冷徹軍師は敗国姫を手放さない

 中秋の名月の夜の事件が終結し、(うし)の刻あたり。
 風花は部屋に戻り、氷室は書院で今晩の件を報告書にまとめていた。実は、城下町の武家屋敷が忍びに狙われることが頻発していたのだ。氷室の屋敷も警固を手厚くしていたところだが、いとも簡単に破られてしまった。彼の酔いはすっかり冷めてしまっている。そんな氷室の元に颯手がかしずいた。

 「恐れ入ります、忠頼様。先ほどは奥さまの部屋を調べており、駆けつけるのが遅くなってしまい申し訳ありません」

 「それで――どうだった?」

 氷室は、いつもの冷えた瞳を颯手に向ける。颯手の顔色が思わしくない。その様子を見て、氷室は返答を聞く前にため息を吐く。

 「お、奥さまの薬箱の下段に…… 紙の小包みが……」

 颯手はその小包みをよく見知っていた。毒薬――敵を毒殺する時の常套手段で出回っているもの。

 「そうか…… 」

 氷室は冷酷な表情で、顎に手を当てる。
 颯手は肩を落として、元気がない。先ほどの黒装束の曲者の件と、風花が毒薬を所持していたこと。高津国の生き残りの残党が暗躍しているのではないかという憶測が、点と点になり、線でつながりかける。

 「なぜ、戦場でよく出回っているあれを、奥さまが」

 腕を組みながら、氷室は目を伏せる。

 「少し前、不審な笛の音が聞こえたと言ってたな」
 「は、はい! 奥さまも庭の外から聞こえて不思議に思っていたと! 私も聞いたことのない曲で、独特な旋律の音色でした」
 「それだ」
 「え?」

 氷室は、盃に残った酒をそそぎ、喉へ流し込んだ。――先ほどとは打って変わって、氷室の瞳は冷酷に沈んだ目をしていた。

 「笛の音は二人にしかわからぬ合図だ。曲者は、その時にも来ていたのだ」

 颯手は目を丸くする。それではまるで風花が曲者と手を組み、氷室を暗殺しようと企んでいるみたいではないか――と、颯手は言いかける。

 「では……」

 氷室は冷笑した。

 「――私を殺すためだ。大方、高津の残党の手引きだろう。笛の音は高津の者にしかわからぬもの」

 颯手は肩を震わせる。

 「奥さまを、いかがなさいます? 毒薬は今すぐにでも取り上げなければ…… 」

 残党と風花が手を組んでるとなれば、風花の命はない。

 「……案ずるな」
 「ですが、しかし!! このままでは忠頼様に身の危険が及ぶかもしれません!!」

 氷室は狡猾な笑みを浮かべた。ふと懐に手を入れ、ゆっくりと硬く冷たい武器に手を触れた。衣の下から出てきたのは――異国の商人から手に入れた最新の武器だ。颯手は初めて見るその武器に小首をかしげる。火縄銃(ひなわじゅう)に似たかたちをしたそれは、黒く鉛の表面が光っている。

 「これは、短銃(たんじゅう)だ。火縄銃の小型のものだと考えていい……舶来(はくらい)の武器で、肌見放さず、隠し持っていた。ま、引き金を引くには少し時間がかかるが……」
 「では、それで先ほどの曲者を倒すことができたのでは……」

 氷室は銃を片手で持ちながら、ゆっくりと撫でる。

 「あえて芝居を打ったのだ。残党が何者かを探るためにな」

 そう、風花の様子を頼りに残党が何者なのかの手がかりがほしかった。――氷室の頭の中に、盤面が広がる。残党の駒、風花の駒、氷室の駒がそれぞれ浮かび上がっていた。風花の駒が残党の駒を見て、動揺する姿。残党の駒が風花の駒が氷室の駒をかばうせいで攻撃できない姿。それらの全てが、脳裏で動き、氷室の中に一つの推測が生まれた。

 「私には、わかったことが二つほどある。まだ憶測の域は出ないが」
 「忠頼様、教えてください! どういうことなのですか!?」

 氷室は、頭の中で残党の駒を手で弾いた。

 「一つ目は、残党は風花の縁者(えんじゃ)……それも身近な者だ」
 「では、やはり奥さまは……」
 「焦るな、颯手」
 「は」

 また一つ、頭の中で風花の駒を手ですくい取った。

 「二つ目は、風花は私の敵ではない。彼女には私を殺す意思はないということだ」

 氷室をかばって刃をその身で受け止めようとした風花。満月に照らされた彼女の横顔、その瞳、呼吸の全てを身近に感じとった氷室ならわかっていた。……あれは、演技などではない。風花の覚悟のようなものを全身から受け止めた。
 氷室は、思い出しながら静かに微笑んで目を伏せた。

 「――つまり、毒薬の件も案ずる必要はない。颯手、引き続き、妻の護衛を頼む」

 穏やかな氷室の声音に、颯手は半信半疑ながらも頷いた。

 「しかと心得ました、忠頼様」

 氷室は、暗闇の中に一筋の光を見出している。それは、一つの希望であり、氷室が望んだ未来だ。