冷徹軍師は敗国姫を手放さない

 風花は、颯手を連れて寺院を訪れていた。颯手は門前で手綱を引いて主人の帰りを待っている。
 ――高津が滅んで何回目かの月命日。冬の気配のする山々は深い峰を描きながらそびえ立っている。晩秋の風がどこからともなく吹いてきた。

 落ち葉を踏む音だけが静かに響く。
 境内にはまだ紅葉が残っている。燃えるような紅葉が寺院の瓦屋根の上にふりそそぐ。一つ、また一つと、紅葉が風に揺れては落ちてくる。石畳には赤茶色の葉が積もり、風が吹くたび、かさりと小さな音を立てる。
 寺院の奥から、低くゆっくりと読経の声が流れてくる。一定の調子で重なっていく声は、風に溶けながら境内へ広がり、晩秋の冷えた空気を静かに震わせていた。
 焼香の香りが、ほのかに漂う。窓から香るその祈りの匂いは、寺の荘厳さをよりいっそう際立たせる。
 窓から見える本堂には、手を合わせる風花の姿があった。数珠を握る彼女は目を閉じ、一族の成仏を祈っている――その背後に、その一族の男が一人、ゆっくり歩みを進めて近づいた。
 読経の声が止む。

 「毒殺できなかったのか?」

 風花は、落ち着いた面持ちでふりかえる。玉響義彦――黒装束に身を包んだ兄の姿をゆっくりと見上げる。義彦はこめかみに青筋を立てて、妹を見下ろした。

 「まぁ、いい。次は仕損じるな。」

 短剣を風花へ差し出す。

 「今宵、寝所で眠る氷室忠頼を刺せ。刃に猛毒が塗ってある。父上の敵を討つのだ」

 風花はその短剣を受け取る。しかしその瞳は反抗の色を帯びていた。

 「風花……? なんだその瞳は。兄はお前を助けに来てやってるのだぞ――」

 義彦は目を丸くした。
 妹が、自分に刃を向けたのだ。