、お留守番よろしくね」
日傘をさして、青白い顔で外出しようとする母親を、幼いロイは必死に止めようとした。
「でも、母上は吸血鬼です。昼間に外に出ては……」
ロイは心配でたまらなかった。しかし母親はそんなロイの頭を優しく撫でるだけだった。
「ロイ。もし今日の会議が上手くいけば吸血鬼と人間の共存への大きな一歩になるの」
母親の嬉しそうな表情を見るとロイもそれ以上の事は言えなかった。そしてロイは辛そうな母親を見送ることしかできなかった。
しかし、それが最後になってしまうとは、この時のロイは思ってもいなかった。
その日は遅くなるだろうとは思っていたが、予想以上に夜遅くまで会議が続いていた。父親が遅い事はままあったが、母親までいないとなるとロイは少し不安になった。
自室で読書しながらも、ロイはずっとソワソワしていた。
「ジェームズ、父上と母上はどこに行ったのか知ってるか?」
「確か純潔の吸血鬼一族の屋敷だったと思います」
「そうなんだね」
「大丈夫ですよ、ロイ様。あの強い伯爵様も一緒なんですから」
「そうだな」
ロイはジェームズの言葉に少し安心した。今度こそ読書に集中しようと、本のページをめくったその時。
「ロイ様っ!!」
いつも冷静沈着な執事が慌てた様子で駆け込んできた。その様子で一気にロイは只事ではないと察した。
「どうしたんですか?」
ロイが何かを言う前にジェームズが冷静に聞いてくれた。
「失礼をお許しください。ただ……ただ……」
ロイの鼓動がどんどん早くなっていく。
「アスター伯爵様と、奥様が……」
執事の言葉の続きが気になってしょうがない。
しかし、聞きたくない。
鼓膜に鼓動が鳴り響いてうるさいくらいだ。
執事が息を整えて話し始める時間がとてつもなく長く感じた。
そして執事はようやく口を開いた。
「お二人がお亡くなりになりました」
ジェームズがため息をついた。
ロイも悪いとは思っている。
しかし、そうはいっても小春が気になるのだ。
その理由はロイにも分からない。
ーーこの気持ちは、何なんだ……?
自分でも抑えが効かない。こんな風に感情を持て余す事なんてなかったロイは自分でも戸惑っていた。
ジェームズに指摘されたように小春をかりそめの妻にする必要もないし、こうやって毎日小春の様子を見に行く必要もない。それでもロイはいつも小春のことを考えてしまうのだ。
悪鬼が小春を襲おうとした時のことを今でもロイは思い出す。悪鬼が小春を襲おうとしているあの時のことを思い出すとロイは今でも胸が締め付けられる。悪鬼の鋭い牙が小春に向けられた時、ロイは全身の血が沸騰するかと思うくらい怒り狂った。その時のことを思い出すと今すぐにでも小春のそばにいたいという衝動に駆られてしまう。
ロイは艶めく金髪をくしゃくしゃとかきむしった。
ーー全く。らしくないな。
自分でも分かっている。でもどうしようもないのだ。ロイは深い深いため息をついた。
そうして執務室に向かっていると、執務室の前に使用人が一人立っていた。
「ロイ様、ジェームズ様」
ロイ達の顔を見た使用人は安心したような表情をしていた。
「何かあったのですか?」
「エッシャーマン男爵がいらっしゃったので執務室にお通ししたのですが、その……お二人ともいらっしゃらなかったので」
そう言えば約束していたのだったと今思い出した。この使用人もいつも通り仕事していると思っていたらいないのだから、さぞ驚いたことだろう。ロイはさすがに申し訳ない気持ちになった。
「すまなかった」
「いえ。ちょうど今、エッシャーマン男爵にお茶をお出ししたところです」
使用人は優しく笑ってくれた。
ジェームズの責めるような視線が少し痛いが、ロイは気にしないことにした。
部屋に入ると黒髪短髪のしっかりした体躯の男性テオバルト=エッシャーマンが座っていた。年齢はロイと変わらないように見えるが、細身のロイと並ぶとかなりがっしりした体型だ。
「やあロイ。元気そうだな」
「まあまあだな」
「日本に来て半年くらいか?もう慣れたか?」
「まあな。テオバルトほどではないがな」
「ははは!俺は一年も前から日本に来ているからな」
豪快に笑うテオバルトを見ると、ロイも母国イギリスに戻ったような感覚になる。しかしテオバルトがロイのもとを訪ねるという事はその用事は決まっている。
「ここに来たと言うことは吸血鬼の情報が入ったんだろう」
「ああ。まあな」
エッシャーマン家もアスター家同様バンパイヤハンターの一族だった。そのためテオバルトとロイは昔からの顔馴染みだった。
テオバルトは吸血鬼の情報を集めるため、ロイより早く日本にやって来ていた。その情報共有のため今日やってきたと言う事である。テオバルトはロイに書類を渡した。
「これは……」
ロイは思わず眉間に皺を寄せた。
「入れ替わりだったようだな」
「タイミングが悪かったのか。それさえも読まれたのか」
ロイはため息をついた。その書類には吸血鬼の出没情報が載っていた。
吸血鬼は椎原家が守るあの小さな町に潜伏しているらしい。しかも椎原家の何者かによって椎原邸に匿われているらしいという事まで書かれている。
ーーというか、忠告は聞いていなかったのか?
ロイは怒りで手が震えた。
「ここ数日、毎日干からびた遺体が町で見つかっているらしい。そこで椎原家が陰陽庁に報告したみたいだな」
「腰が重すぎる。俺はわざわざ椎原家に行って一族全員に忠告したんだぞ!」
「落ち着けよ。椎原家はもともと保守的、というか閉鎖的な家柄だったろう?」
それによって小春も不遇な目に遭っていた。
ーーつくづく忌々しい。
テオバルトに言われてロイはさらに怒りを募らせた。
ーーいっそあの一族を根絶やしにしてやろうか。
そんな仄暗い感情が湧き上がってくる。
「まあ今回は報告しただけ上々だよ。先日の悪鬼の件は知らぬ存ぜぬという態度を貫いているみたいだしね」
悪鬼のことはロイから陰陽庁に報告していた。椎原家が封印していたはずの悪鬼がアスター伯爵邸に襲いかかってきたこと、悪鬼の封印が解かれていた事実を椎原家が隠蔽していたこと、その全てを報告していたのだ。椎原家は上手く隠せていると思っているらしいが、実はそうではない。
ロイは再びため息をついた。
「とにかく椎原家にまた行く必要があるな」
「そうでしょうねえ」
テオバルトはちらっとロイの様子を見た。
「例の奥方は連れて行くのか?」
ロイは一瞬動きを止めた。しかし答えはすぐに出た。
「連れて行く」
小春の血は吸血鬼にとってご褒美だ。潜伏する吸血鬼を見つけ出すためには椎原家に連れていくのが最善だ。
ロイの返事にテオバルトは安堵した。
「俺もそれがいいと思う。奥方には酷かもしれないがな」
「問題ない。小春に始めからそういう目的だと伝えてある」
「そうか……さすが悪魔伯爵だな」
ロイはお茶を一口飲んだ。
ーー悪魔伯爵、か……。
そう呼ばれ始めたのはいつ頃だっただろうか、とロイは思い返していた。
あれはまだロイが十歳の頃だった。
イギリスではすでに吸血鬼が蔓延り、問題になっていた。アスター伯爵家は古くから続くバンパイヤハンターの家系だ。しかし勿論吸血鬼の全員が悪事を働く訳ではなかった。中には人間との共存を望む者たちもいた。
ロイの母親もそうだった。
そんな吸血鬼の母親とバンパイヤハンターの父親が意気投合し、結ばれた。それから二人は人間と吸血鬼の共存のために奮闘していた。
頑張る両親の背中を見て育ったロイも、二人の理想の世界がやって来る事を心待ちにしていた。早く二人の手助けがしたくて、バンパイヤハンターとしての修行も頑張っていた。
そんなある日。
普段昼間は屋敷の中にいる母親が外出すると聞いた。人間と吸血鬼の共存のための重要な会議があると言うのだ。
それは喜ばしいことだ。
だが、日の光が致命的な母まで参加しなければならない事が、ロイはとても不安だった。
「本当に母上まで行ってしまうのですか?」
「ええ。ロイ、お留守番よろしくね」
日傘をさして、青白い顔で外出しようとする母親を、幼いロイは必死に止めようとした。
「でも、母上は吸血鬼です。昼間に外に出ては……」
ロイは心配でたまらなかった。しかし母親はそんなロイの頭を優しく撫でるだけだった。
「ロイ。もし今日の会議が上手くいけば吸血鬼と人間の共存への大きな一歩になるの」
母親の嬉しそうな表情を見るとロイもそれ以上の事は言えなかった。そしてロイは辛そうな母親を見送ることしかできなかった。
しかし、それが最後になってしまうとは、この時のロイは思ってもいなかった。
その日は遅くなるだろうとは思っていたが、予想以上に夜遅くまで会議が続いていた。父親が遅い事はままあったが、母親までいないとなるとロイは少し不安になった。
自室で読書しながらも、ロイはずっとソワソワしていた。
「ジェームズ、父上と母上はどこに行ったのか知ってるか?」
「確か純潔の吸血鬼一族の屋敷だったと思います」
「そうなんだね」
「大丈夫ですよ、ロイ様。あの強い伯爵様も一緒なんですから」
「そうだな」
ロイはジェームズの言葉に少し安心した。今度こそ読書に集中しようと、本のページをめくったその時。
「ロイ様っ!!」
いつも冷静沈着な執事が慌てた様子で駆け込んできた。その様子で一気にロイは只事ではないと察した。
「どうしたんですか?」
ロイが何かを言う前にジェームズが冷静に聞いてくれた。
「失礼をお許しください。ただ……ただ……」
ロイの鼓動がどんどん早くなっていく。
「アスター伯爵様と、奥様が……」
執事の言葉の続きが気になってしょうがない。
しかし、聞きたくない。
鼓膜に鼓動が鳴り響いてうるさいくらいだ。
執事が息を整えて話し始める時間がとてつもなく長く感じた。
そして執事はようやく口を開いた。
「お二人がお亡くなりになりました」


